過去の投稿日別表示

[ リスト | 詳細 ]

全1ページ

[1]

 
 本日(8月7日)、私が事務局を務める超党派議連「13条を考える会」に、元内閣法制局長官の阪田雅裕先生にお越し頂き、内閣法制局の役割と意義、内閣法制局長官の業務、集団的自衛権の解釈変更の問題などについて、お話しを頂きました。
 
 「13条の会」は、全ての国会議員がそれぞれの政治的立場等を超えて、13条の意義やその背景にある憲法の諸原理(立憲主義、法の支配等)についての見識を深めることを目的とし、8政党会派の議員からなる現在永田町にある最も幅の広い超党派議連です。
 
 設立の契機は、私の3月29日参院予算委員会での安倍総理への自民党憲法草案に関する質疑により、(1)安倍総理が憲法の中核条文である13条について何も理解せずその破壊改正を進めようとしていること、(2)改憲を主導してきたはずの安倍総理が「芦部信喜教授」の御名前をすら知らないなど実は憲法を何も学んでいないことが明らかになり、こうした永田町の憲法論議の状況を根本的に改める必要があると認識したことからです。
 これまで、第一回の伊藤真先生「立憲主義と13条」、第二回 樋口陽一先生「世界の中の憲法」、第三回 高見勝利先生「日本国憲法制定の通史」という超一流の先生方にお越し頂いています。
 
 小松大使の長官人事問題を受けて「13条の会」を開催したのは、(1) こうした政治任用により「法の番人」としての機能が失われるとそれはまさに我が国の立憲主議等の危機であること、(2) 集団的自衛権の行使について憲法の解釈変更が強行されることは日本国憲法の法規範性の崩壊、すなわち、法治国家としての自殺行為になると考えたからでした。
 
    今回は本会議日程が重なる中に、5政党会派の衆参議員に出席を頂きました。
 
 
 阪田先生からは、個別の人事についての言及はご遠慮頂きながら、以下のようなお話しを頂きました。また、その後には出席の議員と質疑応答を頂きました。
 
・ 内閣法制局は、事前の審査で憲法に抵触する法案を防ぎ国民の権利侵害や社会的混乱を防いでいること。最高裁は事後的な判断しかできず、また、最高裁では判断する機会がないような論点等について憲法解釈を担っていること。
 
・ 内閣法制局はあくまで内閣の一機関であって、その業務は内閣(政府)の決定を補佐することであって、憲法解釈について内閣(政府)と内閣法制局の見解が異なることはない。
 
・ 内閣法制局長官として、次長以下との役割分担や物理的制約はありつつも、重要な法案や憲法との問題で関係のある案件などについては自ら実質的な審査業務や意見業務を行い、事務を統括していた。
 
・ 立法審査のノウハウの蓄積の上に整然たる法秩序の確保を担う政府機関としての役割は重要であり、その社会的意義は、訴訟社会などの社会的コストの合理性の観点も含め、非常に大きい。(殆どの自治体で審査部門がないため、国法秩序の一つであるにも関わらず、条例の法制的な非統一性は大きいものがあり、共通の審査機関の設置が必要ではないか)
 
・ 集団的自衛権の行使が憲法の解釈上認められないことは、歴代の内閣の憲法解釈及びその国会答弁で一貫しており、それを変える訳にはいかない。(国民の法規範に対する信頼を損ねるなどの問題が生じる)
 
・ 集団的自衛権の行使を解釈変更により合憲とすると、9条の法規範性が失われてしまい、それは、国民が義務教育から学んでいる憲法の三大原則の「平和主議」とは一体何なのかということになるのではないか。(米国などと同じ、国際法の下での「平和主義」しか我が国は持っていないことになるが、これが国民の理解と同じかどうか)
 
※ ご講話の中の、集団的自衛権の行使に関する具体的な憲法解釈のお話しについては、正確を期すために概要の記載は控えさせて頂きました。代わりに、この文末に過去の国会答弁を踏まえた解釈説明のリンクを張らせて頂きました。
 
