コン太春&娘っこの部屋へようこそ!

なかなか更新できなくてすみません!!それからまだ慣れないので失礼があったらスイマセン!

愛犬コン太

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コン太と春ちゃん

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横浜はだいぶあったかくなってきました。

と、言うより私の会社ものすごく暑いです。おじさま方と暖房温度戦争勃発中です。

ま、そんな事はどうでもいいんですが^^今日は趣向を変えて

紹介したいものがあります!!

一枚目は愛犬コン太くんの写真です。写真を携帯で撮ったものなので

写りはいまひとつですが、可愛いくないですか?(親バカ)

2枚目は楽夢音屋さんが書いてくださった春ちゃんの似顔絵です。

10年くらい前の父にソックリです。

私には絵心が一切ないので、こんなステキな絵を描けるなんて尊敬してしまいます。

両方とも父がとっても気に入っていたものです。

今朝、さ〜て何を書こうかなぁ〜と本棚を探って、手に取ったのがタイトル〔すごい奴〕手作りの冊子でした♪

我が愛犬・コン太が7年前に亡くなった時、死に至った経緯や身近な人達からの追悼文をまとめた詳伝集です♪


先ずは、現在大阪で暮らしている長女のムコさんが寄稿してくれた〔短〜い手紙でゴメンネ〕を転載しますね。



    コン太君へ


あんまり遊んで上げられなかったね・・ゴメンネ。

天国でもきっと人気者だと思うけれど、

時々はお父さんやお母さんの作った美味しいものを食べにおいでよ。

僕の背中もツンツンと突っいてよ。

いつかまた会える日まで

その時は元気いっぱいで迎えてね。

僕のことも忘れないんだぞ。

泣けてくるから、ここまでにするからね。

バイバ〜イ!コン太!             短い手紙でゴメンネ AKIHIKOより





   続いて、コン太を我が家に連れてきた《張本人の》次女KAORIの追悼文です。




              私の自慢のコン太


何だコリャ!この生き物は?・・本当に犬の赤ちゃん?・・私がコン太を始めてみた時の感想である。

産まれて2〜3日目だったとはいえ、6匹のコン太兄弟はかなりグロテスクな物体という生き物だった。

でも、よ〜く見るとやっぱり可愛い・・『飼いたいな〜』と友人に言うと喜んで『あげる!』と言ってくれた。


コン太を我が家に連れてきたのは、あれから3週間ほど経った頃で 丸々と太った子犬に成長していた。

母には承諾を得ていたが、当時は動物嫌いの父や姉には何も言わず強引に我が家に連れて来たのだった。

内心ハラハラしていたが、父や姉は愛嬌のあるコン太を見て奇跡的にも飼うことを承諾してくれた!。


その後、お店の玄関先から急に飛び出して車にひかれそうになったり、他所の犬とケンカしたり、家出したり、

1才にも成らないのに、近所の老犬に子供を産ませたり・・珍事件を起こしながらもスクスクと成長した。

コン太の人間好きの性格が幸いしてか、近所の方やお客さんからとても可愛がられお店の看板犬となっていた。


私にとっては自慢の犬でもあり、弟のようでもあり良き相談相手でもあった。

私ごとだが、学生最後の花道?(バスケット部)県大会前にアキレス腱を断裂した時、

家族や友人達の前では強がって泣けなかったのに、コン太とは抱き合って泣いた・・

私の顔をぺろぺろ舐めてくれたことを昨日のように思い出す・・。やさしい奴だったんだよね・・。



そんなコン太も、人間年齢に換算すると50歳を超えているらしい。私を超え、姉を超え、両親さえも越した。

それでも子犬の時とちっとも変わらない元気なオジさん犬の筈だったのに、後右足が骨肉腫瘍であると診断された!

昨年の夏頃からケンケンするよ様になり打撲だと思って、父と温泉の素などで何度も入浴させたりしていたが、

獣医さんから『あと・・半年ぐらいの命かな〜』コン太が死ぬなんて・・この宣言は人生最大のショックだった。


父は可愛そうだからこのまま過ごさせよう・・と言ったが、母や姉は手術をしようと言う・・。

夜も眠れないほど迷った末、手術することで奇跡的に長く生きられるかも知れない・・、父に手術を懇願した。




退院の日、3本足になったコン太を見て何も言えない・・帰宅に向かう車の中は誰もが無言、コン太さえも・・

だが、退院して一週間が経った頃からコン太は以前より茶目っ気たっぷりに元気に動き回った!

