飛騨を離れて40年 『私の昭和史』

過ぎ去った昔のことを、思いつくままに

★・【私の昭和史-故郷編】

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幼友達の死

敬老の日にあたり
 今から半世紀前は年寄りといえば60過ぎの人を対象としていた様に思う。
80歳を過ぎた人はほんのわずかで、何と長生きなのだろうと感心したものだった。
脳梗塞で倒れてから来月で10年目に入る、今月で68歳になり気持ちだけは50歳代なのだが、身障2級は後期高齢者扱い、良く出来た制度、自分はまさに体力的には80歳に近い状況である。
リハビリに励んではいるが、季節毎に体力が落ちていく様な気がする。
後どの位生きられるのだろう等と、ふっと思う此の頃である。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



60数年前、私が5〜6歳の頃だった。
或る日の夕方、家の前の丸太に腰を下ろして、一人ぼんやり遠くを眺めていると、遥か川端を誰かが大声で叫びながら走って行くのが見える、近くの家の牛でも逃げ出し、追いかけているのかな、等と思って見ていた。
 
 ところが其れは何時も一緒に遊んでいる近所で同い年のUが川に転落し、流されていたのだ。
 その日Uはお祖父さんに連れられて、川向の山の炭焼き小屋からの帰り、橋から転落し、流されていくUを大声で助けを呼びながら、必死で追いかけているお祖父さんだった。
 
 橋と言ってもそれは、川幅7〜8メートルの両岸の石の上に、7〜8寸の丸太2本をくくって、渡しただけの粗末な丸木橋で、我が家も川向の田圃へは、いつもこの橋を使って行き来していた。
 丸木橋を渡る度、子供心に恐ろしくもあり冒険をするような気持ちで渡っていた危ない橋であった。
 
 出棺の際に、Uの母から、『お前が一番仲が良かったのだから、どうか見送ってやっておくれ・・・・・』と棺の前に押し出され、中のUを見た。
流された時、石にぶつかって出来た血の滲んだ青痣が、顔にいくつも残っていた。
 Uの母が棺に取り縋り号泣していた姿を、六十数年過ぎた今でも良く覚えている。
      
         「年を経て母の嘆きが胸に沁み」


                  ☆・・2006/4/2・拙ブロより再転載

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東京見物

はじめての東京見物

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先日姪の結婚式があり、東京まで行った
以前勤めていた時、東京へは十数回来たのだが
何れも名古屋を朝一番の新幹線に乗り
本社に9時前までに入り、終日会議の後
其の侭、何処へ立ち寄る事も無く帰るのみで
此れまで東京の名所旧跡は一度も見た事がない。

飛騨を深夜出発し、車で出掛けて来た兄や姉甥達と
披露宴が終わったら、是非何処かへ見物に行きたいものと話し合った
神田、浅草、新宿、上野、皇居、博物館、美術館、丁度今大相撲もやっている
何時もTVで見ている所へ行ってみたい
もうこんなチャンスは無いかも知れぬ
一人ででも、どこぞへ行ってみたいばかりなのだが
不自由な体を引き摺り、不案内の街中へ一人で出掛ける勇気も無い。

何度も何処かを見学したいと、繰り返す私を見かねてか
翌日の帰り際、弟家族の車で浅草と、スカイツリーに連れて行ってくれた。
整備された高速道路、地下には縦横に地下鉄網が走っているとの事
おそらく、あらゆる面でとても機能的な都市なのだろう。

未だ新幹線にも乗ったことが無く、東京は今回初めての姉も
何処か見学したいと、しきりに言っていたのに
今後東京へ来る機会はあるかどうか
何処へも立ち寄る事無く、先に飛騨へ帰って行った。

兎にも角にも東京見物が出来、何よりでした。
見物していたせいで出発が遅くなり、帰りの高速道では雪が降り始め
到着が随分遅くなってしまい、弟家族には随分迷惑をかけてしまった。

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小糸坂

小糸坂

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 高山の民族村の入り口に【小糸焼き】の店がある。
渋い色合いで、私の好きな焼き物の一つである。
先日久し振りに立ち寄り、形と色合いが気に入ったので
写真の湯飲みを買ってきた。
 柚が掛かっているのか、土のままなのか素人の私には分からないが
ザラザラとした手触りを楽しみながらお茶を飲んでいるが
少々径が大き過ぎ、持ち難いのが残念だ。

 此の小糸焼きの名前の由来となった小糸坂が近くにある
もう50数年前の小学校の頃
親父が焼いた炭を母に連れられ高山の街まで
荷車や橇で売りに行く時必ず通る坂で
近くに実家のある母が話してくれた、悲しい昔話がある。
当時学校の図書室にあった【飛騨の民話】という本にも載っていた。

