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(1013年の手帳と今年の。目が良く見えない状態で書いた入院記録)
昨年(2013年)7月4日に脳腫瘍の摘出してICUから一般病棟に戻ってからの事です。
ICUには2日いただけです。
手術は頭部ですから術後に覚醒するとすぐに常食が出されるくらいの扱いです。(内臓は健康という事で)
でも、頭部は大きなヘルメットを被せられているような感じで圧迫包帯がグルグルギューギュー。
頭蓋骨を切った部分を元に戻した後はでチタンプレートをボルトで止めて固定してあるそうです。
そして皮膚の縫合は一般的な糸ではなくて、ホッチキス。
エレファントマンのように大きくなった頭は思うように動かない。
鎮痛剤が効いていないとプレートの部分が枕に当たるとゴツゴツ痛い。縫合した部分も痛い。
西表から長男君が来た時に持ってきてもらった小さな羽毛枕でどうにか堪えましたが、寝られない。
体の位置を変えても頭がゴツゴツしてどこも痛みがあり、右手は手術前から入れられた留置針から点滴がつながり思うように動かせない。針が入っている部分も痛みが出てきた。
食事はしばらく食欲ないしご飯が食べられなくておかゆ食に変えてもらって少しづつ食べました。
でも、目を開けても目薬を差した状態で見ているような感覚で視界がユラユラ漂う。
食べてるものがしっかり見えない。
そして右側が視野狭窄?真横まで見えないんです!
2.3日我慢していたけど眠れないなら痛み止め使ってもいいんですよと看護士さんから教えてもらい改めてそうか!という事で4日目から夜は鎮痛剤を使ってようやく寝られるように。あ〜良かった。
2日ほどはトイレも看護士さんにお願いして車イスで移動しましたが視界は漂うけど立てるし歩けるので自分でいきました。
看護師さんたちは動けたら動きなさいという考え。私も弱気でいるより自分で動くタイプなのでかなり最初から動きました。
術後3日目に看護士さんが車イスで病棟の中を散歩させてくれて、窓際で少しゆっくりしてとそのまま行ってしまったのですが、しばらくすると肌寒い。
他の看護士さんを呼び止めて病室に戻りましたが、そのあと微熱が続いてしまいました。
3日目でお散歩は早すぎたみたい。
留置針が痛いので手の甲から外し左の腕から点滴を入れることにしましたが、からだはだるいし深夜も点滴の交換があり熟睡はあまりできない。
点滴を入れると気持ち悪くなってきて、止めたい…とつぶやいた。
「食事がちゃんと取れてたら外しますよ」
その一言で無理しても食べるように頑張った。検診の時には食べてます!と返事。
そして術後1週間。11日の午後に抜糸となりました。
グルグルの圧迫包帯を取るとふわっと頭が自由になった。圧迫され続けて頭の芯までつぶれていた感じ。
まとわりついていた髪の毛も切って包帯を取りのぞきホッチキスの針を抜いていきました。
痛みは無かったですね。
取り残しは無いよねなんて頭を探りながら言うもんだからドキッ!
でもすべて取れたようです(看護師さん曰く取り残しもあるそうです!後日ちゃんと取ったそうですが)
頭スッキリ♪久しぶりに爽快感を感じずっと痛みや重みを感じていたものが無くなりようやく人心地つきました。
それにしても…
この1週間がキツカッタ。最悪です!
こんな思いは2度としたくない!死んだ方がましだ!
