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ゴールデンウィークも終盤ですね。
今日は会社の仲間と千葉まで潮干狩りに行ってきます。何故だか母もついてきますが^^
久しぶりの遠出。晴れてくれるといいんですが・・。楽しんできます!!
2007/2/21 (水)午前〜夕方
この日は私も会社から休みをもらい、母と二人病院へ行きました。
病院へつくと父は、同部屋の方々に今日で退院するからと挨拶をしています。
先日、隣のベットの方から「うるさい」とクレームを言われたといっていたのにいつのまにか仲良くなっ
ていたのも、さすが父!と思いつつ、いつの間にやらその他にも友達が出来ていたようでした。
一人づつに声をかけ、「頑張って!俺なんかに比べたら大丈夫だから。」と元気づけていたのがやけに男
らしく「やっぱりこの人強い」とあらためて思ったのでした。
看護婦さんに呼ばれ、主治医・父・母・私でナースステーションで話をすることになりました。
血液検査の結果とすい臓・肝臓のレントゲンを見ながら先生は話始めました。
先生:「予想以上に進行が早いです。元気でいられるのが信じられないほどです。」
父:「正直に教えてください。私はあとどれくらいなんでょうしょうか?」
とにかく父は「余命」を気にしていました。
やらなければならないことはやる、会いたい人には会う、伝えたいことをすべて言う、この三つは
絶対にしたいのではないかと・・。そして格好良く散りたい。私はそう受け止めていました。
先生:「数値からみると1ケ月。畠山さんはやりたいことがたくさんあるようだから、正直にいいました」
父の隣にいた母は分からなかったようなのですが、少し後ろにいた私には見えてしまいました。
父の手が震えているのを・・。今思うと、自分でも恐ろしいくらいに冷静でとにかく現実を受け止めよ
うと必死でした。涙を流している母、手を震わしている父を凝視していたのが異様だったと思います。
父:「そうですか。もうちょっと猶予があるかと思ってました。ハハ」
すると、ガン告知をされた時と同様私の方に向かってまいったなという顔でこっちを向いたのです。
私は笑いながら肩をポンポンとたたきました。こういう時にかける言葉ってあるんでしょうか・・。
気の利いた言葉や、励ましの言葉は思いつきませんでした・・・。
余命を聞くということに関して、私と母は意見が分かれました。私は絶対に聞いた方がいいと思っていま
した。反対に母は今でも、1ヶ月なんて先生に言ってほしくなかった。嘘でもあと3ヶ月と言って欲しか
ったといっています。理由としては希望がなくなったら人は生きていけないから。だそうです。
私の意見としては、というよりもし私だったらと考えるとハッキリした事が聞きたいと思うのです。
1ヶ月と3ヵ月に差が見出せません。普通に過ごしていて本当に何もしない一日があります。
でも、父の病気が発覚してから、そんな日はありませんでした。それが答えかな・・と思ったりもして。
母の意見が分からないわけではないし、父が何を望んでいたのかはわかりませんが、余命宣告という事に
関しては何が正しかったのか今でもわかりません。
その後は先生から今後の治療法について説明がありました。
病気を治すという意味では成す術がないこと。痛みを緩和することに全力を注いでゆきましょうと。
先生としては、最後まで父を診たいといってくださったのですが、父は家族に負担をかけるのが嫌という
理由で近所の病院に転院したい旨を申し出ました。(勝手に挨拶もすませてましたし・・)
今日退院させてくださいと父は言い張ったのですが、先生は受け入れ先の病院がはっきり決まって
いない状態で退院は心配でさせられません。とおっしゃいました。
もしかすると体裁もあるのかもしれませんが、すごく父の事を考えてくれているんだと感じました。
先生:「でも、二泊三日の外泊なら許可しますよ。具合が悪くなったらすぐ戻ってきてくださいね」
父:「ありがとうございます。じゃあ、外泊させてください」
なんの計画もなしに退院させようとしてた私達家族は、帰る準備だけは万端だったので父の荷物を片付け
早く家に帰ることだけに神経を集中させ、帰り支度を一心不乱にしていました。
帰りは先日お守りを持ってきてくれたO君がわざわざ迎えに車で来てくれるてはずになっていました。
