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いじめは必ず発見される。必ず救われる。
〜いじめを受けている皆さんへ〜
 
 
・今日(1011日)から、日本中の学校で、皆さんを守るための世界で一番のいじめの対策がスタートします。
 
・「いじめ防止対策推進法」は、私が中心となって作った法律です。
そして、法律のルールを決める基本方針も、皆さんを必ず守れるものになるように頑張りました。
 
 
・今、いじめを受けている皆さんは必ず発見され、必ず救い出されます。
 
・今、いじめをしている皆さんは必ずいじめを止めさせられ、また、二度といじめは許されないようになります。
 
・いじめを見ている皆さん、いじめに気付いている皆さんは、いじめられているお友達を助けるために、決して皆さんが仕返しを受けたりすることなく、安心して学校の先生や周りの大人の人に相談できるようになります。
 
 
こうした仕組みが日本中の学校でできるような
法律とルールを作りました。
 
 
○皆さんのいる全ての学校に、いじめ対策のチームが設置されます。
・チームには、学校のたくさんの先生が参加します。
・チームには、生徒指導や学年主任の先生だけでなく、養護の先生や、学級担任の先生、教科担任の先生、スクールカウンセラーの先生など、学校中の先生が参加します。
・また、このチームには、学校の先生以外の皆さんを守る役目の人たちが、先生たちを応援し、皆さんを守り切るために参加します。弁護士や人権擁護委員、警察OBなどの人たちが参加します。
 
○学校で起きた全てのいじめはこのチームが対応し、皆さんを救い出し、いじめを止めさせます。
・さらに、このチームは、皆さんのお父さんやお母さんをしっかり支えて、お父さんやお母さんと一緒に皆さんを必ず守ります。
 
○学校の中や学校の外で発見されたいじめは、全てこのチームに報告されます。
・特に、学校の先生はいじめを発見したら必ずこのチームに報告しなければなりません。
・いじめは、「ふざけているようだけど、本当は辛いのではないか」、「ケンカのようだけど、本当は抵抗できないのではないか」など少しでもおかしいと思ったものは全てチームに報告されます。
 
○皆さんが誰かに相談しようと思ったら、担任の先生でも、隣のクラスの先生でも、養護の先生でも、お父さんやお母さんや周りの大人の人など、誰にでも相談して下さい。
・必ず、学校のいじめ対策チームがすぐに皆さんを救い出し、いじめを永久に止めさせます。
 
○安心して相談できます。相談するときは、皆さんをいじめから守ることが最優先されます。
・勝手に、相手に皆さんからの相談を教えるようなことはありません。
・いじめが止まった後も、いじめが繰り返されないよう、皆さんが仕返しを受けないよう、徹底して皆さんを守ります。
・インターネットのいじめも、嫌な苦しい書き込みは削除されるようになります。
 
○いじめをしてしまった皆さんは、なぜ、いじめをしてしまったのかその原因を、学校の先生、お父さんお母さん、そして、いろんな専門家の人と一緒に考えて、二度といじめをしないように、しなくてもすむようになってもらいます。
・しかし、ひどいいじめをした場合は、警察の補導を受けたり、逮捕をされてしまうこともあります。
 
○学校のいじめ対策のチームの他に、学校ぐるみの「いじめの防止プログラム」を作り、みんなで実行していくことになっています。
・「いじめられている子どもは何も悪くない」、「いじめは絶対にしてはいけないことだ」、「いじめをすることは卑怯で恥ずかしいことだ」と学校の全てのみんなが考えるようになっていきます。
・いじめをしている皆さんが、自分達のやっていることが恥ずかしくて居たたまれない雰囲気に学校が変わっていくことになります。
 
○また、学校のいじめ対策のチームには、順番に全ての学校の先生が一人残らず参加していきます。
・全ての先生がいじめ対策のチームの一員になることを経験して、学校の先生は、いじめから皆さんを徹底的に守り抜く一番の味方になります。
・誰か、皆さんの苦しみを理解してくれない先生がいても、他の先生がチームになって皆さんを助け出してくれます。
 
○いじめに気付いたお友達も、学校の先生や周りの大人に相談して下さい。
・どの学校の先生に相談しても、いじめを受けているお友達をいじめ対策のチームが救い出し、相談してくれたお友達は仕返しを受けることなく、いじめを止めさせます。
 
○この法律のもとでは、「いじめがあって当たり前の学校」、「いじめがあってもしょうがない学校」から、「いじめは絶対に発見され、いじめられている子どもは必ず救い出される学校」、「いじめを受けている子どもは何も悪くない、いじめは絶対に許されないとみんなが考える学校」に変わります。
 
 
・これからすぐに日本中の学校でこうした仕組みが始まります。
遅い学校でも今年の12月にはこうした仕組みが始まります。
 
・いじめを受けている皆さんは、決して絶望しないで下さい。
皆さんは、今の辛い状態から、必ず救い出されます。
 
・いじめをしている皆さんは、直ちにいじめを止めて下さい。
皆さんのいじめは必ず発見され、通報され、止めさせられ、大きな後悔をすることになります。
 
 
もう二度といじめで自殺する子どもがいないように、いじめから皆さんを絶対に守るために、世界一の仕組みを作りました。
 
必ず、楽しい学校生活に戻れます。
皆さんは世界で一番大切な存在です。生きて下さい。
 
 
                                                                20131011
                                                         参議院議員 小西 洋之
 
 
 
