飛騨を離れて40年 『私の昭和史』

過ぎ去った昔のことを、思いつくままに

★・【私の昭和史-故郷編】

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 ?H1>ヤマズミ イメージ 1
 写真は四季彩日記さん
 http://mugiwarab.exblog.jp/
より拝借しました。
写真の手前の綺麗な実がヤマズミ(別名オオウラジロノキ)である。


紅葉も過ぎた今頃山に這入ると、この実が此の木の下にけっこう落ちている
ピンポン玉より1回り小さく、赤や黄色に色付き
小さなリンゴの様で、いかにも美味そうである
ところが、齧ってみると、まことに酸っぱく、渋いばかりで
とても食べられた物ではない。

此の写真の四季彩日記さんの記事をよると、此の時期越冬の為
盛んに食べ物を漁っている熊でさえ、余りの不味さに喰わないらしい。

拾い集めて持ち帰り、やがて気温が零度以下に下がり
この実が1〜2度凍って、鮮やかな色が黄土色に変わると
なんとか食べられるようになる。

少し甘酸っぱくなっていて、特に美味しいと言う訳ではないが
おやつなど滅多に口に出来なかった子供にとっては嬉しい物だった
5〜6個位食べても何とも無かったが、余り沢山食べると
次の日は必ず便秘になり、便所で辛い思いをする羽目と為った。

最近はこの実を果実酒にしているらしい
熊も喰わないこの実を、食べる為に拾っている人等、今は居ないであろう。

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山の栗拾い

山に自生している栗の実は
店で売られている半分位の大きさだが
味は自生しているものの方が、はるかに美味しい。

竹籠を腰にくくり付け、山に入り
イガを足で踏み開け、中の実を取り出す
枝から落ちて2〜3日経つと、直ぐ虫が這入ってしまう
虫に喰われる前に拾った実でなければ、不味くて食べられない。

拾った実の皮を歯で剥き、渋皮を石でこそぎ落とし
其の侭、生で何個か食べると
翌日になって、口の周りにカサブタが出来た
渋のせいだと言われていたが、菓子等少なかったため
野山の食べられる物は、何でもおやつ代わりにした。

弾けないように、実の皮を少し剥き
囲炉裏の灰に埋めて蒸し焼きにすると
まことに美味く焼けた、此の食べ方が一番美味い。

茹でて、数珠のように糸で数珠繋ぎにして
1ヶ月ほど乾燥させたのを火で炒ると
皮が簡単に剥け、渋皮は綺麗に剥がれて
甘みが増し、正月や冬の間の嬉しいおやつだった。

今でも山の栗を拾って、食べているのだろうか・・・。

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ダム工事中止に思う

 政権が変わった途端、何十年も前から計画され、ようやく付属工事から序々に着工し、此れから本格的に為るのかと期待していた矢先のダム工事が中止と為っては、地元の土建業者は無論のこと、ダムに依って、先祖代々暮らしてきた土地を捨て去らなければならぬと、覚悟を決めていた住民達にとっても青天の霹靂と言うより、馬鹿にするなとの思いの方が強いであろう。

 以前非常に懇意にして戴いたお客さんは、ダムにより強制移転で土地を離れた方だったが、会う度毎にダムに沈んだ故郷の話に為った。
渇水の年などは、昔の部落の畑や田圃、家の跡等の様子が出現し、何とも遣り切れない気持ちに為るものだと言っておられた。

 此の日本の地形の山や川は何百年、何千年掛かって出来上がったもの、幾ら人間社会の為とはいえ何をやっても良いものではあるまい、まして、必要ではなくなったと思われる巨大な構築物を建造し、山河の形を変えてしまう等はもっての他、何千億円か既に注ぎ込んでいたとしても、止める事が出来るのならば金には換えられぬ物だと思う。

 現にダムは完成したが、湛水を始めたら周辺の地盤に水が浸透し、軟弱地盤の為地盤沈下が発生し、水を全く貯める事が出来ず、ダムの用を為していない実例をTVで報道していた。
又上流からの土砂の流入が余りにも多く、水を貯める容量が極端減ってしまって、本来の役目を果たしていないダムが各地に在るらしい。

 元土建屋に勤め、其の間多くの恩恵を受けて来た者が言っては、誠に申し訳無いかも知れぬが、用無しの物を作って、後々、我々の子孫達から、平成の人達は何でこんな物をと言われぬ為と、故郷を無くしてしまう人達の心情と考えれば、やはり止めるべきであろう。

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?H1>アナログからデジタルへ

 独身時代、給料日毎に1枚づつ買い集めたLPレコードを
4回の引越しの度、処分する事が出来ず大事に持ち続けてきた。

ステレオセットは何度か買い換えたのだが、現在使っているセットは、リサイクルショップで買い求めた寄せ集めである。
当時余りにも高くて手が出なかった機器が、其の当時の10分の1以下で売っていた為、思わず買ってしまったのだが、プレイヤーは針を交換しようとしたが手に入らず、やむなく1番安い機器を買い求めた。

アナログをデジタルに変換する装置を手に入れ、早速パソコンに入力する事にした。1枚1枚表を掛け、ひっくり返しては裏を掛け、1枚入力するのに40分は必要で、結構面倒くさく時間が掛かる。

しかし、一端デジタル化してしまえば、再生も、コピーも極めて簡単で、CD1枚コピーして作るのに数分で出来てしまう。
コピーしたCD版にタイトルや、背景を編集するのも結構楽しい。

1日2〜3枚づつ遣り続けても当分掛かりそうだ。

カメラはどうにかデジタルに慣れてきたが、テレビも22年には今のままでは見られなくなるとの事、店先で見るデジタルテレビの鮮明さには驚くばかりである。

我が家の電話は、昭和49年所帯を持った時、電電公社の社債を買い、1ヶ月以上待って引いた時の、黒いダイヤル式が未だに現役で、此れは当分デジタル化する予定はなく、お宝になるまで使い続ける事が出来るだろうか・・・。

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初めての電車

   ?H1>初めての電車  
昭和34年、中学の修学旅行は伊勢志摩、京都、奈良、大阪だった
高山から蒸気機関車で岐阜に向かい、鵜沼で名鉄犬山線に乗り換え
初めての電者に乗って新名古屋で降りた。

電車が止まり、ドアが開いたので急いでホームに降りたのだが
周りには一緒に来たクラスの者たちの姿は見えず
私とKだけが立って居るのみ、皆何処へ行ったのだろうと探していると
やがて電車が発車し、皆向かいのホームの階段を上っているのが見えた
しまった!反対側へ降りてしまったらしい
よし・・!線路を横切って向かいのホームへ行こう!
此の程度の段差ぐらい、日頃遊び廻っている田圃の崖に比べれば何の事は無い
Kと、飛降りようと身構えた時
『そこを動くな!』
向かいのホームで、担任のT先生が必死の形相で叫んでいた。

高山線の汽車の本数は1時間に多くて2本
電車だと言っても、其のくらいしか頭に無い飛騨の山猿には
此の程度の線路を渡る事は、何でも無い事に思えたのだ。

名鉄新名古屋駅は行き先が違っていても
車両は上下夫々一つのホームに這入る為、次々と電車が来る
其のホームも、あの時から何回か改修され、随分広くは為ったが
相変わらずホームは上下合わせて3つのみ、ラッシュ時は次々と電車が来るのだが結構混雑する。

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