仕事が休みということもあったのですが、いつくるかわからない電話を待っていてくれました。
待っている間例のごとく父が「タバコ吸いに行こう」と私を誘うので外にでました。
父:「1ヶ月で何が出来ると思う?」
私:「やりたいことやんなよ。意外と1ヶ月って長いよ。気の持ちようだよ」
父:「そうだよな。悔しいから2ヶ月生きてやる!」
私:「そうだよ。余命とか数値ってあてになんないじゃん。でも、姉ちゃんはどうする?」
父:「さすがに隠しておけないな、うまく言ってよ」
私:「わかった。でも、姉ちゃんの事は義兄にまかせてるから義兄に言うよ。」
父:「そうだな、それがいい。それと、お前外泊してる間に結婚式しろよ。」
私:「えぇぇぇ。無理だよそんなの。式場とってないもん」
父:「こうなったらどこでもいいじゃん。近しい人だけ呼んでやろうよ」
もう、この親子壊れ気味です。現実見すぎて会話が変ですね。
その後私は義兄に父が余命1ヶ月であること、病気の事を姉に宣告してもかまわないと言っている事を告
げました。義兄は絶句。「不死身だと思ってたのに」かなり印象的な言葉でした。
ついでに、私の結婚式をするかもしれない。ということを伝えました。
そうこうしているうちに、O君が迎えに来ました。
病気が発覚してからの初対面。父もO君も二人が歩みより固い握手を交わしました。
その後1時間ほど、不思議な空間の家路までのドライブが始まったのでした。
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家族っていいよね、それぞれの思いもあるでしょう、自分の事で大変なのに周囲の人への心遣いや家族への思いやり、凄いな〜私に出来るかな?きっと嘆いているだだけかも…やっぱ春さんは凄い人だと思うし、春さんを支えたご家族も素晴らしいですね。野毛の子供達は元気に野球に取り組んでいますか?此方の子供達は元気ですよ、活動をブログにしました→http://blogs.yahoo.co.jp/syounen89
2007/5/5(土) 午前 7:14
ほんとに良い家族ですね。私だったら何ができるんだろうと思います。春さんの人生って太く短く輝いてっていう感じがします。お互いに思いやれる家族がいて幸せだったんだろうなぁと
2007/5/5(土) 午後 7:54 [ ぴよまま ]
「不死身だと思っていたのに・・・」という言葉は印象的ですね。いつもブログを拝見するたびにほほえましく、人間らしく、そして、うらやましいと思える生き方を感じます。失礼だったらごめんなさい。だけど、素敵な終焉ですね。文章を拝見して、悲しみというよりも幸せな終焉を感じます。素敵な方ばかりに囲まれていたコン太春さん。そして素敵な方だったコン太春さんを感じます。
2007/5/6(日) 午前 7:56 [ 瀬名 ]
鮭児さん:子供たちは元気に野球をやっていますよ。でも鮭児さんのところのように子供がなかなか集まらないようです。学校自体にも子供が少ないので仕方がないんですけどねぇ。今年はベイスターズも頑張ってますし野毛にも頑張ってほしいところです!
2007/5/6(日) 午後 8:37
piyomamaさん:確かに太く短い人生だったと思います。やりたいことは全部やったと本人も言ってました。強がりかもしれませんけどね^^
2007/5/6(日) 午後 8:40
piyomamaさん:確かに太く短い人生だったと思います。やりたいことは全部やったと本人も言ってました。強がりかもしれませんけど^^
2007/5/6(日) 午後 8:40
瀬名さん:そうなんです。不死身だと私も心のどこかで思ってたのですごく印象に残ってるんですよ。娘が言うのもなんですが瀬名さんが言うとおり幸せだったと思います!家族は支えて当たり前だと思いますが第三者の方にまで家族のように接してもらえたんですから^^なかなかそんな人いないと思います。
2007/5/6(日) 午後 8:44
確かに余命を本人に告げるのは迷います。私の父は余命半年と言われましたが、結局本人には言いませんでした。本人は自分の命が長くないのを知っていたようですが…。でもお父様は幸せな人生だったと思います^^
2007/5/9(水) 午後 0:01
もろぼしさん:宣告に正解はないですよねぇ。人それぞれ・家族それぞれ・・。でも、私も父は本当に幸せな人だと思っています!
2007/5/11(金) 午後 6:56