※ いじめ防止対策推進法の国の「基本方針」の策定に当たっては、立法者として、法制定時に私が起案した附帯決議の趣旨などを全面的に反映させることにより、当初の民主党案の構想を実現すべく、あらゆる手段を講じて全力を尽くしました。
結果的に、私の修正意見が文部科学省の協議会の提出資料とされるなどして、取りまとめられた基本方針は、かけがえのない子ども達の生命と尊厳を救うために諸外国のいじめ法制等の分析の上に立案した民主党案の仕組みが殆ど盛り込まれ、政界最高水準の対策となったと考えています。
 
 本日(8月7日)、私が事務局を務める超党派議連「13条を考える会」に、元内閣法制局長官の阪田雅裕先生にお越し頂き、内閣法制局の役割と意義、内閣法制局長官の業務、集団的自衛権の解釈変更の問題などについて、お話しを頂きました。
 
 「13条の会」は、全ての国会議員がそれぞれの政治的立場等を超えて、13条の意義やその背景にある憲法の諸原理(立憲主義、法の支配等)についての見識を深めることを目的とし、8政党会派の議員からなる現在永田町にある最も幅の広い超党派議連です。
 
 設立の契機は、私の3月29日参院予算委員会での安倍総理への自民党憲法草案に関する質疑により、(1)安倍総理が憲法の中核条文である13条について何も理解せずその破壊改正を進めようとしていること、(2)改憲を主導してきたはずの安倍総理が「芦部信喜教授」の御名前をすら知らないなど実は憲法を何も学んでいないことが明らかになり、こうした永田町の憲法論議の状況を根本的に改める必要があると認識したことからです。
 これまで、第一回の伊藤真先生「立憲主義と13条」、第二回 樋口陽一先生「世界の中の憲法」、第三回 高見勝利先生「日本国憲法制定の通史」という超一流の先生方にお越し頂いています。
 
 小松大使の長官人事問題を受けて「13条の会」を開催したのは、(1) こうした政治任用により「法の番人」としての機能が失われるとそれはまさに我が国の立憲主議等の危機であること、(2) 集団的自衛権の行使について憲法の解釈変更が強行されることは日本国憲法の法規範性の崩壊、すなわち、法治国家としての自殺行為になると考えたからでした。
 
    今回は本会議日程が重なる中に、5政党会派の衆参議員に出席を頂きました。
 
 
 阪田先生からは、個別の人事についての言及はご遠慮頂きながら、以下のようなお話しを頂きました。また、その後には出席の議員と質疑応答を頂きました。
 
・ 内閣法制局は、事前の審査で憲法に抵触する法案を防ぎ国民の権利侵害や社会的混乱を防いでいること。最高裁は事後的な判断しかできず、また、最高裁では判断する機会がないような論点等について憲法解釈を担っていること。
 
・ 内閣法制局はあくまで内閣の一機関であって、その業務は内閣(政府)の決定を補佐することであって、憲法解釈について内閣(政府)と内閣法制局の見解が異なることはない。
 
・ 内閣法制局長官として、次長以下との役割分担や物理的制約はありつつも、重要な法案や憲法との問題で関係のある案件などについては自ら実質的な審査業務や意見業務を行い、事務を統括していた。
 
・ 立法審査のノウハウの蓄積の上に整然たる法秩序の確保を担う政府機関としての役割は重要であり、その社会的意義は、訴訟社会などの社会的コストの合理性の観点も含め、非常に大きい。(殆どの自治体で審査部門がないため、国法秩序の一つであるにも関わらず、条例の法制的な非統一性は大きいものがあり、共通の審査機関の設置が必要ではないか)
 
・ 集団的自衛権の行使が憲法の解釈上認められないことは、歴代の内閣の憲法解釈及びその国会答弁で一貫しており、それを変える訳にはいかない。(国民の法規範に対する信頼を損ねるなどの問題が生じる)
 
・ 集団的自衛権の行使を解釈変更により合憲とすると、9条の法規範性が失われてしまい、それは、国民が義務教育から学んでいる憲法の三大原則の「平和主議」とは一体何なのかということになるのではないか。(米国などと同じ、国際法の下での「平和主義」しか我が国は持っていないことになるが、これが国民の理解と同じかどうか)
 
※ ご講話の中の、集団的自衛権の行使に関する具体的な憲法解釈のお話しについては、正確を期すために概要の記載は控えさせて頂きました。代わりに、この文末に過去の国会答弁を踏まえた解釈説明のリンクを張らせて頂きました。
 
阪田先生のご講話は、かつて霞ヶ関経験のある私にとっても大変勉強となるものばかりでした。
また、内閣法制局における対面の法案審査は通常は参事官(課長クラス)のところで行われ、普通の霞ヶ関官僚人生では長官は直接お会いする機会もないような方ですが、丁寧な物腰に気さくなお人柄であり、大変に感銘を受けました。
 
いずれにしても、内閣法制局長官の人事をこのような政治任用で行うことは私にとっても全くの想定外であり、こうしたことを平気行うことができるのは、安倍総理が、憲法とは何か、法制度とは何か、法治国家とは何か、法の支配とは何か等について、何等まともな見解を持っていないということだと理解しています。
 
「条文改正以外では合憲とできない」ことが国会答弁で確立している事項については、どうしても憲法改正を行いたいのなら、堂々と国会で改正議論を行うことが筋であり、これは我が国の憲法が法規範として存続できるか、我が国が法治国家として踏ん張れるかという危機です。
「13条を考える会」では今後とも、この問題を取り上げていかなければならないと考えています。
 
