たまには観るか

お坊さんに憧れてお坊さんになったの

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眠い〜〜

眠い〜〜。
 
昨日は2時間しかねていません。
 
昨日は夕方に長男が帰ってきてその後、私が帰ってきました。
 
その後、長男は塾に行きました。
 
午後9時を回ってから長男は帰ってきました。
 
仮眠したいといいますので仮眠させます。
 
23時になって長男は宿題をはじめました。
 
その後、翌1時になって勉強を終わらせて風呂に入ります。
 
1時半になって風呂から上がり、寝ることになりました。
 
3時に起きるというので、私もその時間に起きるしかありません。
 
3時に私は起きました。
 
長男を起こします。
 
その後、長男は又、勉強します。
 
 
そして7時前に学校に行きました。
 
わたしも長男も寝れません。
 
正直、睡眠不足です。
 
その後もあかるいので、私も寝れません。
 
先程、長男が帰宅しました。
 
今日は英語塾がありますが、限界でしょう?
 
宿題が10ページ以上あります。
 
寝ていません、体が限界です。
 
凄い学校に入ってしまったと思います。
 
さすが、2年で中学3年分学習する学校だと思います。
 
眠い〜〜〜〜。
 

5月の法語

もう、5月も終わりなのに今頃です。
 
本願寺出版社 法語カレンダー 心に響く ことば より 転載です。
 
 
この如来
 
微塵世界に
 
みちみちたまえり
 
 
さかきばらとくそう
榊原徳草氏に、『BodFisatt<asE<erywhere』 (ボディーサットバズ エブリフェア) という著述があります。
 
あちらこちらにいらっしゃる菩薩、という意味と考えています。

榊原氏は語られます。私たちは毎日食事をしますが、例えば、大根はどんどんと成長して、一番いいときに食べられます。
 
もちろん、大根は人間に食べられるために生長しているのではありません。肉も魚も同様です。
 
また木々は、二酸化炭素を酸素に変えます。
 
私たちはその酸素を呼吸して命をつないでいますが、木々は酸素の料金を要求しません。
 
榊原氏は、私たちの周りにあるこれらのものは菩薩であるといわれます。
 
自分のことは後にして、まず人のために何かをする点をとらえて、菩薩といわれたと考えられます。

榊原氏の言葉から思いつくことですが、大根などのおかげで生命を維持できるだけでなく、私たちが今、念仏者であれ、学者であれ、サラリーマンであれ、それぞれの姿でここにいることは、多くの菩薩のはたらきがあったからと思われます。

親鷲聖人は、別の角度から「この如来 微塵世界に みちみちたまえり」といわれます。
 
 
 
あるお坊さんは、寺に生まれたけれども、僧侶になりたいとは思いませんでした。
 
就職を考えましたが、うまくいかなかったので、仏教の勉強をはじめたそうです。

元々、勉強したかったわけではありませんから、今ひとつ、力が入りません。
 
こんないい加減な生活でいいのかと考えているときに、「それでいい」と先輩からいわれたそうです。
 
いい加減なままでいいとはどういうことなんだろうと思い、そのあたりから勉強もしはじめたそうです。
 
そのあとも紆余曲折はあったようですが'お坊さんとして過ごされています。

今から思うと,先輩の言葉だけではなく、先生、知人、家族が,嫌がられてもいってくれた言葉から何の気なしの一言、さらには範となる生き方などを通して,さまざまに私を導いてくださったと、その方はいわれます。

微塵世界に如来がみちみちておられるとは、このようなことと味わえます。
 
その一方で、微塵世界というのはあらゆるところですから,私にも、仏がいらっしゃることになります。

考えてみますと'煩悩に満ちた私が、今の私をつくるさまざまなご縁に気づくとは考えられません。
 
もし気づくとすれば、私に至りとどいた仏が気づかせてくれたように思われます。
 
その仏のはたらさがあるからこそ、私が仏への道を歩ませていただけると受けとられます。

和讃1

 
 
 弥陀成仏ノコノカタハ
 
イマニ十劫ヲヘタマエリ
 
法身(ほっしん)ノ光輪キワモナク
 
世ノ盲冥ヲテラスナリ 
 
 
親鸞聖人 ご和讃から
 

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