極楽な日々

オット・ムスメ・猫を各1名もつ主婦・こにゃくうです。喰う・飲む・遊ぶの極楽生活

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2009年12月24日

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09年6月に父を亡くしたこにゃくう。
過去の記事でも語った事ですが
父の死後、
父が実家の来歴を綴った書き物を発見した。

江戸末期の先祖(11代、12代)が
埼玉県川越で維新をむかえた記述を読んで
急遽、川越探検をしてみた記事は
以前お伝えした通り。


 ※過去記事・川越でご先祖様の足跡探索




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 明治維新を境に
 士族だった実家先祖は失業したわけで
 川越を離れて東京に出ることを決心したようだ。

 以後、実家の東京時代が始まる。
 実家13代にあたるこにゃくうの祖父は
 両親を亡くした後、幼い兄弟と
 東京の荒木町で過した、と書いてある。
 超ビンボー学生な暮らしだったはずだ。

 金はない。
 けど若さはある!
    そんな祖父の青春の町を見に行こう。

        実家の明治39年の戸籍を取り寄せてみたところ、
        祖父の本籍は「新宿区荒木町27番地」って書いてあったんだ。
        20代前半の祖父の住まいがそこにあったはずだ。
        今のどこに当るのだろうか・・・?       

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       ■こにゃくうは都営新宿線の曙橋駅から歩いて来ましたよ。田舎町・海老名からは遠かったよ〜
        さて、ここが東京都新宿区荒木町です。
        うひゃー。 なんだかごちゃごちゃした町だあ。 道路幅もまあ!狭いこと。
        車力門通り。 をを。なにやら床しい、お江戸な通り名。

     お江戸な名前なのには訳がある。
     江戸時代まではこの荒木町がそっくりそのまま
     美濃の三万石大名、松平摂津守(まつだいらせっつのかみ)の大名屋敷だったのでした。
 
     (美濃高須藩は名門で、後の会津藩最後の藩主・松平容保の生家でもあります)

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      ■左が1856年の江戸時代地図。        ■右は平成18年の荒木町の地図ね。
       徳川マークの付いた大名屋敷の形が、そのまま現在の荒木町に重なることがおわかりでしょう。

     じいさん、大名屋敷跡に住んでたのか?!


     では、
     荒木町デジカメ写真集、いってみよーう。
     気になる風景がテンコ盛りだったのよん♪

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■荒木町は実に不思議な地形をしている。
 いわば、すり鉢のような地形の町だ。
 クレーター形状の町だ。
 幹線道路である外苑東通りから
 荒木町の心臓部に入り込むと
 一気に急階段が現れ
 地の底へと
 ぐんぐん下ってゆく羽目になる。
    ・・・ビビンバ食べ放題500円。
    ・・・安い。

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■階段は1本や2本ではなくて
 底に向かって何本も
 何方向からも坂が現れる。
 石畳が敷かれた、
 ちょっと艶な坂道もあった。

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■印象的なこの急階段。
 荒木町の町内地図には
モンマルトルの階段」と書かれてたw
 ちょっと強引だけど
 気持ちはわかるので
 許すw

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■何本もの坂と急階段は
 すり鉢の底に終結する。
 ここが、そのすり鉢の底。
 「津の守弁財天」だ。
松平摂津の守を「ツノカミ」と呼び習わしたのだね。
 上↑の江戸期地図の屋敷内に池がありましょ?
 その池の成れの果てが
 この弁財天なんだよー。
 
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  ■江戸の頃は、大名一家が回遊したり、小舟を浮かべたりする池だったのだろうね。
   滝もあったらしいよ。 この様子からではイメージすることすら難しいけど。
   今ではみごとにマンションやビルに取り囲まれた、水溜りか?
   井戸も存在するから、一応、水脈は残ってるようだね。 弁天様も居心地悪そうだなあ。

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■松平の屋敷跡のニオイがするものは
 この弁天様くらいしかない。
 摂津の守は明治維新後、
 この屋敷の土地の大部分を手放した。
 民間に払い下げられた屋敷跡には
 明治早々に、庶民が住むようになる。
 が
 滝も備わった池の風景のよさを目当てに
 人々が行楽に集まるようになった。
 自然と茶屋ができ、芝居小屋ができ。
 飲み屋ができ、芸者の置屋ができ。
 元大名屋敷は
 庶民の遊興地に変身したのでした。

どうやら、じいさんはそんな遊興地に住む若者だったらしい


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■フラフラと階段を昇り降りしていて
 お茶屋さんを発見。
 今でも現存する花街の片鱗なのねえ。

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     ■こにゃくう好みの
      ちょっとイイ感じのお店。
      さかもと。
      ガラス越しに覗き見したら
      店主様と目が合ってしまった(恥)
 
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  ■今でも
   ほとんどの店は
   高級な料亭、お高い飲み屋
   じゃなくて
   庶民が行くような
   スナック系
   居酒屋系
   しかも昭和風味満載。
   そんな飲み屋が路地の脇から
   坂道の途中から現れる。
   楽しい♪

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  ■わき道、小道。
   迷路にラビリンス。
   裏道が大好きなこにゃくうは
   もう楽しくて、楽しくて〜。
   デジカメしながら
   裏道潜入。
   見ようによっては
   怪しい人。

     フジテレビがお台場に移るまでは本社が荒木町のすぐそばの河田町にあったので
     この昭和な花街もそれなりに賑やかだったらしい。
     不況のあおりもあるし、今ではなかなか厳しいんだろうなー。

で、じいさんの住所、荒木町27番地とはどこなのか?という疑問


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■実は・・・
この探索の前に新宿区役所を訪問し
明治期の荒木町の地図はないかと
協力を仰いだのでした。
←住居表示課さんが提供してくれた
 明治40年の荒木町の地図。
 じいさんが戸籍を作った
 明治39年と同時期だ!

  明治の荒木町、ほとんどが27番地じゃんっ


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■まーったくもう!
 ザックリな住居表示をありがとう、
 明治時代のお役人さま(泣)
 ということで
 若きじいさんの住まい跡は
 ピンポイントでは解らずじまい。
 でも
 こんなお酒と芸者と
 芝居と物見遊山満載の町で
 青春をすごしてたんだね。
 マジメに勉強&仕事してたのかな、じいさん?
 アヤシイ・・・(¬¬)

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   ■こにゃくうはこのじいさんに会ったことはない。 
    昭和20年10月、終戦の栄養事情の悪い中で亡くなっているからだ。
    一度も会ったことない祖父なのだが、父が亡くなった今になって彼の人生が非常に気になってきた。

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■こにゃくう同様、酒好きだったことは
 間違いないだろう。
 こんな町に住んでいたんだもんね。
 今なら楽しい話が聞けただろうに。
 
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■さて闇がいい感じにやってきた。
 荒木町が本当の姿を見せる時間だな。
 今宵、こにゃくうは
 オットとその知人たちとの飲み会に
 混ぜていただく約束があるのだ。
 場所は
 偶然にも荒木町の居酒屋なのでした。
 いってきまーす。
 がっつり呑んできまーす。
 (居酒屋やまちゃんというお店)
    
 
 
 

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