飛騨を離れて40年 『私の昭和史』

過ぎ去った昔のことを、思いつくままに

★・【私の昭和史-故郷編】

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

ジンジャラー

ジンジャラー


パチンコの事ではない
NHKラジオの日曜日の朝『当世キーワード』という短い番組がある。
新語アナリストなる人が、最近使われている新語を解説する番組で
新語を知る事によって世の中の動きをいち早く知る事が出来るそうで
其処で聞いたのが『ジンジャラー』である。

ジンジャーすなわち生姜である
生姜を健康の為、常日頃あらゆる機会に愛用している人達の事を
『ジンジャラー』と呼ぶらしい。
体を温め、血流が良くなる等、体に良いとの事でかなりのブームに為っているらしい。

生姜と聞いて小学校の頃の弁当を思い出した
弁当は何時も自分で詰めていた
ご飯を詰め、夕べの煮付けの余り物か、漬物を入れるだけだから造作もない
梅漬以外何もない時は、毎日梅漬ばかりでは可愛そうだと
母が20円くれ、学校の傍の雑貨屋で、袋に入った紅生姜かラッキョウ漬けを買っておかずとした。
担任のS先生が『生姜美味いか?・・』と紅生姜を丸ごと齧り付いている私に聞いた。
女の子達は左手で弁当のおかずを見られない様、隠しながら食べるのが常だった。
昭和30年頃の思い出である。

開く コメント(6)

兎狩り

兎狩り



 降り積もった雪に昼の日差しが強く射し
雪の表面が溶けて、夜間の厳しい冷え込みで凍り付くと
雪の上をカンジキを付けなくても、容易に歩けるようになる。

 山裾のあちこちに残っている兎の足跡から
通り道を見定め、小枝を曲げ罠を仕掛ける
針金で作った輪の中を、兎が通り抜けようとすると
小枝が跳ね上がり、捕らえる仕掛けだ。

 自分でも何度か仕掛けてみたが
一度も捕まえる事は出来なかった
上手な子は一冬で何匹か捕まえ
両耳を切り取って役場へ持って行くと、お金と交換してもらえた
1匹五十円位だった様に記憶している。

 高校の時の在る冬、全校生徒500人ほど総動員で、兎狩りをした事が在った
 
 兎は斜面を駆け上がるのは得意でも、
駆け下りる事が出来ない習性を利用して
小さな山を生徒全員で、ぐるりと取り囲み
全員で大声を上げながら山裾から、頂上目掛けて兎を追い上げ
山頂で猟師3人が鉄砲で待ち受け、撃ち獲る算段だった。
 
 狩りの終了後には兎汁を食べれると、全員気負って取り掛かったのだが
何と終わって出てきたのは豚汁だった。
 兎の足跡は随分見掛けたのに、あれだけ大袈裟に追いたて
1匹も獲れなかったのには、皆苦笑するばかりであった。

 昭和36〜7年の1月か2月の事だから
当事は高校でも悠長なものだったのである。

2007/1/27(土) 【私の昭和史-故郷編】を再掲載。
この記事のURL: http://blogs.yahoo.co.jp/koriasahi/27654906.html

開く コメント(9)

 ?H1>蟹の思い出

子供の頃、蟹といえば谷川にいる沢蟹のことだった
水温のせいか飛騨ではザリガニは居なかった。

初めて海に居るあの大きな蟹を見たのは、水族館だったのか何処だか覚えは無いが、初めてあの大きな足を食べたのは、就職した会社の宴会か慰安旅行先で22〜3歳頃だったろう。

昭和51年結婚2年後、2軒続きの借家に住んでいた折、隣家から福井へ出張したお土産だと蟹を2匹戴いた。

蟹を丸ごと食べるのは初めての事、嫁さんもザリガニの茹でたのは食べた事は有るが、本当の蟹を丸ごとは食べた事は無いと言う、自分も沢蟹を囲炉裏で焼いて丸ごと食べた経験のみ。

早速、甲羅を開けてみると、何と、中は薄緑色や黄色でグチャグチャに為っており、『此れは腐っている、蟹に当たるとひどい事に為るらい・・』とばかり、其のままゴミ箱へ放り込んだ。

後になって北陸へ仕事で出張した折、当地の社員が甲羅を開き『此処が一番美味いんじゃ・・』とあのグチャグチャを食べるのを見て唖然とした。

隣のご主人は結構高い土産をくれたのだ、何と勿体無い事をしたものだと悔やんだ。
ある晩、隣家から遅くまで話し声が何時までも聞こえていたが、朝になると空き家になっていた、螺子工場経営が行詰まっての夜逃げとの事だった。

TVで蟹の甲羅に酒を入れて飲むシーンなど見ると、隣家のご主人とあの時の蟹の事を思い出す。

開く コメント(8)

サフラン

サフラン


 囲炉裏の脇に置かれた七輪の土瓶からは
強烈な匂いが、家中に立ち込めていた

一年中休む事無く働き続ける母は、体の具合いが悪くなると
富山の置き薬の、サフランを煎じては飲んでいた

春は田畑の作業の合間に、山菜を採って街へ売りに行き
夏は田の草取りと畑の草取りの他、畦や山の草刈
秋は田畑の採り入れと冬の間の準備
冬になれば山へ炭焼きと、正に年中働き詰めだった

これ等の殆どの作業は手作業だったのだから
体を酷使しなければこなしてはいけなかった
恐らく、今の農作業で働いている人達と比較し
2〜3倍、体を動かしていたのではなかろうか

年何回か、サフランを飲んでいた
黄色くて強烈な匂いの液体は、とても不味そうだった

田畑や山を、這いずり回る様にして働き続けた母は
リュウマチで曲がってしまった両足で
一咋年までは何とか歩いていたが
93歳となり、咋年は家の中を手だけで後ろに這いずって
何とか動いていたが、とうとう寝たきりと為ってしまった。

生きるという事は、こういう事なのだと
半身不自由に為った私に向かって、無言で見せている様な気がして為ならない。

開く コメント(6)

砂糖

砂糖のお返し


近所に80歳は超えたであろうお年寄り夫婦が見える
朝晩15歳に為るという愛犬を連れて、ご夫婦どちらかが散歩に出掛けられる。

ある日リハビリ途中で出会った際、愛犬と一緒の様子をデジカメに撮り、プリントして差し上げたところ、写真を撮って貰ったこと等、久しく無く嬉かったと、お婆さんが砂糖をお返しにと持って見えた。

妻は、砂糖のお礼なんて変わっているわね・・・と言っていたが
昭和30年半ばまでは、故郷の飛騨地方では
冠婚葬祭や病気見舞いのお返しには砂糖が一般的で
店には箱入りの砂糖が必ず並んでいた。

熨斗を印刷した箱の中には白砂糖が入っており
仏間には、何時も2〜3個箱があり
何かの際のお返しには、此の砂糖を使い廻して使い
家で使う事は少なかった様な気がする。

お婆さんとしては、砂糖のお返しは普通の事なのだろう
最近では、砂糖も貴重品でなくなったせいなのだろうか
贈答用の箱入り砂糖も、近頃見たことが無い。

開く コメント(8)


.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事