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モンブランケーキでほっこりした後は高井鴻山記念館へ。
ココは、小布施で過ごした葛飾北斎のスポンサーの豪商、高井鴻山の邸宅です。
当時の風情ある建物がそのまま残っています。
画家や書家として文化人であった高井鴻山に関する資料が展示されていて、屋台庫と穀蔵で大妖怪展を開催中でした
かなりの妖怪好きなのかな〜!?
晩年に妖怪画を多く描くようになったそうです。
文庫蔵では、鴻山の生涯をパネルで紹介していました。
ここで、鴻山と北斎と歓談していたのかと思うと、感慨深くなりますね
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2階へ。
わっ、ここもイイ雰囲気〜
![]() 奥の間には、鴻山愛用の火鉢。
佐久間象山が度々訪れて、ふたりはここで火鉢をはさんで対座し激論を交わしたといわれています。
単なる記念館かと思っていたら想像していた以上に素晴らしい場所で、当時の面影を感じながら、静かな時間が流れる空間でした。
小布施を訪れたらぜひ立ち寄っていただきたい観光スポットです
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栗ホイップをトッピングした栗づくしのプリン♪へつづく・・。
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旅行(関東・甲信越)
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詳細
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神戸から長野県小布施へは、夜行バスで
![]() 列車だと新幹線で名古屋まで行って特急で長野へ。
そして、長野電鉄に乗り換えて小布施へ。
片道13,000円程度かかり、一番効率良く列車の半額程度で行けるのが夜行バス。
体には負担かかるけど、時間も有効に使えるので、片道は夜行バスを選びました
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三宮20:45出発、大阪、京都を経由して、途中草津PAで休憩。
6:16に小布施へ到着。
早朝の栗の町を散策〜
![]() 北斎館の正面から高井鴻山記念館の東側の細い道は、栗材が敷き詰められた小径。
栗の木が植えられていて、なんかほっこりする道ですねー
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楽しみにしていたのに、うぅ残念
![]() この日は雨
![]() 晴れ女のワタシにしては珍しく降られてしまいました
![]() お店は9時までどこも開いていないので、仕方なく駅のベンチで時間をつぶして・・。
小雨になったので、郊外にある岩松院へ向かいます
徒歩25分ほどの距離で、途中でどしゃ降りの雨に(≧∇≦)
傘を差しても濡れるほどの激しい雨で、泣きそうになりながら頑張って歩きました(´∀`)
岩松院は、文明4年(1472)に開かれた曹洞宗のお寺。
戦国の武将福島正則の菩提寺で、葛飾北斎、小林一茶ゆかりの古寺です。
21畳敷もある大迫力の天井絵「大鳳凰図」です(≧∇≦)
(パンフレットより)
北斎は83歳から小布施を4回訪れていて、4回目の滞在で約1年かけて描きました。
八方睨みの鳳凰は、どこからみてもこちらを見据える鋭い睨み。
170年経った今でも色鮮やかな色彩に心が奪われます〜
![]() 雨の中、頑張って歩いた甲斐がありました(笑)
このときが雨のピークでした 縁側には、かわいい蛙
小林一茶が「やせ蛙まけるな一茶 これにあり」という句を詠んだ蛙合戦の池があるので、これにちなんだ蛙かな。
お寺にしては北斎のグッズが充実していて、記念に「大鳳凰図」A5サイズのクリアファイル(200円)を購入しました
![]() 美術展に行くと、よくお気に入りの作品のクリアファイルを買ってます
![]() この後、始発の小布施町内の周遊バス「おぶせロマン号」に乗って、北斎館へ向かいます
〜岩松院〜
北斎館〜北斎の肉筆画&祭屋台の天井絵へつづく・・。
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翌日は、ホテルを8:00出発。
浅間高原を通って軽井沢へ
火山活動が活発化している浅間山。
今年の6月にも小規模な噴火がありました・・
ん?なんだろう??