※「13条を考える会」事務局による配付資料
 「前内閣法制局長官に聞く 集団的自衛権の行使はなぜ許されないのか 阪田雅裕」世界SEKAI 2007.9
 
※集団的自衛権の行使が憲法違反となる理由
 
 
イメージ 1
 安倍政権が進めようとしている「集団的自衛権の行使」は、実は、憲法9条の「解釈変更」では法的に不可能で、憲法9条の「条文改正」を行う以外に手段がないことが、これまでの国会審議における政府の憲法解釈として確立しています。
 にもかかわらず、集団的自衛権の行使を憲法解釈の変更によって実現しようとする行為は、日本国憲法を法規範として骨抜きにするものであり、ワイマール憲法をナチス政権が骨抜きにしたのと同質の政治的クーデターというべきものです。
 
 また、集団的自衛権の行使は、「平和主義のもとの専守防衛の国」から、「容易に戦争ができる国、戦争をしてしまう国」へと我が国のあり方そのものを大きく変え、また、何より、それによって、自衛隊員や国民の皆さんの生命が奪われ危険に曝されうるものです。
 国家の行為から国民の生命や自由を守るという近代立憲主議は、当然に戦争という国家行為に対しても及びます。従って、近代立憲主義に立つ日本国憲法のもとにおいては、国民主権による国民投票による条文改正の手段を取る以外に、絶対に、集団的自衛権の行使を許してはなりません。
 
 なお、なぜ、条文そのものを変えるしか手段がないのかについては、ロジックそのものはとてもシンプルです。
 一言で言うと、日本は専守防衛のもと、「ある国の武力攻撃により日本国民の生命等に危険が生じうる場合にのみ自衛隊の実力行使が許される」が、集団的自衛権の行使は、「我が国に対する武力攻撃がないにも関わらず(従って、日本国民に危険が生じていないにも関わらず)、自衛隊が同盟国等を助けるために実力行使を行うもの」であり、こうした、武力攻撃が生じた場合にしか許されないはずの実力行使を、武力行使が無い場合にも許されるとすること」は、法解釈として論理的に不可能であり、従って、その憲法の論理構造自体を根本的に変更し得る唯一の手段である条文改正でなければできない、というものです。
 以下に詳しくご説明いたします。
 
 
日本国憲法 第二章 戦争の放棄
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
  
(これまでの政府国会答弁を踏まえた説明)
 
(1)  憲法第九条の文言は、我が国として国際関係において実力の行使を行うことを一切禁じているように見えるが、政府としては、憲法前文で確認している日本国民の平和的生存権や憲法第十三条が生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利を国政上尊重すべきこととしている趣旨を踏まえて考えると、憲法第九条は、外部からの武力攻撃によって国民の生命や身体が危険にさらされるような場合にこれを排除するために「必要最小限度の範囲」で実力を行使することまでは禁じていないと解している。
 ※ この憲法が認めている必要最小限度の実力行使が、我が国の自衛権たる自衛力の行使であり、よって自衛権を行使する
   実力組織である自衛隊の保持は合憲である。
     
(2)  この必要最小限度の実力の行使のあり方については、上記(1)の考えから当然に一定の制約を受けるべきところ、それは、①我が国に対する武力攻撃が発生したこと、②この場合にこれを排除するために他に適当な手段がないこと、③実力行使の程度が必要限度にとどまること、の三要件を満たす必要がある。
 
(3)  これに対し、集団的自衛権は、「我が国に対する武力攻撃が発生していないにもかかわらず外国のために実力を行使する権利」であるから、①の第一要件を満たさないためその行使は憲法上許されない。
 
(4)  したがって、仮に、集団的自衛権の行使を憲法上認めたいのであれば、「我が国に対する武力攻撃が発生しない限り認められないとされている実力行使を、我が国に対する武力攻撃が発生していないにもかかわらずこれが認められる」とする必要があり、これは、憲法の解釈変更では不可能であり、憲法の条文改正という手段をとらない限りできない
 
(5)  なお、(1)でいう「必要最小限度の範囲」について、「集団的自衛権については、自衛のための必要最小限度の範囲を超えるものである」との過去の政府答弁等があるところ、これは、上記(2)の三要件のうちの第一要件たる「①我が国に対する武力攻撃が発生したこと」を満たしていないという趣旨であり、(1)の「必要最小限度の範囲」とは何らかの数量的な概念のものではない。
故に、「必要最小限度の範囲を超えない集団的自衛権の行使」なるものが、憲法の解釈変更により合憲となる余地はない。
 
 
※ 自衛隊は自衛権しか行使できない実力組織の限りで合憲。にもかかわらず、これが集団的自衛権の行使も出来るようになると、自衛隊が合憲である理由を根底から変えなければならない(しかし、それは論理的に不可能)。すなわち、自衛隊が合憲である理由が同時に、集団的自衛権の行使が違憲である理由となる。
 
※ 自衛隊が自衛権を行使するための実力を「自衛力」という。「自衛力」は、9条2項の侵略戦争の遂行能力も含む「戦力」と異なり、我が国に対する外国からの直接の急迫不正の侵害があった際に国民の生命、財産を守る必要最小限の実力に限定され、攻撃型空母や大陸間弾道ミサイルなどの保持は違憲とされる。
 
※ なお、9条2項の「交戦権」という文言は、国際法上も交戦国として有する権利(船舶の臨検、貨物の没収など)のことを意味し、一戦交える権利という意味ではない。
 
※ 国際法上、我が国は主権国家として集団的自衛権を有している。しかし、その権利を行使することは、憲法九条のもとで許されている我が国を防衛するため必要最小限度の範囲を超えるものであって違憲となる。「持っているけど(使いたくても)使えない」のではなく、「持っているが(敢えて)使わない」という国家意思。
これと同様に、国際法で認められた権利とは画する国防原則の国として永世中立国のスイスなどがある。
 
