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私の好む感性をお持ちであった方が昔、おられた。
金子みすずさんである。
一般的には理解できない方がいるかと思う。
彼女の詩を理解するには頭の中を空っぽにして彼女の詩を目一杯浮かばせる必要がある。
そして、その言葉の中や裏に浮かんでくるものを捕らえる必要がある。
彼女の事は以前に「築地本願寺新報」で紹介されたこともある。
彼女は真宗風土の厚い山口県の出身で幼少の頃からお寺参りなどをされていたらしい。
よって、報恩講などにも参加されていたようです。
一例が「大漁」や「お魚」などである。
大漁
朝燒小燒だ
大漁だ 大羽鰮の 大漁だ。 濱は祭りの
やうだけど 海のなかでは 何萬の 鰮のとむらひ するだらう。 お魚 海の魚はかはいそう お米は人に作られる、 牛は牧場で飼はれてる、 鯉もお池で麩を貰ふ。 けれども海のお魚は なんにも世話にならないし いたづら一つしないのに かうして私に食べられる。 ほんとに魚はかはいさう。 |
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違った角度でものを見てみるとまたこれも楽しいですね
2010/4/20(火) 午前 8:08
マネシャンさん、これは、私には宗教的感覚が多分に感じられます。
命の大切さ、周りの命によって今の私の命があることを示しているともいえます。
また、各々の感性によっても感じ方が違うと思います。
答えを一つにせずにそれぞれの理解度で理解することが大切でしょう。
2010/4/20(火) 午前 8:15
”祭りと弔い””何もしてないのに食べられる”ジョーケンさんのおっしゃるとおり宗教的…。
「故に我有り!」ですね…^_^;
2010/4/20(火) 午前 10:37 [ うさ兄 ]
うまい、座布団2枚?
2010/4/20(火) 午後 5:56
人と言う動物は 他のあらゆる動物を食べ 生きていく事が出来る
弱肉強食と言えば それまでだが 人間にはあらゆる感情がある
はたして 人間は食する時に弔い 感謝しているのか?
そう問いかけているように感じました(^_^)
2010/4/21(水) 午前 1:50 [ - ]
おやじさん、すばらしい。
2010/4/21(水) 午前 5:37