校庭ではピョンピョンと子供等と追いカケッコしたり、お散歩では逆立ちオシッコで通行人等が拍手してくれた。


半年の命と宣告されたコン太は、手術してから1年が経った頃から咳き込むようになった。

診断の結果、傷口の処と肺ガンになっていた!


日毎に衰弱して行くコン太の姿を目のあたりにして『コン太、もう頑張らなくていいよ、早く逝って・・』

と心の中で思っている自分に驚く・・いつまでもいつまでも生きていて欲しいと思う気持ちとの葛藤に戸惑った。

そんな私に、コン太は懸命に尾っぽ振ってくれる・・何とむごい事を考えたのだろうと心から謝った・・。

『みんなとまだ一緒にいたいよう・・生きたいよう』と言うコン太の言葉が聞こえた・・。



平成11年5月20日、コン太の満11才のお誕生日に逝った・・あんなに頑張ったコン太が本当に逝った・・

眠っているようなコン太はいい夢でも見ているような安らかな顔をしていた・・。

夜にはたくさんの方々が来てくださり、人間好きのコン太は喜んでいるに違いないなと思った。

亡くなった時に、その人の価値が問われると言うがコン太の存在価値が私たち家族の想像を遥かに超えていた。

来る人くる人がコン太の身体を撫でながら涙ぐむ、いつも遊んでくれた姉の友人達は抱き合って泣いていた・・

たくさんの人達に愛され慕われたことが嬉しい・・やっぱり誇るべきコン太だったね!

ありがとうコン太!・・寂しい、悲しい、愛しい・・語りつくせないほどの思い出をありがとう!

コン太のこと一生忘れないからね・・コン太も忘れないでね・・。      コン太の姉 KAORIより

 近所の良くしてくれたおばあちゃんの葬式の準備等の為、本日の更新は無理となりました。

 以前に書いた『すごい奴・3本足のコン太・・』を転載しますので読んでやって下さいね♪

 コン太とは、今は亡き3本足の『愛犬』の名前なんですよ。よろしくお願い致します♪


           *****************


            すごい奴!、3本足の愛犬コン太



 話しは、1988年(昭和63年)6月初旬、今から18年前から始まります・・


 横浜の下町にある、我が店(郷土料理店)の前に、見なれぬタクシーが横づけされ、

 高校生の制服姿の次女が、大事そうにダンボールを抱えてニコニコしながら降りて来たのです。

 次女は店内に入るや、ダンボール箱をすぐさま開け『可愛いでしょ?、飼ってもいいでしょ?』

 なんと!箱の中身は!大人の手に乗るほどの、小さな小さな栗毛色のチビッコ犬だったのです。

 『何犬だ?』って聞くと、娘は『神奈川犬だよ』『神奈川県?????』

 つまり、ミックス犬(シェパード+ラブラトル+毛深い犬?)雑種だったのです(笑)



 事前に何の相談もなく、次女らしい要領のいいやり口だぁ・・有無を言わせぬ強行突破でありました!

 店内を『クゥーン クゥーン』あっちこっち、チョロチョロしてはスッテンコロリン!!

 転倒するたびに家族の笑いを誘いましたが、娘いわく 『きっとお母さん犬を探してるんだよね・・』

 健気に親兄弟を探し求めている子犬の姿に、我が家族からは笑いが消えました。



 私が美少年頃?の新聞配達中、柴犬に足首を噛まれてからはどんな小さな犬でも恐いし・・大嫌いでした。


 そんな父親だから、長女には犬や猫、鳩にさえ近づく事を制止してた程の(当然ながら)動物嫌いでした。

 動物嫌いの長女も私でさえも、何故か この子犬に愛着を感じスンナリと飼うことを受け入てしまいました。



 当アバターの子犬をご覧下さい!この犬よりもう少し毛深く・・う〜ん、顔はライオンに近い毛並みでした♪。

 早速、名前を? 家族の満場一致で『コン太』と命名しました♪♪ 家族が4人と1匹になりました!!



 この時から11年間生存するのですが、ご近所や大勢の人々に可愛がられ、大勢の人々を和ます、

 『凄い犬』とか『賢い犬』と、後世まで世間様から可愛がられようとは思いもよりませんでした。




 〜〜時は流れ〜〜、成犬となったコン太は餌を与えなくとも様々な事を次ぎから次ぎと覚えました。


 コン太の得意技・・数を数える、歌える、店内では吠えない、信号は青で渡る、人の会話がホボわかる、

 お客に骨付きウィンナーをせびる、子犬に優しく大型犬に厳しい、お婆さん犬を腹ます、夜は番犬、

 昼間は近子供達のアイドル、草むらのボール発見NO1、どん速部員を吠えながら追っかける、

 私には完全服従、口笛ひとつで如何なる場所から(メス犬ナンパ中でも・・)すぐ戻る・・・・・。


 親バカと言われようが飼い主のアホと言われようが、書き切れない逸話があり、本当に賢い犬でしたよ。




 名犬コン太は、1997年夏(平成9年)いつもの通り低学年のチビッコ達と戯れていた時に異変が!

