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いっさいは空である
子ろばのエッセイ
いっさいは空である
子ろばのエッセイ
[ kabanotakara ]
2013/1/22(火) 午後 4:03
心の成熟度
子ろばのエッセイ
[ kabanotakara ]
2013/1/22(火) 午後 3:46
心の成熟度
子ろばのエッセイ
最後に、やはり「良い人との出会い」が大切なように思います。
良い人と深く関わることで、人は変わりますから。
私でいえば、教会の人たちや神父さん、兄弟姉妹と深く関わりましたからね。
あと・・・心が成長するためには、自己義を捨てることですかね・・。
プライドや信念は、心の成長を止めるか、歪める。
心が成長していない人は、基本的にプライドが高いです。
だから、プライド教育は危険だけど、神さまに「高価で尊い」と絶対の眼差しで見られている信仰がないと、やはりチリに過ぎない人間はアイデンティティが保てないのは無理もないか。
などなど、心が成長について、さっと思いつくことを書いて見ました。
ちなみに、私は子ろばさんからたくさんのことを学びました。
天然で抜けている一方で、大切な事をしっかりと見ようとしていらっしゃる。
心の成熟度
子ろばのエッセイ
>ラストシーンに近づくにつれて、おばあちゃんの心に気づき始める。
心が成長している人と、そうでない人がいることは私も気づかされるところです。
心が成長していないから精神的な病を患っているような人もいますが、精神的な病を持っている人でも見事に心が成長している人がいます。
心の成長は、「心を重ねる」こととすごく関係しているように思えます。
他者の人生や心に、自分の人生や心を重ねて、自分自身を別の角度から見れるようになって初めて、自分自身を成長させることができますから。
もう一つ、他の人の喜びを自分の喜びとできる人は、何より心が強くなります。
他の人が喜んでいるのを見ることが自分の喜びとなるとき、他者の喜びに仕えることができるようになります。
他者の喜びに仕えることができるようになると、個別的には合う合わない、出来た出来ないはあるとしても、一般的にはその人から良いモノを引き出すことができるようになるのは道理です。
いっさいは空である
子ろばのエッセイ
kaba先生、なんだかうらやましいですね。親に愛されて育った人は、他人がそうでない親の姿を語るのを見ると、「いつかあなたも親の愛に気づくでしょう」というようなことを言います。kaba先生はそうじゃないけど。でも残念ながら子供を愛するほど成熟していない親っているんですよ。またその親がそのまた親の被害者であったともかぎりません。祖父母は父の養父養母で血のつながりはありませんでしたが、私が幼心に覚えているかぎり、孫の私にも父にも愛を持っていました。明治人だからそれなりに親子の距離はありましたが、温厚で温かみも感じさせる祖父母でした。育ち方ってある年齢までは引きずるものですけれど、二十歳すぎたらそれもある程度客観視して乗り越えられるものじゃないでしょうか。
いっさいは空である
子ろばのエッセイ
[ kabanotakara ]
2013/1/18(金) 午前 7:25
人は、自分の影に親の影が見え隠れしているものです。子ろばさんのお父様もそのような親の影をしらずしらず重ねて生きてきたと思います。かつての親が自分の否や弱さを出すことをしなかったようにそれをよしとした時代の影わも重ねていきていたように・・。私の父は、感情や思いを余り表に出すことはなく、子供達との触れ合いもほとんどしませんでした。でもしずかな暖かさを距離を持ちながらも感じさせてくれました。死の床にいた時、一日夜通し中、付き添った私に対して酸素マスクの下から、「悪いね。ありがとうよ。」と言ってくれました。それが父が私に残してくれた最後の言葉でした。父は、若き日は、マルキストで、母と知り合ってからしばらくしてキリスト者となり、内村・矢内原を通して熱心なクリスチャンとなりました。幼い日々、父に対して親しみを感じなかった私ですが、最近、次第に私は自然と自分の影に父の影を感じるようになりました。
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