 いずれにしても、歴代の内閣の国会答弁において、憲法違反であり合憲とするためには条文改正し かないとされているものを「解釈変更」によりできるとすることは、我が国の憲法の法規範性を喪失させ、法治国家の自殺行為というべきものである。
 
 
(参考:過去の内閣法制局長官答弁)
 
145--日米防衛協力のための指針に関する特別委員会-9号 平成110520
 
○政府委員(大森政輔君) 
・・・憲法九条は、一見いたしますと、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」と、あたかも一般的な否定の観を呈しているわけですが、こういう憲法九条のもとでも自衛権というものは否定していないんだということが昭和二十九年のあの見解であるわけでございます。
 
 すなわち、日本国は独立主権国として自国の安全を放棄しているわけではない。それは、憲法上も平和的生存権を確認している前文の規定とか、あるいは国民の生命、自由あるいは幸福追求に対する権利を最大限度尊重すべき旨を規定している憲法十三条の規定等を踏まえて憲法九条というものをもう一度見てみますと、これはやはり我が国に対して外国から直接に急迫不正の侵害があった場合に、日本が国家として国民の権利を守るための必要最小限の実力行使までも認めないというものではないはずである。これが自衛権を認める現行憲法下においても自衛権は否定されていないという見解をとる理由であります。
 
 これがひいては、集団的自衛権を否定する理由にもなるわけでございまして、しかしながら集団的自衛権の行使というものは、他国に対する武力攻撃があった場合に、我が国自身が攻撃されていないにもかかわらず、すなわち我が国への侵害がない場合でも我が国が武力をもって他国に加えられた侵害を排除することに参加する、これが集団的自衛権の実質的な内容でございますので、先ほど申しました憲法九条は主権国家固有の自衛権は否定していないはずであるという理由づけからいたしますと、そういう集団的自衛権までも憲法が認めているという結論には至らないはずである
 
 したがいまして、先ほど御指摘になりました文献がコメントしているようなそういう自衛隊合憲論を守り通すために集団的自衛権を否定しているんだというものではございませんで、自衛隊は合憲である、しかし必然的な結果といいますか、同じ理由によって集団的自衛権は認められないんだということ、そういうふうに考えているわけでございます。
 
 
98 - - 予算委員会 - 12号 昭和580222
 
○角田(禮)政府委員 
・・・ある規定について解釈にいろいろ議論があるときに、それをいわゆる立法的な解決ということで、その法律を改正してある種の解釈をはっきりするということはあるわけでございます。そういう意味では、仮に、全く仮に、集団的自衛権の行使を憲法上認めたいという考え方があり、それを明確にしたいということであれば、憲法改正という手段を当然とらざるを得ないと思います。したがって、そういう手段をとらない限りできないということになると思います。
 
○安倍国務大臣 法制局長官の述べたとおりであります。

○谷川国務大臣 法制局長官の述べたとおりでございます。 
 
156 - - 予算委員会 - 11号平成150314
 
○政府特別補佐人(秋山收君) 
・・・憲法は我が国の法秩序の根幹でありまして、また、憲法九条につきましての政府解釈は九条の文言等についての論理的な検討の結果でございますし、また過去の国会等における論議の積み重ねを経てきたものでございます。このようなことを離れて、政府が憲法九条の解釈を変更して集団的自衛権の行使が認められるとすることは難しいものと考えております。
・・・憲法の解釈はその法令の規定の文言、趣旨などに則しつつ、立案者の意図も考慮し、また、議論の積み重ねのあるものにつきましては全体の整合性も保つことにも留意して論理的に確定されるべきものでございます。
 このような観点から検討いたしまして、当局としては、現行憲法第九条の下において集団的自衛権の行使は許容されるという解釈を十分説得力のある論理として構築することは困難であると考えております。
 
 
136 - - 予算委員会 - 19号平成080227
 
○大森(政)政府委員 
憲法解釈の変更はあり得るのかというお尋ねでございますが、憲法を初め法令の解釈と申しますのは、当該法令の規定の文言、趣旨に即しつつ、立案者の意図等も考慮いたしまして、また、議論の積み重ねのあるものについては、全体の整合性を保つことに留意いたしまして論理的に確定すべきものであるというふうに解しているところでございます。私どもも、今までいろいろな問題につきましては、このような態度で対処してきたつもりでございます。
 
 そこで、政府の憲法解釈等についての見解でございますが、以上申し述べましたような考え方に基づきまして、それぞれ論理的な追求の結果として示されてきたものと考えております。したがいまして、一般論として申しますと、政府がこのような考え方を離れて自由にこれを変更するということができるような性質のものではないというふうに考えております。
 
 したがいまして、政府がその政策のために従来の憲法解釈を基本的に変更するということは、政府の憲法解釈の権威を著しく失墜させますし、ひいては内閣自体に対する国民の信頼を著しく損なうおそれもある、憲法を頂点とする法秩序の維持という観点から見ましても問題があるというふうに考えているところでございます。
○ 各紙報道等によれば、次期内閣法制局長官として、8月8日(木)付で、これまで内閣法制局の勤務経験が全くない小松一郎現フランス大使の政治任用を行うとされております。
 
○ 内閣法制局長官は、内閣の総辞職等ごとに失職し、新たな組閣ごとに任命(再任が慣行)されるポストであり(内閣法制局設置法上の国家公務員特別職)、その政治任用は法的手続としては可能なことです。
 