阪田先生のご講話は、かつて霞ヶ関経験のある私にとっても大変勉強となるものばかりでした。
また、内閣法制局における対面の法案審査は通常は参事官(課長クラス)のところで行われ、普通の霞ヶ関官僚人生では長官は直接お会いする機会もないような方ですが、丁寧な物腰に気さくなお人柄であり、大変に感銘を受けました。
 
いずれにしても、内閣法制局長官の人事をこのような政治任用で行うことは私にとっても全くの想定外であり、こうしたことを平気行うことができるのは、安倍総理が、憲法とは何か、法制度とは何か、法治国家とは何か、法の支配とは何か等について、何等まともな見解を持っていないということだと理解しています。
 
「条文改正以外では合憲とできない」ことが国会答弁で確立している事項については、どうしても憲法改正を行いたいのなら、堂々と国会で改正議論を行うことが筋であり、これは我が国の憲法が法規範として存続できるか、我が国が法治国家として踏ん張れるかという危機です。
「13条を考える会」では今後とも、この問題を取り上げていかなければならないと考えています。
 
※「13条を考える会」事務局による配付資料
 「前内閣法制局長官に聞く 集団的自衛権の行使はなぜ許されないのか 阪田雅裕」世界SEKAI 2007.9
 
※集団的自衛権の行使が憲法違反となる理由
 
 
イメージ 1
 安倍政権が進めようとしている「集団的自衛権の行使」は、実は、憲法9条の「解釈変更」では法的に不可能で、憲法9条の「条文改正」を行う以外に手段がないことが、これまでの国会審議における政府の憲法解釈として確立しています。
 にもかかわらず、集団的自衛権の行使を憲法解釈の変更によって実現しようとする行為は、日本国憲法を法規範として骨抜きにするものであり、ワイマール憲法をナチス政権が骨抜きにしたのと同質の政治的クーデターというべきものです。
 
 また、集団的自衛権の行使は、「平和主義のもとの専守防衛の国」から、「容易に戦争ができる国、戦争をしてしまう国」へと我が国のあり方そのものを大きく変え、また、何より、それによって、自衛隊員や国民の皆さんの生命が奪われ危険に曝されうるものです。
 国家の行為から国民の生命や自由を守るという近代立憲主議は、当然に戦争という国家行為に対しても及びます。従って、近代立憲主義に立つ日本国憲法のもとにおいては、国民主権による国民投票による条文改正の手段を取る以外に、絶対に、集団的自衛権の行使を許してはなりません。
 
 なお、なぜ、条文そのものを変えるしか手段がないのかについては、ロジックそのものはとてもシンプルです。
 一言で言うと、日本は専守防衛のもと、「ある国の武力攻撃により日本国民の生命等に危険が生じうる場合にのみ自衛隊の実力行使が許される」が、集団的自衛権の行使は、「我が国に対する武力攻撃がないにも関わらず(従って、日本国民に危険が生じていないにも関わらず)、自衛隊が同盟国等を助けるために実力行使を行うもの」であり、こうした、武力攻撃が生じた場合にしか許されないはずの実力行使を、武力行使が無い場合にも許されるとすること」は、法解釈として論理的に不可能であり、従って、その憲法の論理構造自体を根本的に変更し得る唯一の手段である条文改正でなければできない、というものです。
 以下に詳しくご説明いたします。
 
 
日本国憲法 第二章 戦争の放棄
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
  
(これまでの政府国会答弁を踏まえた説明)
 
(1)  憲法第九条の文言は、我が国として国際関係において実力の行使を行うことを一切禁じているように見えるが、政府としては、憲法前文で確認している日本国民の平和的生存権や憲法第十三条が生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利を国政上尊重すべきこととしている趣旨を踏まえて考えると、憲法第九条は、外部からの武力攻撃によって国民の生命や身体が危険にさらされるような場合にこれを排除するために「必要最小限度の範囲」で実力を行使することまでは禁じていないと解している。
 ※ この憲法が認めている必要最小限度の実力行使が、我が国の自衛権たる自衛力の行使であり、よって自衛権を行使する
   実力組織である自衛隊の保持は合憲である。
     
