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着物は、着る物であると同時に、気の物であります。
その様な観点から、先日の、紀宮様の、ご結婚の儀を思い出だしていただくなら、
紀宮様が、美智子皇后の御着物を、お召しになった事は、
お母様の、全てが宿されている着物に身を包まれて、
お母様に教えていただいた事、躾けていただいた事を基に、良い家庭を築きます。
お母様みたいな、素敵な女性に、立派な妻に、母親になれるように、つとめます。
美智子皇后の方は、所詮、母親と娘、不安を抱きつつも、嫁ぐわが娘の幸せを願うのは、世の常。
黒田様に、身は、お預けいたします。離れていても、母は、絹の衣のように、
優しく、柔らかく、暖かく、あなたを守って差し上げます。
着物一枚を通して、母と、娘の、愛情が、永遠に、築かれ、繋がっている。
これが、着物と、洋服の文化の決定的な、違いです。
ここらの文化のベースがあって、「形見分けの風習」が活きてくるのです。
「着物を着る」のと、「着こなす」のとの違いは、ここらにポイントがあるような気が致します。
チョット、回り道いたしましたが、
結納の時、結納の、目録に必ず、「帯料」と書かれていると思います。
これは、二つの意味が込められています。
一つは、帯は、長いものです、命が、長く永らえますように。両家が、いやさかに、栄えますように・
二つめは、帯には、結ぶ行為が、必ず伴います。
結ぶとは、「産す霊」と書いて「ムスブ」と読ませていた時代があるそうです。結んだところには、魂が、霊が宿る。従って、清浄なもので、注連縄(しめなわ)の由来は、ここらとも関係があるのです。
知らぬ、二人が、不思議な、えにしで結ばれる。そこに、清浄な、霊、魂が宿る。
それが、「産すび彦」「産すび姫」と呼ばれ、後に、「息子」「娘」の語源となっているのです。
だから、本来、帯に鋏を入れる行為は、相当な覚悟が無いと出来ない行為だったのです。
仕事柄、色んな事を、相談受けたり、頼まれたり致します。
先日も、作り帯にしたいのですけど、と相談を受けました。
勿論このお話をして差し上げました。
着物は、「着る物」であると同時に、「気のもの」でもあるのです。
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