ネットで調べると、一緒の話が掲載されていたので借用転載します。

【小糸坂】
高山の街中に小糸坂という坂があります
飛騨の昔話「おみつぎつね」の
女房と子供がこのあたりにいたということですが
小糸坂という名前がなぜついたかというと
こんな哀しいお話が伝わっています
昔 この坂のあたりに 年のころは12の
小糸という素直でかわいらしい娘がおりました
ある春の日、小糸はせっせと菜摘みをしておりました
そこへひとりのお侍が通りかかり
小糸に摘んだ若菜を少し分けてくれまいかといいました
小糸はかわいらしくうなづき
お侍の言うがまま、摘んだ菜を抱えてお侍について行きました
しかし、そのお侍は三木自綱の家臣で
松倉城を建てるに当たり、人柱となる娘を探していたのです
小糸はそのお侍に連れ去られ、翌日白絹の着物を着せられ、目隠しをされて
松倉城の礎(いしづえ)となったのでした
そうとは知らぬ 小糸の母は
小糸を探して半狂乱になっておりました
その母に「小糸さんは気の毒なことをしたなあ・・・松倉城の人柱になったんやぞ」
と教えた者がおりました
小糸の母は それを聞くと「私の娘を返せ」と叫びながら城へ向かって駆けてゆき
そのまま帰ってくることはなかったそうです
人々は小糸と、小糸の母を哀れみいつしか小糸の家のあった辺りの坂を
小糸坂・・・と呼ぶようになったのだそうです
松倉城は 堅固な城で 
金森勢もなかなか落とすことができなかったのですが
結局は城内に内通者が現れ、あっけなく落城します
飛騨を制した三木自綱も、戦国の倣いとはいえ
叔父や実の弟を殺害して、権勢をのばしていきました
その影に何の罪もない小糸親子のような犠牲者もいたのですね
そして その三木氏一族も
秀吉の命を受けた金森長近によって滅ぼされました。

下記のホームページから転載しました。
ゆきまま | 21:35:15 | 歴史
すくなの里に吹く風は・・・
飛騨の田舎暮らし日記
http://pub.ne.jp/yuminn7/?entry_id=2692008

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爆撃予告ビラ

  ?H1>爆撃予告ビラ
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 法事が終わり、兄弟全員揃って昔話の最中、兄が「こんなものが残っていた」と焼け焦げた紙の束を持ってきた。
昭和48年の春先、失火によって自宅が全焼した折、一人家にいた親父が燃え盛る炎の中から必死で持ち出したのであろう、仏壇の引き出しに仕舞いこんであった我々子供達の通信簿の一部だった。
 其の中に写真の紙切れが2枚紛れ込んでいた。
縦横10cm×15cmほどの紙に表には縦書きの爆撃予告文、裏にはB−29の爆撃の様子の写真が印刷してある。
 紙質は和紙の様に少し柔らかく上質紙で、60数年経つとボロボロになってしまう新聞紙とは違い全く劣化していない。
おそらく終戦直前の昭和20年に撒かれたのであろう、予告地に高山が入っている、こんな飛騨の山の中にも予告のビラを撒いたらしい。爆撃は有ったものの、ほとんど被害はなかったと聴いたことがある。
 92歳で11年前亡くなった親父も、先月96歳で亡くなった母からも、このビラのことは兄弟の誰も聞いていなかったし、初めて見るものだった。
年齢の所為だったのか、徴兵に掛からず兵役の経験のない親父は、戦争の話はあまりしなかった、近所では軍隊の経験がある人や、出征して戦死した家もあったから、軍隊経験のないことに多少引け目があったのかもしれないが、此れを拾った親父は、誰に見せることもなく自分だけ見て仏壇の奥に仕舞い込み、以後口外することはなかったのだろうか・・・。 
 今年も12月8日が来る、70年前始めた戦争により、親達は勿論日本人全てが、言い尽くせぬ苦しみと多くの悲劇を味わった事を思い浮かべ、60歳を過ぎた兄弟4人と30代の甥や姪達と、上下焼け焦げた、皺くちゃのビラをつくづく眺めていた。

画像では少々読みづらいので、予告文を書き写します。
     
日本國民に告ぐ
 あなたは自分や親兄弟友達の
命を助けようとは思ひませんか
助けたければこのビラをよく讀
んで下さい
 数日のうちに裏面の都市の内全
部若しくは若干の都市にある軍
事施設を米空軍は爆撃します
 この都市には軍事施設や軍需
品を製造する工場があります軍
部がこの勝ち目のない戦争を長引
かせる為に使う兵器を米空軍は
全部破壊しますけれども爆弾に
は眼が有りませんからどこに落
ちるか分かりませんご承知のように
人道主義のアメリカは罪のない
人たちを傷つけたくありません
ですから裏に書いてある都市か
ら避難して下さい
 アメリカの敵はあなた方では
ありませんあなた方を戦争に引
っ張り込んでゐる軍部こそ敵で
すアメリカの考えてゐる平和と
いふのはたヾ軍部の厭迫からあ
なた方を解放することですさうす
ればもっとよい新日本が出来上
がるんです
 戦争をやめるような新指導者を
樹てて平和を恢復したらどうで
すか
 この裏に書いてある都市でな
くても爆撃されるかもしれませ
んが少なくともこの裏に書いてあ
る都市の内必ず全部若しくは若干
は爆撃します
 豫め注意しておきますから裏
に書いてある都市から非難して
下さい

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えごま(あぶらえ)

えごま(あぶらえ)

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 飛騨地方でしか見かけない食材に、和え物料理に使う「えごま」が有る。
私は長い間、菜種の種だとばかり思い込んでいた
野菜やオハギ、餅にまぶして胡麻と同じようにして食べる
母は時々、じゃが芋和えを作ってくれた
胡麻より香ばしくて、味も一回り美味しい。
何処にでも売っていそうな物だが、
飛騨地方以外の店で、私は見たことが無い。
ネットで調べると「飛騨胡麻」とも言ってるらしい
帰省の折には、道の駅で買い求め
野菜和えにして、故郷の味を懐かしんでいる。


拙ブロ【私の昭和史-故郷編】2006/10/3より転載
http://blogs.yahoo.co.jp/koriasahi/20920053.html

えごまについて詳しい事は、下記 Wikipedia をご覧下さい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%B4%E3%83%9E

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