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2009年10月7日(水) 前&前々の記事よりつづいており、 ややうっとうしい連載。 せっかくなのでもう一記事書くもんね。 明日は大型台風上陸と言われ、 前線が影響を受けてすでに大雨状態の中、 それでも小江戸・川越を たのしく散策してます、ワタクシ。 悪天候に負けないオンナ、こにゃくう。 歩きに歩いて ご先祖様の勤務先だった川越城跡を目差すのさ。 →は大手門跡にある川越市役所&太田道灌氏。 (川越城は道灌が造ったという説があるから) ■突然ですが、川越グルメ情報。 川越城大手門跡、現市役所前にそば屋。 店構えがすてきだったので 入店&いただきます♪したい気持ちを ぐっと堪え、デジカメ撮影で我慢。 (この後、夕食の約束があるのでね) 手打ちそば「百丈」(HP) なんだかレトロ&モダンでいい感じな外見。 約80年前の商家を改装しての営業。 国の登録有形文化財。 前々の記事でおまんさまが 「手打ち蕎麦の店が好きで何度か行きました」 とコメントくださったのはこの店のことではないかしら? おいしい蕎麦屋さんなのではないだろうか? ・・・次回、次回こそは・・・ ■城は遠い! 大手門からかなり歩いてもなかなか着かない。 大雨だし。 しかも『本丸御殿は修理中で休業』と掲示が。 悪天候に負けないオンナのはずだけど へこたれて途中の川越市博物館に逃げ込む。 ついでに見学。 →の画像は川越市オフィシャルサイトからパクリました。 だって大雨で外観の撮影をする余裕がなかったんですもの ■江戸時代の川越城下のジオラマがあった。 おー。 これは興味深い。
(受付で撮影許可を得て写しました)
■前々回の記事で「川越に越してきたご先祖が住んだ町」と記事に書いた「六軒町」は たぶんこの◯印の辺り。 へ〜え…武家の家といっても農作物を庭で作ってたりして なんとも、のどかな風情の暮らしだったね。頂く給米だけでは生活が苦しかったりして? 実家先祖のお家もこんな感じだったのかもね。 ■展示物を順に見ていてこんなコーナー発見。『藩校ー講学所と長善館』 ■『長善館』って・・・ 父の書き残した実家の来歴にあったよーな? ←12代の相致氏が『懲善館素読助手となり…』って 書いてあるじゃん! 藩校で助手やってたんだー。 年齢は20才ごろみたいだから 今に置き換えて考えると… 「学習塾のバイト講師」って感じかな〜? ふーん。 ご先祖様がリアルに感じられます。 ※父の書いたものは「懲善館」となってます。 たぶん、父またはその前の代で「長」を 「懲」に取り違えたのかも。 娘のワタシ、息子の兄、そして孫のこにゃくうムスメたちにも読めるように、と 難解な先祖の記録を父が現代文字で書き直してくれたのが「◯◯家代々の人々」なんですが もともとは、この江戸末期のバイト講師・12代相致氏の書いた「相致日記」が主なベースなのです。 12代相致氏は来歴を調べたり、書き残すのが好きな人だったようだ。 なんか…せっせとブログやって日常を記録に残そうとしている自分に似ているかも。 相致さん、今生きてたら間違いなくブロガーやってただろうね! 我らは書き物大好きな家系というワケですわね。 さて、大雨の中の川越・ご先祖足跡めぐりの散歩もこの辺でおしまい。
夕食はオットと川越で待ち合わせです。 そろそろ、会社が終わったオットが西武新宿線でこちらへやってくる時間。 今宵はオットとサツマイモ尽くしの料理屋さんでごはん食べです。 ディナー編については「つづく」でございます。 |
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2009年10月27日
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