 後ろ右足を引きづり・・ケンケン足で走っているのです????。

 『ピィー!!』と口笛吹くと、何時もの様に直ぐ戻って来るのですが、やはりケンケン・・




 近所の獣医ではラチはあかず、見切りをつけて藤沢市日本大学動物病院での診察・・の結果、

 『右後ろ足が骨髄ガンに侵されています・・』!!

 転移を防ぐ為にも急遽 右後ろ右足の切断が宣告されたのです・・



 3本足のコン太を想像しただけでも可愛そうなので、安楽死をと娘等に言いましたが、

 ふたりの娘と妻に泣きながら、手術を懇願されてしまったのです・・。

 3;1・・『手術をして上げようか・・』と、手術する事を決心しました。



 1か月の入院を経て、コン太は無事に帰宅しました。

 近くの子供達やおばチャン達もたくさん見舞いに来てくれましたが、

 当のコン太は、伏せをしたまま大きく長いシッポをパタパタと振るだけ・・。



 歩行のリハビリ、オシッコの練習(習性で1本足X・・逆立ちでする)日毎に元気になり、

 再び、少年野球の放課後練習に私と一緒に同行する事にしました!


 犬好きの校長先生はじめ、沢山の児童や先生方に『3本足のコン太』は拍手で迎えられましたぁた!

(後日談・・私とコン太は5〜6年生の情操教育の一端として講師になりコン太の半生を講演しましたよ)


 放課後に残っていた児童や我が部員達には、見慣れぬ当初は奇異な目で恐るおそる接していましたが、

 数分も経たぬ内、何時ものワン!ワン!と軽く吠えながらコン太がちびっこ部員達を追っ掛け出しました!

 3本足ですので、ややカンガールのような感じで?ピョンピョン走り回る事が出来ていました♪。




 1999年春、あれほど外へ出掛けたがり屋のコン太が・・身動きするのが億劫になって来てました。


 獣医さんに言われた寿命よりは、1年間は延命しているだけに心配・・食欲も無く・・目にも力がない・・


 5月20日午後3時過ぎ、放課後練に誘ったのですが、行きたい目つきはするものの身体は全然反応せず・・


 実は昨晩、オシッコも出なくなり、余りにも可愛そうなので、

 安楽死を獣医さんに頼もうかと家族と相談していたのです・・・・。


 『直ぐに帰ってくるからな、頑張れよコン太!』と抱きしめてあげたのが私とは最後の別れとなりました。



 校庭で午後4時の下校のチャイムと同時に、部員達を集合させる為に口笛を吹きました!ピッピー!!


 後で知った子とですが・・・丁度、コン太が息を引き取ったのは4時ピッタリだったそうです・・


 11年前、我が家にコン太を連れて来た次女がネンザの為にバスケット部の部活動を休んでいたので、

 コン太の最後は二女が抱いてあげてる時に息を引きとったんだそうです・・・





 いつもは絶対に上がらせなかった、お店の座敷にコン太の亡がらを小さな布団に寝かせて上げました。


 何処で聞きつけたか、たくさんの方々がお焼香に来てくれました、泣いてくれました・・。


 臨時休業のお店の中はお花で埋め尽くされ、入れ替わり立ち代りの弔問者・・娘達の友達も・・部員も・・

信号を青で渡る事を教えてくれた、豆腐屋さんのヒーローも、いつもじゃれ合っていた洗濯屋のジミーも

虎吉、その息子タイガーも、オカラ、梅干オバさん、チェリー・・・近所犬勢ぞろいで来てくれました・

 この夜だけで、コン太を可愛がってくれた常連さんや近所の人達、100人以上も掛けつけてくれたのです!! 



  何よりも、死んで初めてコン太の偉大さを知りました!!!・・親分は気が付きませんでした・・


          平成11年5月20日午後4:00  コン太 永眠
          (昭和63年5月20日生れ)


     コン太の奴め!、11歳の誕生日に死ぬとはやるじゃないか!!すごい奴だ!!








   やはり、完璧な親馬鹿でした♪『すごい奴』愛犬・コン太の冊子を作っちゃいました♪♪

     ハンドルネーム=コン太+私の愛称・・昨夜、久しぶりにコン太の夢を見ました・・コン太春

転載元転載元: コン太春の部屋へようこそ!

