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親鸞は亡き父母の追善供養のために念仏したことは、かって一度もありません。
というのは、命のあるものはすべてみな、これまで何度となく生れ変り死に変りしてきた中で、父母であり兄弟姉妹であったのです。
この世の命を終え、浄土の往生してただちに仏となり、どの人をもみな救わなければならないのです。
念仏が自分の力で努める善でありますなら、その功徳によって亡き父母を救いもしましょうが、念仏はそのようなものではありません。
自力のとらわれた心を捨て、速やかに浄土に往生してさとりを開いたのなら、迷いの世界にさまざまな生を受け、どのような苦しみの中にあろうとも、自由自在で不可思議なはたらきにより、何よりもまず縁のある人を救う事ができるのです。
このように聖人は仰せになりました。
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歎異抄講座
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”自由自在で不可思議なはたらきにより”って、理解しがたいモノなんですね?念仏って…。^_^;
2010/4/3(土) 午前 1:02 [ うさ兄 ]
なるほど・・・
みんなを救うっていいですね!!
2010/4/3(土) 午前 6:38
この五条は、私も正直言いまして難しい。
色々、考えれば考えるほど色々な事が浮かんでくるからです。
2010/4/3(土) 午後 0:00