○ しかし、この度の政治任用は、内閣法制局が戦後一貫して「法の番人」として担ってきた政治権力に屈しない「法令解釈の客観性や安定性」、高度の専門能力による「法令解釈の適正」の確保などの役割を大きく損ねる可能性があり、憲法秩序を始めとする我が国の法治国家としての根幹を揺るがす重大な事態です。
 
○ 特に、歴代の「内閣」が国会答弁で明言してきた「憲法の条文改正によるしか、集団的自衛権の行使を合憲とすることはできない」とされてきた憲法解釈を、「条文改正によらなくても、解釈の変更で可能である」という憲法解釈へ変更を強行することは、憲法の法規範としての崩壊を意味し、それは法治国家としての自殺行為となります。
 
○ 従って、安倍内閣はこの人事方針を直ちに撤回する必要があると考えます。
 仮に、安倍内閣が撤回しないのであれば、内閣法制局長官の内閣法制局設置法上の職責の重要性に照らし、(a)安倍内閣は、8日の任命前に、小松大使の任用理由につき現在開会中の国会において説明を行う必要があるとともに、(b)同時にその国会審議において、小松大使が「法の番人」を統括するに足る究極に高度な専門性が求められる内閣法制局長官としての資質を有するかについて直接に本人への質疑より確認を行う必要があります。
 
○ なお、安倍政権が仮にこの人事を強行するならば、それは、憲法改正を「ナチスの手口に学ぶべき」とする先の麻生大臣発言の「ナチスの手口」と実質的に同等のものとして、立憲民主主義の観点から断じて許してはならないものです。
 すなわち、授権法(全権委任法)によりワイマール憲法を骨抜きにするのと、憲法の運用解釈を実質的に預かる内閣法制局長官人事によってこれまでの憲法解釈を骨抜きに変更しようとすることは、立憲民主主義の破壊という意味では実質的に同じことと考えます。
 
○ 以下、このように考える理由について、私が、かつての霞ヶ関の省庁勤務時代に内閣法制局に法案審査に何度も赴いた経験や、内閣法制局と政治権力との関係について垣間見た経験などを踏まえてご説明させて頂きます。
 
■全体の目次
 
内閣法制局長官の政治任用問題について 
 
 〜「ナチスの手口」との同質性〜
 (1)「集団的自衛権の行使」の解釈変更の問題 (※ 以下に記載)

〜「法の番人」としての機能喪失のおそれ〜
(2)法令解釈の政治からの自律性が失われるおそれ
(3)国会による行政監督が骨抜きになるおそれ
(4)法制局長官としての適正な職務遂行が確保できない恐れ
http://blogs.yahoo.co.jp/konishi_hiroyuki_524/18070603.html
 
〜内閣法制局とは何か〜 
・憲法解釈等の補佐機関
・高度の専門家組織
・「法の番人」(内閣法制局と最高裁判所の関係)
http://blogs.yahoo.co.jp/konishi_hiroyuki_524/18070602.html
 
 
「集団的自衛権の行使」が違憲である理由
http://blogs.yahoo.co.jp/konishi_hiroyuki_524/18078491.html
 
※ 私は、戦争は最も人間の尊厳や幸せを無残かつ不条理に奪うものであり、政治家の役割として戦争は決して生じさせてはいけない、特に、唯一の被爆国等である我が国は平和憲法のもと積極的な世界平和の構築に特別の使命を持つと考えていますがhttp://www.nhk.or.jp/shogenarchives/、憲法改正一般について原理主議的な護憲の立場ではございません。
   ただし、憲法改正のプロセスとは、国会議員が国民の皆さまの生命や尊厳等を守るために、あらゆる立法努力や行政監督努力を駆使した後に、どうしても必要な更なる取り組みを担保するために「憲法の条文を変えなければ、憲法解釈上、国民の皆さんを守るために必要な法律が作れない」時に初めて、96条の手続により主権者である国民の皆さまに憲法改正を伺うことを発議することが許されるものと理解しています。
 
※ この点、「集団的自衛権の行使」を可能とする憲法改正を行いその行使のために必要な立法を行うことについては、安全保障政策の観点からも相当に合理性を欠く点がある等のため、妥当でないと考えております。また、米国が実行しているようなフルパッケージの集団的自衛権の行使を認めることは「憲法の平和主義原則」に反し、憲法改正の限界を超えるものとして、改正は許されないものと理解しています。
 
※ これらの詳細については別の機会にご説明したいと思いますが、いずれにしても、この度の長官人事に関する私の見解はそれが我が国の法治国家としての根幹を揺るがし自殺行為ともなりかねない問題であり、我が国の立憲民主主義を損なうものである故に反対するものであって、私の「集団的自衛権の行使」を巡る憲法観とは中立的なものであることをご理解願います
 
 
 
(1)「集団的自衛権の行使」の解釈変更の問題
 
1. この度の長官人事で安倍政権が企図しているとされる「集団的自衛権の行使」を合憲とすることは、「たとえ、我が国を巡るいかなる国際情勢の変化等があっても、憲法の条文改正がなければ法的に不能であり、すなわち、解釈変更で合憲とすることはできないものであることは、これまでの歴代の内閣法制局長官の国会答弁、すなわち、安倍第一次政権を含めた歴代「内閣」の憲法の運用解釈として確立しています
 
2. 一般に、憲法を始めとする法令解釈の考え方は、「その条文の文言、趣旨等に即しつつ、立法者の意図や立案の背景となる社会情勢等を考慮し、過去の議論の積み重ねとの全体的な整合性を保つように留意して、論理的に確定されるもの」と内閣により国会答弁されています。
 