 近所の良くしてくれたおばあちゃんの葬式の準備等の為、本日の更新は無理となりました。

 以前に書いた『すごい奴・3本足のコン太・・』を転載しますので読んでやって下さいね♪

 コン太とは、今は亡き3本足の『愛犬』の名前なんですよ。よろしくお願い致します♪


           *****************


            すごい奴!、3本足の愛犬コン太



 話しは、1988年(昭和63年)6月初旬、今から18年前から始まります・・


 横浜の下町にある、我が店(郷土料理店)の前に、見なれぬタクシーが横づけされ、

 高校生の制服姿の次女が、大事そうにダンボールを抱えてニコニコしながら降りて来たのです。

 次女は店内に入るや、ダンボール箱をすぐさま開け『可愛いでしょ?、飼ってもいいでしょ?』

 なんと!箱の中身は!大人の手に乗るほどの、小さな小さな栗毛色のチビッコ犬だったのです。

 『何犬だ?』って聞くと、娘は『神奈川犬だよ』『神奈川県?????』

 つまり、ミックス犬(シェパード+ラブラトル+毛深い犬?)雑種だったのです(笑)



 事前に何の相談もなく、次女らしい要領のいいやり口だぁ・・有無を言わせぬ強行突破でありました!

 店内を『クゥーン クゥーン』あっちこっち、チョロチョロしてはスッテンコロリン!!

 転倒するたびに家族の笑いを誘いましたが、娘いわく 『きっとお母さん犬を探してるんだよね・・』

 健気に親兄弟を探し求めている子犬の姿に、我が家族からは笑いが消えました。



 私が美少年頃?の新聞配達中、柴犬に足首を噛まれてからはどんな小さな犬でも恐いし・・大嫌いでした。


 そんな父親だから、長女には犬や猫、鳩にさえ近づく事を制止してた程の(当然ながら)動物嫌いでした。

 動物嫌いの長女も私でさえも、何故か この子犬に愛着を感じスンナリと飼うことを受け入てしまいました。



 当アバターの子犬をご覧下さい!この犬よりもう少し毛深く・・う〜ん、顔はライオンに近い毛並みでした♪。

 早速、名前を? 家族の満場一致で『コン太』と命名しました♪♪ 家族が4人と1匹になりました!!



 この時から11年間生存するのですが、ご近所や大勢の人々に可愛がられ、大勢の人々を和ます、

 『凄い犬』とか『賢い犬』と、後世まで世間様から可愛がられようとは思いもよりませんでした。




 〜〜時は流れ〜〜、成犬となったコン太は餌を与えなくとも様々な事を次ぎから次ぎと覚えました。


 コン太の得意技・・数を数える、歌える、店内では吠えない、信号は青で渡る、人の会話がホボわかる、

 お客に骨付きウィンナーをせびる、子犬に優しく大型犬に厳しい、お婆さん犬を腹ます、夜は番犬、

 昼間は近子供達のアイドル、草むらのボール発見NO1、どん速部員を吠えながら追っかける、

 私には完全服従、口笛ひとつで如何なる場所から(メス犬ナンパ中でも・・)すぐ戻る・・・・・。


 親バカと言われようが飼い主のアホと言われようが、書き切れない逸話があり、本当に賢い犬でしたよ。




 名犬コン太は、1997年夏(平成9年)いつもの通り低学年のチビッコ達と戯れていた時に異変が!

 後ろ右足を引きづり・・ケンケン足で走っているのです????。

 『ピィー!!』と口笛吹くと、何時もの様に直ぐ戻って来るのですが、やはりケンケン・・




 近所の獣医ではラチはあかず、見切りをつけて藤沢市日本大学動物病院での診察・・の結果、

 『右後ろ足が骨髄ガンに侵されています・・』!!

 転移を防ぐ為にも急遽 右後ろ右足の切断が宣告されたのです・・



 3本足のコン太を想像しただけでも可愛そうなので、安楽死をと娘等に言いましたが、

 ふたりの娘と妻に泣きながら、手術を懇願されてしまったのです・・。

 3;1・・『手術をして上げようか・・』と、手術する事を決心しました。



 1か月の入院を経て、コン太は無事に帰宅しました。

 近くの子供達やおばチャン達もたくさん見舞いに来てくれましたが、

 当のコン太は、伏せをしたまま大きく長いシッポをパタパタと振るだけ・・。



 歩行のリハビリ、オシッコの練習(習性で1本足X・・逆立ちでする)日毎に元気になり、

 再び、少年野球の放課後練習に私と一緒に同行する事にしました!