なんて思いました。そんくらい辛くてしんどい1週間だったのです。
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病気の事
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詳細
私の人生の中でも大変な出来事だった入院手術。ここに記録しておきます。
コメント(8)
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昨年の顛末の続きですが、
半年前になるんですね。早いもんです。
2013年7月4日、カテーテル手術からちょうど1週間、CTやMRIで経過を確認し血流は確実に止まり腫瘍部がしっかり確認できている。
前日に麻酔科医の説明が前回と同様にあったのだけれど、今度は救急救命士の人が同行していて麻酔の説明後、先生がおもむろに「大学病院の役割の一環として若い人たちに経験の場を与えるという事がある。彼は救急救命士だがここで気道を確保するためのチューブを気管に挿入するのを彼にさせていただけないか」と申し出があった。いわゆる気管チューブの挿入の練習という事。経験が無いわけではないが機会があるごとに鍛錬を積もうというのだろうけど…なんか怖い。
少し悩んで「できればお断りしたい」と言ってしまった。ごめんなさい若い救命士さん。
何てこともあった翌日の早朝。
看護師さんが来てあれこれ指示してくれて手術着に着替え足を圧迫するキツイ靴下をはき、まだ治験段階なのかな腫瘍を光らせるための薬を飲み、長時間の手術のための飲み辛いドリンク剤を飲み待機してました。
腫瘍を光らせるというのはテレビで見たことがありました。光を当てるとがん細胞だけが光るので部位を特定しやすくなり手術が的確に行える。まさか自分が経験するとは思いませんでした。
錠剤ですがその薬を飲むと光るんですって。自分で見てみたいと思ってしまった。
担当医がきて点滴を付け、8時30分さあ時間です。
姉、兄夫婦、年老いた母に見送られて手術室へ向かいました。
この見送る場所ですが、私の場合病室のフロアの入り口でしたが他の人は手術室のエレベーターまで来ていたりしてまちまち。私も手術室に入るところまで見届けてほしかったなと思ってしまった。
手術室の入り口で本人確認しいざ入室。ざわざわと落ち着かない雰囲気の中また点滴を付けられちょっと痛いなあなんて思っていると左側に誰か。前日の麻酔医ではない別の先生が点滴のいじっている。
「背中が温かくなってきましたか?」と聞かれたけどそんな感じがしない。
「体が温かくなったら言ってください」と声をかけられたので「はい」と言ったつもり。
温かくなったら…言わなくちゃ…。。。
気が付くと、手術は終わってました^^;。
何だか頭が包帯でグルグルの塊みたいな感じ 、痛みもないけど朦朧としてる。そして薄目を開けるけどぼやけていて周りが見えない。目に油でも流したみたいな感じではっきりしない。
今度はストレッチャーに乗せられて移動してる。
もっとゆっくり動かして。ちょっと乱暴よ。心の中でうったえてみたけど何だか力が抜けていく。。。
ICUに移されて朦朧とした状態で家族に再会しそこで摘出した腫瘍の入った小瓶を見せて主治医が綺麗に取れましたよ。と説明していたみたい。私はすかさず長男君にやっと出たか細いしゃがれ声で
「写メ」
そんな事頼む患者もいなかっただろうね。それでも彼は小瓶の腫瘍を写メしてくれました。記念の1枚。
手術は予想外に早く終わり8時間くらいだったそうです。
本人に時間の感覚は無く意外とあっけなく終わりました。
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6月終盤。親族が呼ばれていよいよ病状と今後の治療方針の説明という事になりました。
千葉にいる次男君も来てくれて私の兄夫婦、姉と4人で主治医から説明を受けました。
病名は小脳に出来た腫瘍。「血管芽種」まあ血管が異常に発達して一塊になったようなもの、といった感じかな。
主治医の先生のお話では摘出の場合、血流がいいので出血が多くなる。手術をスムーズに進めるために腫瘍部位の血流を止める方法をとりますという話だった。
で、本番の外科手術の前に血管のカテーテル手術を行うことに。
鼠蹊部から脳までカテーテルを挿入して腫瘍に血液が流れる部分を止めてしまう。どうやって止めるかというと
瞬間接着剤みたいなものを血管にポチと注入。そしたら血液が流れない。
ふ〜ん。そんな事できるんだあと他人事のように聞いておりました。
カテーテルは途中から細いものに変わり、その先端から微量の接着剤を流す。どの位細いんだろう想像もつかない
その手術が終わって血流が止まっているのを確認してから脳外の手術になるという事でした。
外科手術は部位は小脳だが上のほうから開いて行うという事でした。
うつぶせで手術って苦しくないかななんて想像できるのはそんな事ぐらい。もう後は先生を信じ切って委ねるしかないですものね。