「集団的自衛権の行使は、憲法の条文を変えない限り、合憲にはならない」ということは、上記の要件の何をどのように幾ら理屈付けても、また、安全保障環境等の諸情勢の変化やそれから生じる新たな政策的な要請を考慮したとしても、「解釈として合憲にはできない」ということを意味します。
 
従って、如何に安倍総理の「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」で、集団的自衛権の行使を合憲とする新たな憲法解釈を作ってみても、それを現実の内閣における憲法の運用解釈とすることは、憲法の法規範性を破壊する行為として憲法遵守義務を負う政府として決して許されない行為であるとともに、我が国の法治国家としての自殺を意味します。
 
なぜなら、憲法が法規範として守られ効力を有するのは必ずしもそれが実力行使などで担保されているからではなく、その解釈の根拠となった論理的な考え方が尊重され権威をもって扱われていることにあります。
 
こうしたこれまで維持され国会で答弁されてきた憲法解釈の考え方を、それとは全く相容れない理屈によって葬り去ってしまうことは、政府の憲法解釈に対する国民の信頼を失い、また、それは憲法そのものに対する国民の信頼を喪失することになります。そして、それは憲法の法規範としての崩壊であり、法治国家としての自殺そのものです。
それは、今回の国民の生命、尊厳等に直結する安全保障の分野にとどまらず、同様に生命、尊厳等に直結する社会のあらゆる分野において国家権力によりさまざまな人権侵害行為が横行するなど国民に大きな危害が生じ得ることになります。
 
3. 従って、国権の最高機関の国会において、歴代の内閣によって「集団的自衛権の行使は憲法解釈によっては不可能で、条文改正に依るしかない」と確立した憲法の運用解釈として明示されている以上、どうしても安倍政権として国民の生命等を守るために「集団的自衛権の行使」を合憲とする必要があると考えるのならば、堂々と国会で憲法改正論議を行うべきであり、この度の人事は集団的自衛権を合憲化する手法としては決して許されない「邪道」であると断言せざるを得ません。
 
4. なお、先日、麻生財務大臣は、日本国憲法改正を「ナチスの手口に学ぶべき」と発言しました。
この点、条文改正でなければ合憲とできないはずの「集団的自衛権の行使」について、それを「内閣法制局長官の人事によりこれまでとは完全に矛盾する新たな憲法解釈を内閣法制局に作らせて解釈変更を強行すること」は、本来法的にはできないはずの「ワイマール憲法の条文に完全に矛盾する内容の行政命令の制定を可能であるとした授権法を制定すること」と、憲法の法規範性を蹂躙しそれを骨抜きにするという意味では全く同質の行為であると言えます。
まるでマンガの世界ですが、国民の皆さんにとって戦慄の事実であり、極めて深刻な危機であると考えます。
 
 
※ 第一次安倍内閣の「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」では憲法解釈によって「集団的自衛権の行使」を可能にすることが出来るとしていますが、歴代内閣の憲法解釈は「(いかに我が国を巡る国際情勢等が変わろうとも)条文を変える以外には合憲とする余地はない」とするものであり、その意味で、我が国が法治国家として存在することを放棄するのでないならば、この懇談会が憲法解釈を考える実質的な意義は認め難いことになります。
 
※ こうした解釈改憲の企みは、安全保障政策としても非常に危険な手法であると考えます。つまり、一言で集団的自衛権と言っても、米国のようにおよそ地球の裏側まで出掛けていって何でもできるような集団的自衛権と、ごく限られた質と量に留まる集団的自衛権があり得ることが考えられます。(このいずれも我が国においては、憲法の条文改正の手段を取らなければできません)
  仮に、我が国が、集団的自衛権を合憲とするとしても(私は、これは政策的合理性に欠けるとの理由からも反対の立場です)、それがどういう内容のどういう手続などにもとづく集団的自衛権なのか憲法の条文に詳細に規定しておく必要があります。(なお、米国型の集団的自衛権、あるいは、そうしたものへの行使に至ってしまうことを防止する憲法上の明確な歯止め措置がない集団的自衛権については、平和憲法の原則を逸脱するものとして憲法改正の限界を超え実現不能でもあると考えます)
  この点、安倍総理の懇談会は、米国に向かうミサイルの打ち落としなど限られた二つのケースについて議論をしてきましたが、自民党が発表している安全保障基本法案は米国と同等のフルパッケージ型の集団的自衛権を可能とするものと解釈できる代物であり、安倍政権が企図している解釈改憲はその後のとめどもない武力行使の暴走を解き放ってしまう危険性があります。
 
※ この度の件は、一方的に政府による改憲解釈により集団的自衛権を合憲されてしまうという主権者である国民にとっての重大事態です。
また、これは同時に、国際社会においても、日本という国は第一次安倍内閣を始めとする歴代の内閣が「憲法の条文を変えない限り、合憲とはできない」と繰り返し明言していたことを、後に同じ総理大臣のもとで合憲と解釈変更することができる国、すなわち、日本国憲法は実質的な憲法規範としての体をなしていないものとして、我が国の立憲民主主義の法治国家としての信用を著しく毀損し、それは大きな国益の喪失に繋がり得るものと考えます。
(2)法令解釈の政治からの自律性が失われるおそれ
 
1.内閣法制局は、憲法を始めとする法令解釈について、時の権力に左右されず「法の番人」として、条文等から論理的に帰結される解釈の客観性や一貫性を担う使命を有する機関です。
 
