飛騨を離れて40年 『私の昭和史』

過ぎ去った昔のことを、思いつくままに

★・【私の昭和史-故郷編】

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渋柿

  
 ?H1>サワシ柿

裏の畑の片隅に大きな柿の木があり
毎年沢山実を付けた
図鑑で調べてみると、野山に自生している山柿という種類だったらしく
当然渋柿で、完全に熟すまではとても渋くて食べられない

黄色に色付いた頃熟す前に収穫し、渋抜きの事を「サワス」と言い
藁を入れた湯の中に一〜二晩浸すと、渋が抜けて食べられるようになった
特に味は無く、此れといって美味くは無かったが
当時のおやつ代わりとしては、嬉しい物だった。

学校の行き帰りに見つけた、他所の家の柿が熟すのが待ち切れず
石を投げて落として齧り付き、あわてて吐き出したものだ

甘柿は食べた事が無く、渋抜きをしなくても
食べられる柿があると言われても、想像がつかなかった。

後年、初めて市販されている柿を食べた時は
藁でサワシた柿とは、比べ物にならぬ美味さに感心した。

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森繁久彌 【雨情】

 

森繁久彌


森繁久彌が亡くなった
中学生の時、森繁久彌主演の【雨情】という映画を
一人で街の映画館で見た
何故一人で見に行ったのか記憶は無いが
野口雨情がみすぼらしい姿で放浪する筋書きは
中学生には少々難しかった。

同じ頃【猫と庄造と二人のをんな】という
やはり森繁久彌主演の映画も、一人で見た記憶が有る
此のストーリーはよく覚えていないが
森繁久彌演ずる、主人公のグータラ振りの演技だけは良く覚えている。

ネットで調べてみると、1956年〜57年(昭和31年〜32年)
と有るから私が中学1年の時である。

中学1年であのような映画をわざわざ10数キロ
自転車で街まで出掛けて行って、観たと思うと
私は随分ませていたのだろう。

其の後社会に出てからは、駅前シリーズや社長シリーズを何本か観た
50年以上は続いたのであろう、日曜夜のNHKラジオ
【日曜名作座】も中学生時代から聴き続けていた。

昨夜のラジオ深夜便では、昭和57年放送した
中西 龍(なかにし りょう)アナウンサーのインタビューの再放送をやっていた
演技同様、洒脱な話し振りは大した物だと改めて聴き惚れた。

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コナシ

   ?H1>コナシ イメージ 1


イメージ 2
写真は【四季の山野草】さん
http://www.ootk.net/cgi/shikihtml/shiki_44.htm
より拝借

上記の【四季の山野草】さんの記事によると
『コナシ(小梨)、コリンゴ(小林檎),ミツバカイドウ(三葉海棠)などいろいろ呼ばれますが、図鑑ではズミ(酢実)が表記されています。花は開くと白に変わり、秋には小さな赤い実をつけます。』と説明して有る。

霜が2〜3回降り、紅葉していた木々の葉がすっかり無くなった頃
コナシの実は薄茶色に塾し、食べ頃と為る
一寸甘酸っぱくて、柔らかく、幾らでも食べられた。

此の木は炭焼き小屋へ行く途中と、草刈場へ行く営林署の林道脇に有った
此の時期、炭焼きの手伝いと、草刈場へ夏の間に刈っておいた草を取りに行くのは、コナシが食べられるのを期待しての手伝いだった。

期待して行ったのに、未だ熟してなく食べられない時の方が多かった
霜に何回か当たると、すぐ焼けてしまって食べられなくなってしまった。

平成2〜3年頃、信州の渋温泉だったか渋川温泉へ行った時
宿へ行く歩道脇の小川沿いに、コナシが丁度食べ頃に熟して一杯生っていた
懐かしの余り、一人駆け寄って夢中で食べているのを見て
同行した連中から『まるで猿の様だ・・・』と笑われた。

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アキグミ

  

アキグミ


イメージ 1
【画像はネットより拝借】

グミといえば、普通初夏の梅雨時に赤く熟れ
甘くて、とても美味しい実を思い浮かべるのだが
秋に生るグミもある。

学校の帰り、わざわざ山裾へ遠回りし
赤く熟れて、如何にも甘そうにびっしりと生っている
赤い実をもぎ取って口にすると、忽ち渋みが口いっぱいに広がった。

食べられぬほどではないのだが、一寸食べただけで諦めてしまった
熟れてはいるのだが、一寸酸っぱく、渋くて沢山は食べられない。

秋になり赤く熟した頃になると、今年は甘いかも知れぬと
毎年遠回りをしては食べに行った。

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ヤマナシ

 

ヤマナシ(アオナシ)・・・50円!

イメージ 1

山に自生しているナシの木には
ピンポン玉より一回り大きい程の実が生る
秋が深まり1〜2度霜が降り、葉っぱが落ちると
丁度食べ頃となって落ちる
現在栽培されている梨の原種といわれているだけあって、味は結構美味しい。

小学4〜5年頃、親戚の家に遊びに行く際
母が山で拾ってきたヤマナシを米1升分の巾着袋に入れ
母と一緒に、荷車を曳いて街へ炭を売りに行った時立ち寄る
小母さんの店にもって行き、50円で買って貰い
小遣いの足しにせよと渡してくれた。

バスを降り早速小母さんの店に行き、ヤマナシの袋を差し出すと
『坊、此れを幾らで売ってくれるんじゃ?・・』と問われ
咄嗟に『200円!』と口から出てしまった
小母さんは『200円・・?・・一寸高いなー・・50円ならの・・』と
傍に居たお客さんに同意を求めながら言い返した。

バスの中でもう一寸高く売れないかな・・200円位なら良いな・・・等と
欲を描いて考えていたのを、つい口にしてしまった
50円と言われ、しまった!・・と思ったが、何とも引っ込みが付かず
袋を下げたまま店を出て、其の袋は親戚へのお土産となってしまった。

何時も街へ山菜を売りに行っていた母には
この梨が幾ら位で買って貰えるのかは、よく解っていたのだ。

家に帰って梨の顛末を、母にどう報告したか覚えていない
当時の私の事だから、きっといい加減な事を言って
誤魔化してしまったのだろう。


もう50年も前の事だが、小母さんに50円!と言われた時
何とも恥ずかしかった事を、今でもはっきり覚えている
小母さんの店は、今は小さな食品スーパーに変わって同じ場所にある。

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