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「人権」 「いいとこ探し」 「人権」という言葉を 私は「自分の言葉」として使いこなせない もしかしたら誰にとってもそうなんじゃないかなあ この言葉を流布させているのは「誰でもない人」のような気がしてならない 私が痛みを感じる あなたが痛みを感じる 私の痛みに鈍感なあなたがいる あなたの痛みに鈍感な私がいる その事実をみつめよう というのではいけないのかしら 「人権教育」と言われたとたんに頭が真っ白になるのはなぜかしら ある言葉にたいする違和感やわからなさへのこだわりを大切にしていたい それが自分や自分とかかわる人たちを大切にすることにつながる気がするから 「いいとこ探し」 「いいところ」を沢山みつけられれば「悪いところ」の存在が相殺されるような考え方 「いいところ」「悪いところ」ってなんでしょう 「いいところ」を見つけてほめ合って それでお互いを受容したつもりになる関係、きらいです 「悪いところ」の裏にある傷 受容されたいのは私の存在の奥にあって どうにも直すことのできないその傷と「悪いところ」です 以上、初任者研修の、教育委員会には提出できない率直な感想です
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プリンプリンさん、「権利」が声高に主張されるようになった社会で学校や企業は以前には求められなかった配慮を払うことが必要とされているのかもしれません。「個人情報保護」にも最近の学校や企業は敏感ですし。「父母会」とは言わず「保護者会」と言いますし、学校名簿も作りません。そのことに反対するつもりはないのですが、ただ「人権教育」がそうした配慮に終始してしまうのだとすれば、なんだかなあという気がします。「もちろんそれ以上のことを目指しているんだよ」と言われるかもしれないけれど、どうなんだろう。
2008/4/4(金) 午後 9:20
kaba先生、「人権」のルーツは社会契約論でしょうか。人権はキリスト教が淵源なのですか。「汝の隣人を愛せ」はわかるけど「人権」はよくわからないのです。ほめること、は大切ですね。「いいとこ探し」という表現に抵抗を感じるだけです。
2008/4/4(金) 午後 9:25
人権教育、個人を守ることがいけないとは言いません。
でも、個人は社会の中にいるものです。
社会の中で、それなりの規則や人との関わりなしには
生活が出来ないのです。
今の社会では個人を守るために、それらを失いかけています。
名簿がなくなったのには情けなくなりました。
悪用?そんな名簿がなくても、何処からでも情報は収集されているでしょう。それより、今日子どもがお邪魔してすみませんでしたの一言のかかわりが消えてしまいました。
他人と余計なかかわりを持たないほうが楽で良い。
これが蔓延してしまっている。
この希薄な関係の中に生きる子ども達に、何を熱く語れるのでしょう。モラルの低下もそうです。
給食費、保育料の未納問題、勝手な理由で守られるのか、
怖いのはクレーム、余計な、厄介な問題は後回し。
自分の都合で世界が回る、これを身をもって教えているのが
今の大人が子どもにしている教育と言えるのではないでしょうか。
2008/4/4(金) 午後 10:38
高校生くらいになると、もう親の出る幕でもないのだけれど、小学生・中学生は、出しゃばらずとも、後ろからしっかり見守る・・・という状態が必要だと思うのです。それも、個人個人ばらばらに・・・ではなくて、ある程度の協力体制をもって。まぁ、最近は、理不尽なことを言い出す親もいるので、学校側も苦慮するのかもしれませんが・・・。それを防ぐために、法律を都合良く解釈して・・・っていうのもなぁ・・・と感じます。人権かぁ・・・難しいですね・・・。
2008/4/5(土) 午前 6:27 [ プリンプリン ]
私も自信を持って言えませんが、神と人との関係。神より人に与えおられた権利。だから人をおかすべきではないという見解が、神と人の関係が国家と人民に置き換えられたのだと思いますが・・。
。
2008/4/5(土) 午後 8:02 [ kabanotakara ]
ああ、在日朝鮮人や部落差別について、ですか。
職場で仲の良い年上の姉妹の同僚が韓国人のお店で面倒を
見てもらっていたことについて、職場の上司が言ったこと。
「おまえなあ、韓国人に雇われていただなんて、恥だと思え!!」
こういう言動が出る人間と全国チェーンとはいっても
同じ系列の店で働いているということに愕然としました。
2008/4/5(土) 午後 8:48 [ - ]
続きですが、学校の先生に、「朝鮮人の親を持つ子は手を挙げろ。」と言われ、廊下に立たされたという仕打ちを受けた子どももいると
聞き、虫唾が走りました。
「くさい」「うざい」「死ね」と平気で言えるのは中学生に限らず
大人にも沢山いますが、おっしゃるとおり、差別意識の話をする前に、自分にされて嫌なことを他人に言ったりしたりするな、と、
教えることが先決のように思います。
2008/4/5(土) 午後 8:52 [ - ]
hitominさん、離任式が入学式と重なって行けないことがわかり、撮った写真に一言書いて子供たちに送ろうと思ったら、名簿がないことに改めて気づきました。緊急連絡用の電話番号しか持っていなかったのです。そういえば年賀状も来なかったなあ。そうですか、お母さんもそうでしょうね、緊急連絡網でさえ、回ってくる相手、回す相手の電話番号以外は教えないのですもの、「今日子どもがお邪魔してすみませんでした」なんて挨拶の電話がかかってくることもなくなりますね。こういうことって組織がやりはじめると後戻りはできないのです。反対して万一事故があったとき、その反対した人が非難されるから。
2008/4/6(日) 午前 8:13