実は、私が垣間見た事案においても、ある法律を所管する霞ヶ関の省庁がその運用解釈を判断するに当たり、当時社会的に大きな関心を持たれていたある法律問題についてある有力政治家(当時の政権の最高幹部)にとって都合のよいと思われる解釈を敢えて検討した際に、それを国会で答弁するに当たって、事前の内閣法制局の審査によって、当該有力政治家には都合が悪いけれど法解釈としては正しい解釈に変更修正され、その正しい解釈を時の総理大臣が本会議で答弁したという事例がありました。
 
残念ながら、霞ヶ関の省庁と政治家との関係はこうした危険を常態的にはらんだものであり、このようなケースは霞ヶ関全体で他にも少なからず存在すると承知しており、私は、内閣法制局はこうした時の権力におもることなく「法の番人」として、あるべき法解釈を貫く一種の「国士集団的な組織文化」を有しているものと理解しています。
こうした正しいプロフェッショナリズムが、法規範としての論理的な整合性を尊重するのではなく、いわば自分の政策方針のために憲法解釈を変えたい安倍総理等においては邪魔でしょうがないものなのでしょう。
 
2.しかし、内閣法制局も行政組織であり、その法令解釈の内閣への意見具申等の業務は長官に「統括」されるものと内閣法制局設置法で定められています。
つまり、長官以下の全員がある法解釈を合理的な理由をもとに「白」と考えても、長官が適当な理屈を付けてそれを「黒」だと言い張れば、内閣法制局の見解として、本来「白」となるべきものを「黒」とすることができることになります。(集団的自衛権行使に係る憲法の解釈変更はまさにこれです)
 
すなわち、以下の(4)で述べるように、本来、内閣設置法が求める法令解釈の「統括」業務の任に必要な資質を備えた方なのか俄に理解しがたい、しかも、本来あるべき法令解釈のルールを逸脱してでも特定の政治の意向を反映しようとする「国士」のあり方とは対極の疑念を抱かざるを得ない方針のもとの政治任用が一旦行われると、そこから先は組織が腐ってしまい、法制局全体として政治権力に左右されずあるべき法令解釈を貫くという組織の機能が失われ、それは、我が国の法治国家としての根幹を揺るがす事態となります。
 
 つまり、この度の長官人事は、「集団的自衛権の行使」の解釈変更の問題だけに留まらず、「法の番人」たる内閣法制局が権力の手先に貶められる危険性を有したものであり、国会における真剣な審議が必要な事項なのです。
 
※ もし、小松大使が歴代の内閣が「いかなる理由を設けてみても、条文改正でしか合憲とできない」と国会答弁している「集団的自衛権の行使」について、何らかの新しい理屈を設けることによりこれを「解釈変更により合憲とできる」と考えているのであれば、これは、内閣法制局長官に就任する者として求められるべき「内閣としての憲法解釈のあり方」、「三権分立のものとの国会と内閣の関係」等についての見識を著しく欠く者と考えざるを得ず、それはすなわち、内閣法制局長官としての資質を欠く者と言わざるを得ません。
  いずれにしても、このことは国会の審議において、直接小松大使本人に各党の代表が質疑を行うことによりその資質を明らかにする必要があります。
  
 
(3) 国会による行政監督が骨抜きになるおそれ
 
1.民主党の長妻昭代議士より「消えた年金問題」の追求などで活用された、国会議員が政府に所管する法令の解釈や業務についての事実関係の説明を求める「質問主意書」という制度があります。
  これは、国権の最高機関である国会が議院内閣制における政府への国会監督の機能を発揮するために国家法上に設けられた制度です。この質問主意書は、衆参両院のそれぞれが国会(院)として内閣に公式見解を求める非常に重い国家行為でもあります。
  従って、質問主意書の答弁書は閣議決定され国会(院)に送られるのですが、実は、各省が起案した質問主意書の内閣としての答弁案を審査する任にあるのが内閣法制局です。
 
2.ところが、私も、かつての霞ヶ関勤務時代に、質問主意書の答弁案を作成し内閣法制局の審査を受けた経験が何度かありますが、そもそも、各省庁における答弁案の作成方針としては、なるべく国会議員からの追求の矛先を鈍らせるよう、「問われたことに必要最低限度のことのみを答えればよく、かつそれで足りるはず」というものであり、十分な答弁内容ではないとして内閣法制局より何らかの修正指示を受けることが良くあるケースと認識しています。(念のため、私の場合はこういう修正指示は頂きませんでした)
 
3. こうした実態をも踏まえると、尚更、内閣法制局が「法の番人」という立場を失って、時の権力に遠慮するような組織となってしまえば、この質問主意書の審査業務もいい加減なものとなり、内閣から送付される答弁書は骨抜きのものとなってしまい、結果として、国会による内閣の監督の機能が劣化することになります。
  よって、こうした国会が有する内閣に対する「質問主意書」という特別の監督機能との関係でも、この度の長官の政治任用は重大な懸念が否定できないものと考えます。
 
 
(4)法制局長官としての適正な職務遂行が確保できない恐れ
 
1.この度の小松フランス大使の内閣法制局長官人事の問題の重要な点として、そもそも、内閣法制局での勤務経験が全く存在せず、また、国際法の専門家に留まる小松大使が、内閣法制局設置法が求める長官の職責を担うに足るだけの能力や資質を備えているのか明らかでないという問題があります。
 
2.内閣法制局の主たる業務は、全ての国内法令及び条約の条文審査を行うこと(法令審査業務)や、憲法解釈を含めたあらゆる法律問題について解釈を行うこと(法令意見業務)にあります。
この法令審査業務と法令意見業務における内閣法制局設置法に規定された長官の職務としてはこれらを「統括」すること、すなわち、これらの審査や解釈における憲法合憲性などの実質的な全ての責任を担うことにあります。
 
