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歴史の教科書で、見てきた偉人たちの肖像画が、実は別人のものという可能性が高いそうだ。例に挙げられているのは、源頼朝、聖徳太子、武田信玄、足利尊氏といったところ。どの肖像画も歴史の教科書や資料集には欠かせないものだった。
歴史上の偉人と言われる人たちには、様々な伝説がある。その伝説をいろいろ聞いていくと、そのイメージが肖像画と重なるのではないかと思う。源頼朝は、鎌倉幕府を開き武士の政権を発足させた人物であるのだから、肖像画のような精悍なイメージが重なる。聖徳太子にしても、品のあるイメージ、武田信玄、足利尊氏にしても、荒々しいイメージがあるのであの肖像画がぴったりなのではないかと思う。
肖像画というのは、人が描いた絵であるし、また源頼朝、聖徳太子、武田信玄、足利尊氏らに会ったことのある人は生きていないので、現代において誰のものかわかる人はいない。もしかしたら、肖像画の本人が、実物とは違うが、いいイメージを持たれたいがために画家とかに描かせたものなのかもしれないし、後の時代の人が捏造まがいのことをしたのかもしれない。実際のことはわからないが、頼朝らの伝説は、あの肖像画のイメージと重なっていると思う。そう考えてみると、各々の肖像画が本人のものか別人のものかは別として、イメージを維持するにはあの肖像画でないとならない。
現時点、21世紀初頭の歴史について、500年後の人たちが学ぶとき、どのように表現されているのだろう。誰が偉人として紹介されているかについても興味深いが、例えば、小渕首相について学んでいるとしよう。小渕首相の写真は残っていても、それが本当に本人のものかどうかわかる人は生きていない。(もしかすると不老不死の薬とかできているかもしれないが)それで、歴史上に名前の残る首相であるのだからかっこよくないとならないという考えた誰かが、キムタクの写真を小渕首相のものだと言い張ったとする。現代人なら明らかに人違いなのはわかる。だが、500年後の世界において、その真偽のわかる人はいない。そうなると、500年後の世界で、小渕首相の顔写真がキムタクとかになっていることは十分ありうる。同様に、小渕首相が頼りない人物と考えた誰かが、温水洋一の写真を小渕首相のものと言えば、真偽のわかる人はいないのだから、小渕首相の写真が温水洋一になっていることもありうる。
肖像画を元にイメージができたのか、イメージをもとに誰かが肖像画を描いたのか、どういう順番かはわからない。歴史というものを試験科目として考えるのならば、答えは一つである必要があり、間違いはあってはならない。昔があって今があるのだから、しっかりとした歴史を学ぶ必要はある。だが、偉人の人柄だとか伝説なんてものは、個人個人が想像力を膨らませて、複数の解釈があっていいものだと思う。合ってる間違っているよりも、いろいろ考えて楽しんでいいのでは。(学者がやってしまうと捏造になってしまいかねないが)
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その記事を新聞で読みましたが、じゃあ誰があの肖像画を、歴史上の人って言い出したんでしょうか?結構最近の人なのでしょうか?そんなバカな。ある程度の根拠があるとは思うのですが。
2007/4/16(月) 午前 8:56 [ もも ]