 犬好きの校長先生はじめ、沢山の児童や先生方に『3本足のコン太』は拍手で迎えられましたぁた!

(後日談・・私とコン太は5〜6年生の情操教育の一端として講師になりコン太の半生を講演しましたよ)


 放課後に残っていた児童や我が部員達には、見慣れぬ当初は奇異な目で恐るおそる接していましたが、

 数分も経たぬ内、何時ものワン!ワン!と軽く吠えながらコン太がちびっこ部員達を追っ掛け出しました!

 3本足ですので、ややカンガールのような感じで?ピョンピョン走り回る事が出来ていました♪。




 1999年春、あれほど外へ出掛けたがり屋のコン太が・・身動きするのが億劫になって来てました。


 獣医さんに言われた寿命よりは、1年間は延命しているだけに心配・・食欲も無く・・目にも力がない・・


 5月20日午後3時過ぎ、放課後練に誘ったのですが、行きたい目つきはするものの身体は全然反応せず・・


 実は昨晩、オシッコも出なくなり、余りにも可愛そうなので、

 安楽死を獣医さんに頼もうかと家族と相談していたのです・・・・。


 『直ぐに帰ってくるからな、頑張れよコン太!』と抱きしめてあげたのが私とは最後の別れとなりました。



 校庭で午後4時の下校のチャイムと同時に、部員達を集合させる為に口笛を吹きました!ピッピー!!


 後で知った子とですが・・・丁度、コン太が息を引き取ったのは4時ピッタリだったそうです・・


 11年前、我が家にコン太を連れて来た次女がネンザの為にバスケット部の部活動を休んでいたので、

 コン太の最後は二女が抱いてあげてる時に息を引きとったんだそうです・・・





 いつもは絶対に上がらせなかった、お店の座敷にコン太の亡がらを小さな布団に寝かせて上げました。


 何処で聞きつけたか、たくさんの方々がお焼香に来てくれました、泣いてくれました・・。


 臨時休業のお店の中はお花で埋め尽くされ、入れ替わり立ち代りの弔問者・・娘達の友達も・・部員も・・

信号を青で渡る事を教えてくれた、豆腐屋さんのヒーローも、いつもじゃれ合っていた洗濯屋のジミーも

虎吉、その息子タイガーも、オカラ、梅干オバさん、チェリー・・・近所犬勢ぞろいで来てくれました・

 この夜だけで、コン太を可愛がってくれた常連さんや近所の人達、100人以上も掛けつけてくれたのです!! 



  何よりも、死んで初めてコン太の偉大さを知りました!!!・・親分は気が付きませんでした・・


          平成11年5月20日午後4:00  コン太 永眠
          (昭和63年5月20日生れ)


     コン太の奴め!、11歳の誕生日に死ぬとはやるじゃないか!!すごい奴だ!!








   やはり、完璧な親馬鹿でした♪『すごい奴』愛犬・コン太の冊子を作っちゃいました♪♪

     ハンドルネーム=コン太+私の愛称・・昨夜、久しぶりにコン太の夢を見ました・・コン太春

亡きコン太に捧ぐ

当ニックネーム、konntaharuchanとは七年前にガンで亡くなった愛犬名(ミックス犬=雑種)と自分の愛称の名を合体させたものです。

飼い主が言うのはおこがましいのですが、亡きコン太はまれにみる利口な犬でした。

当少年野球部の走塁コーチであり、お店では絶妙のタイミングでおねだりする迷ホスト犬、酩酊した客には玄関先で入店させません、我々人間の会話はほぼ聞き取りますし、娘と一緒に歌も唄いました。

最後の一年間はガンのため右足(前足)を切断。その後、三本足にも係わらず近所のメス犬に日毎アタックしていました!!。(近所に血筋犬数匹います)

お客様や近所の方々が葬式に120名も来てくれ、奥座敷がお供養花でいっぱいとなりました。
娘(当時学生)の友達が泣きながら徹夜で線香番してくれたり、著名な作家の方が遺稿本も書いてくれました。

最後の最後の早朝、グランドに向かう私に弱々しい眼差しで、さよなら・・と言ってくれたことがいまだに忘れられません・・。

ちなみに、幼い頃、新聞配達中(富良野市時代)大型犬に噛みつかれて以後動物に触れたことの無いほどの動物(特にペット)嫌いでした。亡きコン太と出会ってからは大の動物好きとなりました。
ペットといえ、ひとによっては元気の源になるのかもしれませんネ。

では又。

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