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○ 各紙報道等によれば、次期内閣法制局長官として、8月8日(木)付で、これまで内閣法制局の勤務経験が全くない小松一郎現フランス大使の政治任用を行うとされております。
 
○ 内閣法制局長官は、内閣の総辞職等ごとに失職し、新たな組閣ごとに任命(再任が慣行)されるポストであり(内閣法制局設置法上の国家公務員特別職)、その政治任用は法的手続としては可能なことです。
 
○ しかし、この度の政治任用は、内閣法制局が戦後一貫して「法の番人」として担ってきた政治権力に屈しない「法令解釈の客観性や安定性」、高度の専門能力による「法令解釈の適正」の確保などの役割を大きく損ねる可能性があり、憲法秩序を始めとする我が国の法治国家としての根幹を揺るがす重大な事態です。
 
○ 特に、歴代の「内閣」が国会答弁で明言してきた「憲法の条文改正によるしか、集団的自衛権の行使を合憲とすることはできない」とされてきた憲法解釈を、「条文改正によらなくても、解釈の変更で可能である」という憲法解釈へ変更を強行することは、憲法の法規範としての崩壊を意味し、それは法治国家としての自殺行為となります。
 
○ 従って、安倍内閣はこの人事方針を直ちに撤回する必要があると考えます。
 仮に、安倍内閣が撤回しないのであれば、内閣法制局長官の内閣法制局設置法上の職責の重要性に照らし、(a)安倍内閣は、8日の任命前に、小松大使の任用理由につき現在開会中の国会において説明を行う必要があるとともに、(b)同時にその国会審議において、小松大使が「法の番人」を統括するに足る究極に高度な専門性が求められる内閣法制局長官としての資質を有するかについて直接に本人への質疑より確認を行う必要があります。
 
○ なお、安倍政権が仮にこの人事を強行するならば、それは、憲法改正を「ナチスの手口に学ぶべき」とする先の麻生大臣発言の「ナチスの手口」と実質的に同等のものとして、立憲民主主義の観点から断じて許してはならないものです。
 すなわち、授権法(全権委任法)によりワイマール憲法を骨抜きにするのと、憲法の運用解釈を実質的に預かる内閣法制局長官人事によってこれまでの憲法解釈を骨抜きに変更しようとすることは、立憲民主主義の破壊という意味では実質的に同じことと考えます。
 
○ 以下、このように考える理由について、私が、かつての霞ヶ関の省庁勤務時代に内閣法制局に法案審査に何度も赴いた経験や、内閣法制局と政治権力との関係について垣間見た経験などを踏まえてご説明させて頂きます。
 
■全体の目次
 
内閣法制局長官の政治任用問題について 
 
 〜「ナチスの手口」との同質性〜
 (1)「集団的自衛権の行使」の解釈変更の問題 (※ 以下に記載)

〜「法の番人」としての機能喪失のおそれ〜
(2)法令解釈の政治からの自律性が失われるおそれ
(3)国会による行政監督が骨抜きになるおそれ
(4)法制局長官としての適正な職務遂行が確保できない恐れ
http://blogs.yahoo.co.jp/konishi_hiroyuki_524/18070603.html
 
〜内閣法制局とは何か〜 
・憲法解釈等の補佐機関
・高度の専門家組織
・「法の番人」(内閣法制局と最高裁判所の関係)
http://blogs.yahoo.co.jp/konishi_hiroyuki_524/18070602.html
 
 
「集団的自衛権の行使」が違憲である理由
http://blogs.yahoo.co.jp/konishi_hiroyuki_524/18078491.html
 
※ 私は、戦争は最も人間の尊厳や幸せを無残かつ不条理に奪うものであり、政治家の役割として戦争は決して生じさせてはいけない、特に、唯一の被爆国等である我が国は平和憲法のもと積極的な世界平和の構築に特別の使命を持つと考えていますがhttp://www.nhk.or.jp/shogenarchives/、憲法改正一般について原理主議的な護憲の立場ではございません。
   ただし、憲法改正のプロセスとは、国会議員が国民の皆さまの生命や尊厳等を守るために、あらゆる立法努力や行政監督努力を駆使した後に、どうしても必要な更なる取り組みを担保するために「憲法の条文を変えなければ、憲法解釈上、国民の皆さんを守るために必要な法律が作れない」時に初めて、96条の手続により主権者である国民の皆さまに憲法改正を伺うことを発議することが許されるものと理解しています。
 
※ この点、「集団的自衛権の行使」を可能とする憲法改正を行いその行使のために必要な立法を行うことについては、安全保障政策の観点からも相当に合理性を欠く点がある等のため、妥当でないと考えております。また、米国が実行しているようなフルパッケージの集団的自衛権の行使を認めることは「憲法の平和主義原則」に反し、憲法改正の限界を超えるものとして、改正は許されないものと理解しています。
 
※ これらの詳細については別の機会にご説明したいと思いますが、いずれにしても、この度の長官人事に関する私の見解はそれが我が国の法治国家としての根幹を揺るがし自殺行為ともなりかねない問題であり、我が国の立憲民主主義を損なうものである故に反対するものであって、私の「集団的自衛権の行使」を巡る憲法観とは中立的なものであることをご理解願います
 
 
 
(1)「集団的自衛権の行使」の解釈変更の問題
 
1. この度の長官人事で安倍政権が企図しているとされる「集団的自衛権の行使」を合憲とすることは、「たとえ、我が国を巡るいかなる国際情勢の変化等があっても、憲法の条文改正がなければ法的に不能であり、すなわち、解釈変更で合憲とすることはできないものであることは、これまでの歴代の内閣法制局長官の国会答弁、すなわち、安倍第一次政権を含めた歴代「内閣」の憲法の運用解釈として確立しています
 
