飛騨を離れて40年 『私の昭和史』

過ぎ去った昔のことを、思いつくままに

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炭売り

 道路に雪のある冬は橇に、ない時は荷車で
炭俵を15〜20俵積んで、母と2人街まで売りに行く
滅多に町へ連れて行って貰えないから、わくわくして出かける
町へ行ったら、飴を買う、うどんを食う、そして大好きな汽車が見える
荷物は重くとも行きは下り、足取りは軽い。

 いつも買ってくれる家や、旅館などを回り、売り歩くが
そんなには売れない、結局売れ残った分は
安くしか売れないけれど、いつもの仲買人の家に持って行って売り捌いた。

 いつもの菓子屋さんで、屑飴を買い、陣屋前のうどん屋さんで
持って行ったご飯だけの弁当のおかずに、素うどんを注文して昼飯だ
家では食ったことの無い、よくダシが効き
上に載せた花鰹がシワシワと縮むうどんは、本当に美味かった。

 帰り道、陸橋の欄干に掴り、汽車が動くのを、何時までも見て居ても飽きない
貨車の入れ替えをするため、時々煙をモクモク吐き出しながら
汽車が足の下を通り抜ける、周りが見えなくなるほどの煙と、石炭の匂い
紺色の作業服に、地下足袋を履いた人が、ひょいと貨車に飛びつき
赤と緑の旗を振って、合図をしながら貨車を引込み線へ入れている。

 何回か母に急かされ、ようやく陸橋を離れ家へ急ぐ
往復24キロばかりの砂利道を、荷車につけた紐を曳いて歩くのは、
小学生には結構きつかった。

 昭和30年頃の事だ
あの汽車も40年頃、ジーゼルカーに変わってしまった。  

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