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※当記事は非常に個人的なつまらない物でとなっております。
お付き合いいただける方はどーぞお読みください。
こーいう内容をネット上にアップするのはいかがなものかと思う。
自分のルーツ。
詳細に記述すればするほどまずいでしょ。
個人情報を晒したらダメなのは常識でしょ。
でも書くお。
ようやく探し、そして今でも探索中の自分のDNAのおはなし。
どこかに記しておかないと
忘れてしまいそうだから。
非常に筆マメな人で、
一家の来歴を一冊の書き物にして残していた。
先祖の来歴になど興味ナイ娘(ワタシ)と息子(兄です)が
いつか奇跡的に先祖の事を知りたくなった時の為に、とでも思ったのだろうか。
↑の父が書き残した「島崎家代々の人々」をめくっていた時。
『八代目登右衛門には男子がなく・・・(略)・・・』
参州 (三河国、今の愛知県)高落村順覚寺から養子をもらった
と書いてある。
ふーん・・・
八代目登右衛門の没年は安永元年、1772年。
ざっと240年前の話だね。
今は便利な世の中だ。
ワタシは目の前のPCに「高落 順覚寺」と入力してみた。
順覚寺、あった!
先祖八代目に後継ぎが無く
養子にもらった九代目。
その九代目はこの寺の子で
松崎恒助という少年だったらしい。
順覚寺、今でも現存していた〜(驚)
俄然、順覚寺に行ってみたくなった。
オットにつきあってもらって千葉から愛知県JR岡崎駅へ。
やや寂れ気味の駅ですなw
朝夕で1時間に2本、日中は1時間に1本という
少ないバス便だ。
すぐに見渡す限りの農地になる。
遠くを東海道新幹線が走っているのが見える。
田舎だなー。
240年前はどんな様子だったのだろう。
いや、農地って今よりずっと大切だったから意外と人が多かったのかも?
バス停から歩いて10分ほどで
再び住宅地になる。ここが現在の「高落町」
240年前は「高落村」だった集落だね。
をを!
あれが現在の順覚寺です。
ワタシはここ順覚寺さんにお手紙を出した。
以下、その抜粋。
順覚寺さんの現ご住職からメールで返信が来た。
本日、手紙を受領しました。 順覚寺自体は江戸時代からあった。
が、代々の住職の血縁はもう途絶えてしまっている。
現ご住職もお父様が昭和62年にここの住職に就任した縁で
今、こうして住職をしているに過ぎない。
江戸時代の住職一家のことは
記録が火事で焼けてしまって何も分からない。
併せてお電話もくださった。
「住職を務めているが住まいは別で、お寺は無人寺です」
「江戸時代の火事で焼失した分もあるし、
伊勢湾台風(昭和34年)で寺自体もほとんど壊滅してしまいました。
過去帳一切もその時に流失してしまいました」
「江戸期はもっと敷地も広く、寺勢もあったと聞いています」
なるほど。
境内を徘徊させていただくわ。
建物も比較的新しいし
おっしゃる通り、江戸時代を偲ぶものは何もない。
残念だ。
確かに、この距離では大型台風が来たときは
即、水没だったでしょうね。
本堂を堅牢なコンクリート製にしたのも
伊勢湾台風の教訓からかしら。
江戸時代と変わらないか・・・な?
たぶん、10代後半くらいの年齢で
ワタシの実家、島崎家に養子に来たのだと推察する少年、
松崎恒助改め、島崎相親くん。(すけちかと読む)
貴方が見た風景はこれと一緒ですか?
同じ場所に立てただけでもうれしいな。
相親くんの実家跡は突き止めた。
この後、相親くんを追って
ワタシとオットは島根県浜田市に行きます。
それはまた後日・・・
(2015年12月14日訪問)
≪2018年5月22日追記:セルフ・ファミリーヒストリー浜田編書きました≫
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