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車で人をはねると、車の運転者は逃げ切らうと思ってそのまま被害者を何キロも引きずり、死に至らしめる。近頃連続して起きてゐるとんでもない事件であるが、なぜかういふ事件が起きるのだらうか。
このやうな犯人が普段はおとなしい人に見えても、人格的に破綻してゐることは明らかである。依って立つべき心の柱がないからである。
国民の心の柱といふことになると、憲法に尋ねるしかない。
日本国憲法をながめて思ふことは、これは喧嘩のタンカのやうな口調で述べられてゐるといふことだ。
誰が誰に対してきったタンカかといふと、アメリカ人が日本人に対してきったタンカである。そのもとは、アメリカがイギリスに対して、独立戦争のときにきったタンカである。
わずか200年の歴史しかない寄せ集めの民族が、万世一系の2,600年の歴史を持つ高貴なる国に対してきったタンカである。
こんなタンカをきられて60年も黙ってゐるものだから、さすがに高貴な国民も心が荒んでしまった。
やはり国民は、大日本帝国憲法に戻るべきである。
来る11月29日は、大日本帝国憲法が明治23年に施行されてから、117年目の「憲法記念日」に当る。この憲法の精神は、肇国以来の不文憲法であり、いまだに私たち国民の潜在意識に生きてゐる。今一度、大日本帝国憲法を読み返してみよう。
第1条 大日本帝国は万世一系の天皇之を統治す。
第20条 日本臣民は法律の定むる所に従ひ兵役の義務を有す。
日本国憲法が大日本帝国憲法を改正したものだと占領軍は言ひ、その後の歴代の内閣もそれを踏襲してゐる。改正したものならば、また元通りに改正することも可能であろう。このことは、よくよく考へてもらひたいものである。
これは余談であるが、先日浦和駅前で拉致問題のチラシを配ってゐたとき、ある労働者風の方が「拉致問題を解決するには、憲法9条がガンになってゐる」と話しかけてこられた。国民は心配してゐるのである。
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