と調べてみると、天明3年(1783年)の大噴火での溶岩が風化して生まれた奇勝「鬼押出し」で、世界3大奇勝のひとつと言われているそうです。
溶岩の芸術かァ・・
見てみたいなぁ
![]() 軽井沢ICから上信越道で富岡製紙場へ。
コチラは2回目の訪問
近代化遺産好きとしては一度来てみたかった場所で、世界遺産登録になる前の2011年に初めて訪れました。
そのときには見学料500円だったのが、今年の4月から1000円に(≧∇≦)
しかも、無料だったボランティアの観光ガイド料も200円になってました・・
文化財の保存管理に努めていくということですが、いきなり2倍の価格にビックリ
![]() それでも、ツアー客を含めて以前とは見違えるほどの多くの人がいらっしゃいました。
富岡製糸場は明治5年、明治政府が日本の殖産興業政策のもと、フランスから近代的な機械と技術を導入して設置された官営模範工場です。
この明治五年が写真スポット
日本の近代化の礎となったレンガ造りの建物です♪
富岡付近は養蚕が盛んで生糸の原料の繭が確保でき、燃料となる石炭が近くでとれたため、この場所が選ばれたとのこと。
当時の富国強兵の国策において貿易品であった生糸の生産は、輸出総額の3分の1を占め、高品質の生糸は海外でも評価が高かったそうです。
器械製糸の普及と技術者育成の目的を果たした官営工場は、明治26年に三井家に払い下げされ、その後原合名会社、片倉製糸紡績株式会社に引き継がれましたが、昭和62年3月操業を停止。115年の歴史に幕を閉じました。
現在は、約15,000坪の敷地内に、東・西繭倉庫、操糸場、女工館、検査人館、ブリュナ館等の主要建物(重要文化財)が操業当初の状態で残っています。
イヤホンガイドを付けて説明を聞きます。
大人数だとこういうものがあると便利ですね
◆東繭倉庫
長さ約140.4メートル、幅12.3メートル、高さ12.1メートル。
ヨーロッパでは建造物はレンガを積み上げて造りますが、ここでは木材で骨組みを作り、その間にレンガを積んでいくという木骨レンガ造りを取り入れています。
明治時代にタイムスリップしたような美しい建物です
1階は事務所・作業所等として使用し、2階に乾燥させた繭を貯蔵。
倉庫1棟には32トンの繭を貯蔵することができました。
◆西繭倉庫
2019年度中の完了を目指して、保存修理工事中でした。
なので前回の写真を〜。
構造や大きさは東繭倉庫とほぼ同じ。
1階北側半分には当初レンガ壁はなく、石炭置場として使われていました。
そのため、他のレンガとは色や積み方が異なっています。
◆操糸場
繭を生糸にする繰糸場は長さ約140.4メートル、幅12.3メートル、高さ12.1メートルで、当時は世界最大規模の工場でした。
場内には300釜の繰糸器が置かれ、全国から工女たちが集められました。
自動操糸機(昭和40年以降に設置)が並んでいる光景は圧巻!!
でも、以前間近で見れた機械も、多くの人が訪れるようになったからかカバーがかけられていて残念・・
大きな窓ガラスからは明るい光が差し込み、建物中央部には柱がないので広々とした印象を受けます。
これは「トラス構造(三角形を単位とした構造骨組の一種)」という建築工法を用いて大空間を造っているそうです。
見た目は洒落た建物ですが、工女たちの作業は非常に厳しかったことでしょう・・・。
工女たちは、まず繭の選別を修得してから、器械操糸作業の修得に入り、一等工女、二等、三等、等外工女とランク付けをされたそうです。
◆ブリュナ館
フランスからの指導者ポール・ブリュナが家族と暮らした住居。
地元の瓦職人が焼いたレンガを使った木骨レンガ造りで広さ320坪。
廻廊風のベランダを持つおしゃれな外観で、その後、校舎として使われたため内部を大幅に改造。
当時の面影は残っていないそうですが、床下には当時のレンガ造りの地下室が残っています。
明治の官営工場の中でほぼ完全な形で残っているのは富岡製糸場だけで、百数十年経った今も圧倒的な存在感を誇っていました
日本の近代化と器械製糸工業の発展に大きく貢献した産業遺産。
周辺の絹産業遺産群も含めて保全が大変でしょうが、世界の財産を後世に継承していってほしいですね。
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