しっかり聞いたつもりでも理解の範囲を超えていて漠然としか理解できなかったですね。
カテーテル手術は手術という感じがしなくてあっさり終わりましたけど、麻酔の影響が残ってかなりの時間は嘔吐し続け終わってからの方がしんどかったです。
急激な血圧低下や吐き気の中かなり緊迫した感じの看護師さんと担当医の気配にこんな感じで死んでいく事もあるんだろうなあ。。。
なんて頭の中で考えてました。
何せこういった場合体中が色々な物に拘束されてる。
点滴はもちろん尿の管、足の血流を促す変な空気マットみたいな足カバー。
指先にも測定器。
体の自由がきかないというのが私にとっての一番のストレスでした。
でも、翌日午後にはICUから一般病棟に戻り、また快適な病室暮らしになりました。
↑はたいてい土曜日の昼食に出たつけ麺タイプのうどん。おかずは卵と豆腐の柔らかい焼き物。うどんがさっぱりしていて美味しかった。
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私が入院した大学病院はその大学が持っている病院3つのうちの一つで国際医療センターと言います。
石垣の先生は紹介状を書いてくれましたが、まさか病院が3か所あるは知らなかったようで大学病院宛としか書いてありません。問い合わせてみると私の病状から国際医療センターで対応しますという事でそこに行くことになりました。
しかし、ここがすごいんです。今の最先端の病院がこんなにすごいなんて知りませんでした。
玄関ホールは2階吹き抜けで広々とし正面には巨大な医療の偉人の絵が2枚。ミニコンサートも開ける小さな舞台がありいつもはそこで自動ピアノが流麗なメロディーを流しています。
傍らに総合コンシェルジュ、案内所ですねがあり大勢の人が案内を聞きに来ています。
そしてホールの隅には入院ラウンジ。ここで入院の手続きをして病室に案内してもらいます。
エスカレーターで2階に上がれば各外来の受付。正面にはどーんんと外が見渡せる壁全面ガラスの明るいテラスとあのコーヒーのスターバックス。田舎から出て来た人間にはホテルかと間違えそうです。
そんな病院の6階に入院してその日から毎日検査です。
血液検査は当たり前ですが、CTスキャン、MRI撮影、レントゲン、今度は造影剤を使ってのCT,MRI、血管造影。最新技術でまだ研究中のメチオニンPET/CT。
1日1〜2の検査で終わりますからあとは暇なもので、姉たちが見舞ってくれる時に本を持ってきてくれるようにお願いして1日1冊のペースで読破してました。
その中に{バチスタ〜」と「ジェネラルルージュ〜」があったのですが(病院勤務の姪の本やっぱね)そういえばこの病院は医療ドラマの撮影によく使われているという事でレストランの壁にいくつものドラマの写真と色紙が飾られていました。もちろん↑の原作のドラマも撮ったそうです。
1週間かけて検査を行い、6月の下旬には今後の予定や手術の方法が決められました。
病院食は常食。消化器系は異常ないのでふつうの食事です。朝はパン。食パンばかりですがバターロールが出た時もありました。でも41日入院していて4回だけ。食パンは美味しくなかったな^^;。
おかずは何故か和風です。
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病名を聞いてまず頭に浮かんだことはどうしよう、でした。
この家の事はどうしよう
お店はどうしよう
子供たちの事は、どうしよう
もし、私が今いなくなったら我が家は大変なことになる
子供たちでは今後の事なんてどうしたらいいかわかるまい。
大切なものがどこにあるか教えてないし、何て事が頭の中でグルグル。
でも、先生の最後の言葉は「良性だと思いますよ」だった。
それでもショックは大きくて待合室の椅子に力なく座って途方に暮れてしまいました。
3日後造影剤を入れてのMRI撮影で腫瘍であることがほぼ確定。先生に出来るだけ早く手術をと
言われました。そう言われてここで?となりました。
石垣には、身内は誰もいないし西表に長男君がいるけど、彼だけでは心もとないし。
どうしますかと言われて私は「実家がある埼玉で手術をしたい」と言ってました。
で、紹介状をいただき推薦してもらった大学病院に連絡を取り診察の予約をしてその前の日に飛行機に乗って
埼玉の実家に行ったのでした。
最初の診断から8日目の事でした。
実家の両親、姉や兄には事前に知らせていましたが、まさかこんなことで実家にお世話になるとは、です。
病名が病名だけに驚きがあったようでした。
翌日は姉に同行してもらって診察に行き、石垣の先生から預かった画像のCDを見てもらいやはり所見は
脳腫瘍。
入院の日取りは追って連絡しますから早めに入院してもう少し詳しい検査をいたしましょうという事になりました。
連絡はその日のうちに入り来週入院して検査を始めるという事でした。
唐揚げとクラムチャウダー・かぼちゃのサラダ。病院食は出産の時以来。最初はほとんど完食してました。
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