プリンプリンさん、「人権」は学校が指弾されないようにとの防衛意識が働いているような気がしてなりません。「うざい」「死ね」と子供同士で言うとき、子供も親も指弾されない。けれどそれを教師が見過ごしていたとすれば指弾される。教師が子供に「死ね」と言われても子供は指弾されないし、同僚教師が見過ごしていたとしても指弾されない。子供の対教師暴力も容認される。しかし教師が子供を軽くはたいても「暴力」と批判されたら、謝るしかない。新しい学校では、卒業アルバム用に載せる行事の写真にも生徒の許可を取らなくてはならないというのでびっくりしました。写真を撮ってほしくない人は最初から申し出なさい、ということです。こんなことまで「人権」なのでしょうか。ところでなぜPTAが解散させられてしまうのですか。
2008/4/6(日) 午前 8:22
kaba先生、聖書は人に「権利」を教えているのでしょうか。「義務」を教えているのではないでしょうか。権利があるとすれば、「エデンの園の木の実は園の中央の木以外からはどれも取って食べてもかまわない」という叙述くらいしか思い浮かびません。
2008/4/6(日) 午前 8:25
星さん、「人権上の配慮が必要だ」ということと「自分がされて嫌なことは他人にしない」「汝の隣人を自分のように愛せ」はやはりちがうような気がします。自分の身を守るために教育委員会や保護者とのトラブルを避けるため、周到に「人権上の配慮」をする冷たい心の持ち主というのはいるような気がします。私は通知表の担任所見を何箇所も直すように校長から言われました。理由は「配慮が足りないから」。「授業中静かですが」もダメ、「授業で騒ぐこともありますが」もダメ。「こつこつ努力しています」「集中できないこともありますが」に書き換えなくてはならないのです。問題が起こらないように、と思うと何も内容のあることは書けなくなります。そしてほめておくに限るのです。ほめさえすれば文句は言われないから。揚げ足を取られないように、という細心の「配慮」が徹底すれば、「韓国人に雇われていただなんて、恥だと思え!!」「クサイ」「うざい」「死ね」という言葉のやりとりがなくなるのでしょうか。私にはそんなふうには思えないのです。
2008/4/6(日) 午前 8:36
PTAの廃止・解散をするのは、東京都の杉並区立和田中学校だそうですよ。↓
http://mainichi.jp/life/edu/archive/news/2008/03/20080323ddm041100028000c.html
私には、よく意図がつかめません。ただの理想論のような気もするし、これがやってみる価値がある策なのかも、よく解りません。
学校で教える「人権」って、何なんでしょうね。昨日だったか・・・おとといだったか・・・ニュースで「卒業文集の作り直しを指示」というのを見ました。文集の中の生徒が主体になって作る部分のクラスのなんでもランキングとかいうコーナに「将来、官邸に放火しそうな人」とか「将来橋の下でくらしそうな人」「KYな人」「末期な人」などの項目があり、それぞれ生徒3人の名前が挙げられていたそうです。編集段階で担任の教諭が目を通していたそうですが、「生徒も『ギャグ』と了解しているので問題ない」と判断したというのです。生徒達に人権教育をする前に、こういうことをOKと判断してしまう先生の意識を変えた方がいいのかも・・・と思ってしまいました。
2008/4/6(日) 午前 11:13 [ プリンプリン ]
↑上のコメントの間違いに気づいて、削除して書き直そうとした際に、その一個上の自分のコメントを間違って削除してしまいました。失礼しました(汗)。
2008/4/6(日) 午前 11:16 [ プリンプリン ]
教育現場ってそこまで崩壊しかかっているのですね。
思い出したくもない学校時代のことは、そういった学校体制にも
あったのかと思わされ、言葉が出なくなりました。
2008/4/6(日) 午後 2:08 [ - ]
なんだか良く分かります。
お役所主催の研修の書類からにじみ出る、うそ臭さ。
事なかれ的にこれは指導して抑えておきました、みたいな。。
心は、真実は そういう「事なかれから」はどんどん遠ざかったところに存在する。そんなきがしますね。
2008/4/6(日) 午後 5:55
プリンプリンさん、和田中って今話題の塾を放課後呼び込もうっていう公立中学ですね。よくわからないですね。
「生徒も『ギャグ』と了解しているので問題ない」と判断したというセンスは大いに問題アリ、ですね。でも生徒がギャグと了解していたというのはきっとそのとおりなんだろうと思います。悪気はないんです。悪気はないというのが一番始末に負えないんです。いじめてたんじゃない、遊んでたんだというのと同じように。私は教室で生徒が誰かが何か言うたびに「KY!」と暗黙の圧力をかける子供たちも問題だと思っています。「KY差別をゆるしてはいけない」という条項は「人権教育」のパンフレットには載ってなかったなあ(笑)。
2008/4/6(日) 午後 9:52
星さん、「思い出したくもない学校」はきっと色んな問題を孕んだ場所だったのでしょうね。苦痛を感じる感性の方が正常かもしれません。
2008/4/6(日) 午後 9:55
ぱーぷるさん、「事なかれ的にこれは指導して抑えておきました」って多いんですよ。だから学校は自由であるに越したことはないと思うようになりました。そうでないと「ウソ」が充満して生徒たちの心も荒れるんですよ。自由といっても権力から自由であるという意味です。有志の教師が集まって一つの特色ある学校を作り出すのなら、それがどんなに「厳しい」学校であったとしてもウソはないでしょう。
2008/4/6(日) 午後 9:58
学校と言うところが、こんなにもひどい状態になっているんですか!
不登校の子が正常なのか〜!と思ってしまいます。
大人の世界にも人を信じない(信じられない)が蔓延しているのでしょうね。
2008/4/11(金) 午後 6:15
きもの工房さん、上からの管理がなければもっとマシなところになると思いますがね。主体なき管理は最悪です。
2008/4/11(金) 午後 10:30