飛騨を離れて40年 『私の昭和史』

過ぎ去った昔のことを、思いつくままに

全体表示

[ リスト ]

サフラン

サフラン


 囲炉裏の脇に置かれた七輪の土瓶からは
強烈な匂いが、家中に立ち込めていた

一年中休む事無く働き続ける母は、体の具合いが悪くなると
富山の置き薬の、サフランを煎じては飲んでいた

春は田畑の作業の合間に、山菜を採って街へ売りに行き
夏は田の草取りと畑の草取りの他、畦や山の草刈
秋は田畑の採り入れと冬の間の準備
冬になれば山へ炭焼きと、正に年中働き詰めだった

これ等の殆どの作業は手作業だったのだから
体を酷使しなければこなしてはいけなかった
恐らく、今の農作業で働いている人達と比較し
2〜3倍、体を動かしていたのではなかろうか

年何回か、サフランを飲んでいた
黄色くて強烈な匂いの液体は、とても不味そうだった

田畑や山を、這いずり回る様にして働き続けた母は
リュウマチで曲がってしまった両足で
一咋年までは何とか歩いていたが
93歳となり、咋年は家の中を手だけで後ろに這いずって
何とか動いていたが、とうとう寝たきりと為ってしまった。

生きるという事は、こういう事なのだと
半身不自由に為った私に向かって、無言で見せている様な気がして為ならない。

閉じる コメント(6)

顔アイコン

いつ寝ているのか;と言うほどの、しかも農作業、体を使ってそれほど働き続けられて、まだ昨年まで、ご自分で動こうとされていた;その気力に、体力に、鍛えられた気持ちの強さが、ご立派ですね!
無言の教え;を受け取る人がいることが、意味深いです。
最後に安楽に過ごされる時間が、何か温かいものでありますように..

2009/12/23(水) 午後 3:43 [ hai ] 返信する

顔アイコン

私の母親も小柄ゆえ、人の倍以上疲れが酷く、よく、どくだみやせんぶりなどを飲んでいました、坂道で転んで腰を痛め、10年ほど施設で暮らしましたが、肺炎を患い86歳で亡くなりました。

2009/12/23(水) 午後 11:25 rin**u14* 返信する

顔アイコン

hai さん、こんにちは
親父も10年前92で亡くなりました
明治大正生まれの人は、兎に角丈夫ですね

家康が言った様に、長生きは粗食をと、地で行ったような者です。おまけに働き詰めで、私の様なメタボリック等に為ってる暇など無かったのが、実情だったのでしょう。

私は同じ様にとても長生きなどできぬでしょうが、それ以上に、体が不自由に為りながら、あれほど頑張れる気力はとてもありません。

2009/12/24(木) 午後 2:42 KUNI 返信する

顔アイコン

竜胆さん、最近では煎じ薬を服用する人は少なくなったでしょうね。
何とか歩けるような状態の時骨折すると、忽ち体が衰弱してしまうようです。
其れは半身不随の私も同じでしょう、此れ以下に為らぬ様にと、毎日気を付けながら歩いています

2009/12/24(木) 午後 2:51 KUNI 返信する

顔アイコン

お母様は93歳なんですね。一生懸命生きて来た時代の人ですね。
私の母は84歳です。やっぱり粗食ですね。
先日のお砂糖の話ですが、私の母もお砂糖をお返しにしています。また、逆に貰う事も有ります。
これからは益々高齢社会となりますね。母を見ながら自分を重ねてしまう事が有ります。生きると言う事の意味を考えてしまいますね。

2009/12/27(日) 午後 11:21 [ yukiko_diary ] 返信する

顔アイコン

YUKIKOさん、母を見ていると、長生きするのも大変な事だと、つくづく思い知らされます。

美味い物をたらふく食べ、飲みたいだけ酒をあおって、半身不随に為った息子に向かって『俺より先に死ぬな!』と言われた時、情けなくて何も言えませんでした。

2009/12/28(月) 午後 2:43 KUNI 返信する

コメント投稿

顔アイコン

顔アイコン・表示画像の選択

名前パスワードブログ
絵文字
×
  • オリジナル
  • SoftBank1
  • SoftBank2
  • SoftBank3
  • SoftBank4
  • docomo1
  • docomo2
  • au1
  • au2
  • au3
  • au4
投稿

.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事