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眠い〜〜。
昨日は2時間しかねていません。
昨日は夕方に長男が帰ってきてその後、私が帰ってきました。
その後、長男は塾に行きました。
午後9時を回ってから長男は帰ってきました。
仮眠したいといいますので仮眠させます。
23時になって長男は宿題をはじめました。
その後、翌1時になって勉強を終わらせて風呂に入ります。
1時半になって風呂から上がり、寝ることになりました。
3時に起きるというので、私もその時間に起きるしかありません。
3時に私は起きました。
長男を起こします。
その後、長男は又、勉強します。
そして7時前に学校に行きました。
わたしも長男も寝れません。
正直、睡眠不足です。
その後もあかるいので、私も寝れません。
先程、長男が帰宅しました。
今日は英語塾がありますが、限界でしょう?
宿題が10ページ以上あります。
寝ていません、体が限界です。
凄い学校に入ってしまったと思います。
さすが、2年で中学3年分学習する学校だと思います。
眠い〜〜〜〜。
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2010年05月27日
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もう、5月も終わりなのに今頃です。
本願寺出版社 法語カレンダー 心に響く ことば より 転載です。
この如来
微塵世界に
みちみちたまえり
さかきばらとくそう
榊原徳草氏に、『BodFisatt<asE<erywhere』 (ボディーサットバズ エブリフェア) という著述があります。 あちらこちらにいらっしゃる菩薩、という意味と考えています。
榊原氏は語られます。私たちは毎日食事をしますが、例えば、大根はどんどんと成長して、一番いいときに食べられます。 もちろん、大根は人間に食べられるために生長しているのではありません。肉も魚も同様です。
また木々は、二酸化炭素を酸素に変えます。
私たちはその酸素を呼吸して命をつないでいますが、木々は酸素の料金を要求しません。
榊原氏は、私たちの周りにあるこれらのものは菩薩であるといわれます。
自分のことは後にして、まず人のために何かをする点をとらえて、菩薩といわれたと考えられます。
榊原氏の言葉から思いつくことですが、大根などのおかげで生命を維持できるだけでなく、私たちが今、念仏者であれ、学者であれ、サラリーマンであれ、それぞれの姿でここにいることは、多くの菩薩のはたらきがあったからと思われます。 親鷲聖人は、別の角度から「この如来 微塵世界に みちみちたまえり」といわれます。 あるお坊さんは、寺に生まれたけれども、僧侶になりたいとは思いませんでした。
就職を考えましたが、うまくいかなかったので、仏教の勉強をはじめたそうです。
元々、勉強したかったわけではありませんから、今ひとつ、力が入りません。 こんないい加減な生活でいいのかと考えているときに、「それでいい」と先輩からいわれたそうです。
いい加減なままでいいとはどういうことなんだろうと思い、そのあたりから勉強もしはじめたそうです。
そのあとも紆余曲折はあったようですが'お坊さんとして過ごされています。
今から思うと,先輩の言葉だけではなく、先生、知人、家族が,嫌がられてもいってくれた言葉から何の気なしの一言、さらには範となる生き方などを通して,さまざまに私を導いてくださったと、その方はいわれます。 微塵世界に如来がみちみちておられるとは、このようなことと味わえます。 その一方で、微塵世界というのはあらゆるところですから,私にも、仏がいらっしゃることになります。
考えてみますと'煩悩に満ちた私が、今の私をつくるさまざまなご縁に気づくとは考えられません。 もし気づくとすれば、私に至りとどいた仏が気づかせてくれたように思われます。
その仏のはたらさがあるからこそ、私が仏への道を歩ませていただけると受けとられます。
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イマニ十劫ヲヘタマエリ
法身(ほっしん)ノ光輪キワモナク
世ノ盲冥ヲテラスナリ
親鸞聖人 ご和讃から
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