日々、我思う

人間は忘れる生き物だ。過去は記憶の中で歪んでいく。

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人の世というもの

死というものには実感がない。
今日、そんな感じがした。
人は誰かの死に対して、鈍感だ。
もしくはそうあろうとするのが、人なのだろうか?

人はいつか死んでしまう。
「なんで」、「あんなに」と人は言うが、死だけは運命だと思う。
今こうしていても次の瞬間には、どうなっているかわからない。
いくら健康に気を遣おうが、死はいつ訪れるかわからない。
だからだろうか。
誰かの死に対して鈍感なのは。

避けられない運命が、その人に訪れた。
そう人はどこかで思うのだろう。

死後の世界はよくわからないが、そこでもその人にとって新しい世界があるのだろうか?
それとも死とともに無になるのだろうか?
人の世とは無常だ。常に無なのか。
はじめからそうだったのか?
その人にとっての世界は終わり、無だけが残るのだろうか?

人の世というものは生と死の連続性の中で成り立っているとしたら。
この世界が誰かにとって共有すべき世界であるのなら、無にはならないのか?
この世界は人々の共有によって保たれている。
そう考えると無ではないのかもしれない。

でも、その世界が醜く、仕方なく共有されているものであるにすぎないとしたら。
人々が違う世界を見ながら、この世界を共有するために整合性をとろうとするから。
そこに軋みが生じるのではないだろうか。

この世界は成り立っているようで、成り立っていない。
継ぎ接ぎだらけの人造人間なのだ。
人間になりたくても、人間にはなれない。
人の世に生きる人間も皆そのような存在だ。
世界がそうであるなら、人の世というものはきっとそういうものなのだろう。


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