(2)  この必要最小限度の実力の行使のあり方については、上記(1)の考えから当然に一定の制約を受けるべきところ、それは、①我が国に対する武力攻撃が発生したこと、②この場合にこれを排除するために他に適当な手段がないこと、③実力行使の程度が必要限度にとどまること、の三要件を満たす必要がある。
 
(3)  これに対し、集団的自衛権は、「我が国に対する武力攻撃が発生していないにもかかわらず外国のために実力を行使する権利」であるから、①の第一要件を満たさないためその行使は憲法上許されない。
 
(4)  したがって、仮に、集団的自衛権の行使を憲法上認めたいのであれば、「我が国に対する武力攻撃が発生しない限り認められないとされている実力行使を、我が国に対する武力攻撃が発生していないにもかかわらずこれが認められる」とする必要があり、これは、憲法の解釈変更では不可能であり、憲法の条文改正という手段をとらない限りできない
 
(5)  なお、(1)でいう「必要最小限度の範囲」について、「集団的自衛権については、自衛のための必要最小限度の範囲を超えるものである」との過去の政府答弁等があるところ、これは、上記(2)の三要件のうちの第一要件たる「①我が国に対する武力攻撃が発生したこと」を満たしていないという趣旨であり、(1)の「必要最小限度の範囲」とは何らかの数量的な概念のものではない。
故に、「必要最小限度の範囲を超えない集団的自衛権の行使」なるものが、憲法の解釈変更により合憲となる余地はない。
 
 
※ 自衛隊は自衛権しか行使できない実力組織の限りで合憲。にもかかわらず、これが集団的自衛権の行使も出来るようになると、自衛隊が合憲である理由を根底から変えなければならない(しかし、それは論理的に不可能)。すなわち、自衛隊が合憲である理由が同時に、集団的自衛権の行使が違憲である理由となる。
 
※ 自衛隊が自衛権を行使するための実力を「自衛力」という。「自衛力」は、9条2項の侵略戦争の遂行能力も含む「戦力」と異なり、我が国に対する外国からの直接の急迫不正の侵害があった際に国民の生命、財産を守る必要最小限の実力に限定され、攻撃型空母や大陸間弾道ミサイルなどの保持は違憲とされる。
 
※ なお、9条2項の「交戦権」という文言は、国際法上も交戦国として有する権利(船舶の臨検、貨物の没収など)のことを意味し、一戦交える権利という意味ではない。
 
※ 国際法上、我が国は主権国家として集団的自衛権を有している。しかし、その権利を行使することは、憲法九条のもとで許されている我が国を防衛するため必要最小限度の範囲を超えるものであって違憲となる。「持っているけど(使いたくても)使えない」のではなく、「持っているが(敢えて)使わない」という国家意思。
これと同様に、国際法で認められた権利とは画する国防原則の国として永世中立国のスイスなどがある。
 
 いずれにしても、歴代の内閣の国会答弁において、憲法違反であり合憲とするためには条文改正し かないとされているものを「解釈変更」によりできるとすることは、我が国の憲法の法規範性を喪失させ、法治国家の自殺行為というべきものである。
 
 
(参考:過去の内閣法制局長官答弁)
 
145--日米防衛協力のための指針に関する特別委員会-9号 平成110520
 
○政府委員(大森政輔君) 
・・・憲法九条は、一見いたしますと、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」と、あたかも一般的な否定の観を呈しているわけですが、こういう憲法九条のもとでも自衛権というものは否定していないんだということが昭和二十九年のあの見解であるわけでございます。
 
 すなわち、日本国は独立主権国として自国の安全を放棄しているわけではない。それは、憲法上も平和的生存権を確認している前文の規定とか、あるいは国民の生命、自由あるいは幸福追求に対する権利を最大限度尊重すべき旨を規定している憲法十三条の規定等を踏まえて憲法九条というものをもう一度見てみますと、これはやはり我が国に対して外国から直接に急迫不正の侵害があった場合に、日本が国家として国民の権利を守るための必要最小限の実力行使までも認めないというものではないはずである。これが自衛権を認める現行憲法下においても自衛権は否定されていないという見解をとる理由であります。
 