3.そして、この実質的な責任を全うするために、歴代の長官が行ってきた業務のあり方は、法令審査業務にあっては全ての法律案の一言一句の逐条的な審査を行うことであり、また、法令意見業務においても一部の軽微な案件を除いては自らその解釈の妥当性について確認を行うものです。
私が、かつての霞ヶ関官僚として内閣法制局に法律案の審査を受けた時も長官の審査によって条文の文言の修正が行われたことがありました。
また、私が、担当していた法律のある重要な問題についての法律解釈について法制局の中のプロセスとして長官まで解釈の妥当性の確認が行われたことがありました。
 
4.つまり、法制局長官の職務というものは、我が国の法制度や法律問題全般にわたる非常に広く深い見識を前提として、さらに、それらのあらゆる審査や解釈について常に高度の専門性をもって適切に対応できる「一種の究極の専門職」であり、そうした特別の専門性や能力を有した者以外に到底担えるものではないはずのものなのです。
 
5.では、そうした究極の専門職がどのように育成されているかというと、まず、霞ヶ関の各省の官僚の中でそれまでの度重なる法令審査や法令解釈において、これらの能力に特に秀でた者と認められた非常に優秀な官僚が選抜され、内閣法制局に参事官(課長級)として出向し5年ほどの勤務を行います。(法制局に出向する者は官僚の中でも畏敬の存在です)
 
  この参事官は、複数の省庁が抱える法律案や法律問題に対応します。例えば、出身省庁とは異なる案件についても必ず対応をします。そして、こうした参事官を5名ほど部下として従えるのが部長職です。部長は四名いますが、各部長は参事官よりも更に多くの省庁にまたがる案件を担当することになります。
  この部長職を、1〜3回ほど務め、そのうちの最後に憲法解釈などの法令解釈を一元的に担当する「第一部」の部長を必ず務めた者が、長官の手前の次長に昇任します。この第一部の部長経験が必須であるのは、法制局の主たる二つの業務のうちの法令意見業務を担っているポストだからです。
 
戦後、現在までに定着した内閣法制局長官に至るまでの人事慣行としてこれまでの三代の長官就任までの平均的な経歴を見てみると、法制局参事官(5年)、同部長(6〜8年)、同次長(1〜3年)などといったもので、長官就任までにその他のポストも含めて全員19〜20年余りの内閣法制局勤務を経ています
 
 
6.ちなみに、この度の小松大使が外務省時代に経験している条約審査業務などは、内閣法制局の一参事官と一部長がそれぞれ担当している職務の一部のものにしか過ぎません。内閣法制局で条約審査業務などを担当している参事官や部長は他の省庁の審査業務等を山のように抱え、経験を積んで行きます。
別の言い方をすれば、小松大使は条約審査等の専門家であっても、それを内閣における責任を背負って審査等した経験もなく、また、外務省が所管する法律や政令等の審査等の専門家ですらありませんでした。
これら小松大使が経験もしたことのない法令審査や法令解釈の業務等を着任したその日から内閣法制局設置法が求める「統括」のレベル、すなわち、法案の一言一句の逐条審査などを果たしていく必要があります
もし、次長以下の部下の業務を何ら実質的に統括できず、部下に丸投げして、憲法9条問題のみに勤しむのであれば、「法の番人」の頂点に立つ小松長官自身が内閣法制局設置法違反を犯して、しかも、本来より適切なものとできたはずの不適切な法令を生じさせているといったマンガのような事態が生じます。
 
※ 平成24年の法令案等の内閣法制局長官が行った閣議決定を行う審査案件は、法律案94、政令案302,条約案25です。これらすら適切に全うするに足る能力や資質を備えているのか大いなる疑問を禁じ得ません。
 
7.以上より、この度の小松大使の長官人事を、小松大使が外務省において国際法の専門家としてのポストを歴任していることから、菅官房長官においては「適材適所」の人事と会見で述べられているようですが、これは内閣法制局の職務の実態とそれに実質的な全責任を負う内閣法制局長官の極めて高度な専門職としての特性を踏まえると、政府としてその説明責任を果たしたものとは言えず、到底承服しがたい見解であると考えます。
 
従って、国内法とは法令として質が全く異なる国際法の専門家に過ぎず、しかも、法制局勤務が一度もなく我が国の法令全般に関する高度の専門的知見を得る修練を積まれていないと考えられる小松大使が、内閣法制局設置法に規定する長官の職責を適切に全うできるものか、すなわち、真に「適材適所」たり得る人材なのかどうか、その能力及び資質を明らかにする必要があり(能力も資質も足りない者を任命すれば内閣法制局設置法違反です)、そのために、小松大使をその長官就任前に国会招致し、ご本人に対し徹底した質疑を行う必要があると考えます。
 
 
※ 小松大使においては、憲法の保障する職業選択の自由を行使し、自らが内閣法制局長官の職責に相応しくないと判断すれば、それを辞退することができるはずではないかと思慮します。
仮に、そうであるにも関わらず、小松大使が、(更に仮に)自らの能力・資質や長官の職責に及ばないと自覚しているにも関わらず、長官への就任への意志を有しているとすると、それは、「法の番人」の全責任を担う内閣法制局長官たるものが有していなければならない職業倫理に反するものと考えざるを得ません。こうしたことについても、具体的に国会質疑で確認をさせて頂く必要があります。
 
以上

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