2. 一般に、憲法を始めとする法令解釈の考え方は、「その条文の文言、趣旨等に即しつつ、立法者の意図や立案の背景となる社会情勢等を考慮し、過去の議論の積み重ねとの全体的な整合性を保つように留意して、論理的に確定されるもの」と内閣により国会答弁されています。
 
「集団的自衛権の行使は、憲法の条文を変えない限り、合憲にはならない」ということは、上記の要件の何をどのように幾ら理屈付けても、また、安全保障環境等の諸情勢の変化やそれから生じる新たな政策的な要請を考慮したとしても、「解釈として合憲にはできない」ということを意味します。
 
従って、如何に安倍総理の「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」で、集団的自衛権の行使を合憲とする新たな憲法解釈を作ってみても、それを現実の内閣における憲法の運用解釈とすることは、憲法の法規範性を破壊する行為として憲法遵守義務を負う政府として決して許されない行為であるとともに、我が国の法治国家としての自殺を意味します。
 
なぜなら、憲法が法規範として守られ効力を有するのは必ずしもそれが実力行使などで担保されているからではなく、その解釈の根拠となった論理的な考え方が尊重され権威をもって扱われていることにあります。
 
こうしたこれまで維持され国会で答弁されてきた憲法解釈の考え方を、それとは全く相容れない理屈によって葬り去ってしまうことは、政府の憲法解釈に対する国民の信頼を失い、また、それは憲法そのものに対する国民の信頼を喪失することになります。そして、それは憲法の法規範としての崩壊であり、法治国家としての自殺そのものです。
それは、今回の国民の生命、尊厳等に直結する安全保障の分野にとどまらず、同様に生命、尊厳等に直結する社会のあらゆる分野において国家権力によりさまざまな人権侵害行為が横行するなど国民に大きな危害が生じ得ることになります。
 
3. 従って、国権の最高機関の国会において、歴代の内閣によって「集団的自衛権の行使は憲法解釈によっては不可能で、条文改正に依るしかない」と確立した憲法の運用解釈として明示されている以上、どうしても安倍政権として国民の生命等を守るために「集団的自衛権の行使」を合憲とする必要があると考えるのならば、堂々と国会で憲法改正論議を行うべきであり、この度の人事は集団的自衛権を合憲化する手法としては決して許されない「邪道」であると断言せざるを得ません。
 
4. なお、先日、麻生財務大臣は、日本国憲法改正を「ナチスの手口に学ぶべき」と発言しました。
この点、条文改正でなければ合憲とできないはずの「集団的自衛権の行使」について、それを「内閣法制局長官の人事によりこれまでとは完全に矛盾する新たな憲法解釈を内閣法制局に作らせて解釈変更を強行すること」は、本来法的にはできないはずの「ワイマール憲法の条文に完全に矛盾する内容の行政命令の制定を可能であるとした授権法を制定すること」と、憲法の法規範性を蹂躙しそれを骨抜きにするという意味では全く同質の行為であると言えます。
まるでマンガの世界ですが、国民の皆さんにとって戦慄の事実であり、極めて深刻な危機であると考えます。
 
 
※ 第一次安倍内閣の「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」では憲法解釈によって「集団的自衛権の行使」を可能にすることが出来るとしていますが、歴代内閣の憲法解釈は「(いかに我が国を巡る国際情勢等が変わろうとも)条文を変える以外には合憲とする余地はない」とするものであり、その意味で、我が国が法治国家として存在することを放棄するのでないならば、この懇談会が憲法解釈を考える実質的な意義は認め難いことになります。
 
※ こうした解釈改憲の企みは、安全保障政策としても非常に危険な手法であると考えます。つまり、一言で集団的自衛権と言っても、米国のようにおよそ地球の裏側まで出掛けていって何でもできるような集団的自衛権と、ごく限られた質と量に留まる集団的自衛権があり得ることが考えられます。(このいずれも我が国においては、憲法の条文改正の手段を取らなければできません)
  仮に、我が国が、集団的自衛権を合憲とするとしても(私は、これは政策的合理性に欠けるとの理由からも反対の立場です)、それがどういう内容のどういう手続などにもとづく集団的自衛権なのか憲法の条文に詳細に規定しておく必要があります。(なお、米国型の集団的自衛権、あるいは、そうしたものへの行使に至ってしまうことを防止する憲法上の明確な歯止め措置がない集団的自衛権については、平和憲法の原則を逸脱するものとして憲法改正の限界を超え実現不能でもあると考えます)
  この点、安倍総理の懇談会は、米国に向かうミサイルの打ち落としなど限られた二つのケースについて議論をしてきましたが、自民党が発表している安全保障基本法案は米国と同等のフルパッケージ型の集団的自衛権を可能とするものと解釈できる代物であり、安倍政権が企図している解釈改憲はその後のとめどもない武力行使の暴走を解き放ってしまう危険性があります。
 
※ この度の件は、一方的に政府による改憲解釈により集団的自衛権を合憲されてしまうという主権者である国民にとっての重大事態です。
また、これは同時に、国際社会においても、日本という国は第一次安倍内閣を始めとする歴代の内閣が「憲法の条文を変えない限り、合憲とはできない」と繰り返し明言していたことを、後に同じ総理大臣のもとで合憲と解釈変更することができる国、すなわち、日本国憲法は実質的な憲法規範としての体をなしていないものとして、我が国の立憲民主主義の法治国家としての信用を著しく毀損し、それは大きな国益の喪失に繋がり得るものと考えます。

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