 これがひいては、集団的自衛権を否定する理由にもなるわけでございまして、しかしながら集団的自衛権の行使というものは、他国に対する武力攻撃があった場合に、我が国自身が攻撃されていないにもかかわらず、すなわち我が国への侵害がない場合でも我が国が武力をもって他国に加えられた侵害を排除することに参加する、これが集団的自衛権の実質的な内容でございますので、先ほど申しました憲法九条は主権国家固有の自衛権は否定していないはずであるという理由づけからいたしますと、そういう集団的自衛権までも憲法が認めているという結論には至らないはずである
 
 したがいまして、先ほど御指摘になりました文献がコメントしているようなそういう自衛隊合憲論を守り通すために集団的自衛権を否定しているんだというものではございませんで、自衛隊は合憲である、しかし必然的な結果といいますか、同じ理由によって集団的自衛権は認められないんだということ、そういうふうに考えているわけでございます。
 
 
98 - - 予算委員会 - 12号 昭和580222
 
○角田(禮)政府委員 
・・・ある規定について解釈にいろいろ議論があるときに、それをいわゆる立法的な解決ということで、その法律を改正してある種の解釈をはっきりするということはあるわけでございます。そういう意味では、仮に、全く仮に、集団的自衛権の行使を憲法上認めたいという考え方があり、それを明確にしたいということであれば、憲法改正という手段を当然とらざるを得ないと思います。したがって、そういう手段をとらない限りできないということになると思います。
 
○安倍国務大臣 法制局長官の述べたとおりであります。

○谷川国務大臣 法制局長官の述べたとおりでございます。 
 
156 - - 予算委員会 - 11号平成150314
 
○政府特別補佐人(秋山收君) 
・・・憲法は我が国の法秩序の根幹でありまして、また、憲法九条につきましての政府解釈は九条の文言等についての論理的な検討の結果でございますし、また過去の国会等における論議の積み重ねを経てきたものでございます。このようなことを離れて、政府が憲法九条の解釈を変更して集団的自衛権の行使が認められるとすることは難しいものと考えております。
・・・憲法の解釈はその法令の規定の文言、趣旨などに則しつつ、立案者の意図も考慮し、また、議論の積み重ねのあるものにつきましては全体の整合性も保つことにも留意して論理的に確定されるべきものでございます。
 このような観点から検討いたしまして、当局としては、現行憲法第九条の下において集団的自衛権の行使は許容されるという解釈を十分説得力のある論理として構築することは困難であると考えております。
 
 
136 - - 予算委員会 - 19号平成080227
 
○大森(政)政府委員 
憲法解釈の変更はあり得るのかというお尋ねでございますが、憲法を初め法令の解釈と申しますのは、当該法令の規定の文言、趣旨に即しつつ、立案者の意図等も考慮いたしまして、また、議論の積み重ねのあるものについては、全体の整合性を保つことに留意いたしまして論理的に確定すべきものであるというふうに解しているところでございます。私どもも、今までいろいろな問題につきましては、このような態度で対処してきたつもりでございます。
 
 そこで、政府の憲法解釈等についての見解でございますが、以上申し述べましたような考え方に基づきまして、それぞれ論理的な追求の結果として示されてきたものと考えております。したがいまして、一般論として申しますと、政府がこのような考え方を離れて自由にこれを変更するということができるような性質のものではないというふうに考えております。
 
 したがいまして、政府がその政策のために従来の憲法解釈を基本的に変更するということは、政府の憲法解釈の権威を著しく失墜させますし、ひいては内閣自体に対する国民の信頼を著しく損なうおそれもある、憲法を頂点とする法秩序の維持という観点から見ましても問題があるというふうに考えているところでございます。

全1ページ

[1]


よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

いまならもらえる!ウィスパーWガード
薄いしモレを防ぐパンティライナー
話題の新製品を10,000名様にプレゼント
いまならもらえる!ウィスパーうすさら
薄いしモレを防ぐ尿ケアパッド
話題の新製品を10,000名様にプレゼント
ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事