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気の滅入ること

もうすぐ冬休み!心からうれしい。
 
どこにも行かないで、お金は使わず、一日中家にこもって、
 
図書館で借りた本を読みまくる予定である。
 
朝風呂もいいし、昼ビールもいいな。
 
この「予定」はさすがに計画書に書いて学校長に提出しなくてもよい。
 
オトナになってよかった。
 
高校生は「冬休みの学習計画」を書いて担任に提出しなくてはいけない。
 
勉強以外にも余暇をどう過ごすか書いて提出しなくてはいけない。
 
ぶったまげた。。。
 
私が高校生だったら、こんなことをされた時点で、
 
勉学意欲は萎える。
 
きっと沸々と静かな怒りをたぎらせることだろう。
 
しかし高校生は慣れたもので、
 
「べんきょう、ちょっとべんきょう、かなりべんきょう」とか
 
「未定、未定、未定」とか書いてテキトーに済ましている。
 
「小学校のときからこういうの書かされてきたけど、ぜったい計画どおりにやったことなんてないよね」
 
とか、
 
「これ提出してせんせい読むの?」とか
 
きわめて健全な反応をなさる。
 
せんせい、ちょっと安心しました。
 
計画表はね、きみたち、せんせい読むわけないじゃないですか、そんなもん、
 
こっちもいそがしいんだし。
 
われら教員もおんなじことを教育委員会に書かされ、提出を義務づけられている。
 
研修計画書とか報告書とか振り返りとか。
 
「委員会、読むわけないよね」とか言いながら
 
義務的に文字を埋めている。
 
たいへん非教育的だと思う。
 
言葉というのは相手に届けたいと思って発話したり書いたりするものだ。
 
相手が言葉をまともに受け取らないと知っていて発話したり書いたりするのは「垂れ流し」であるし、
 
「垂れ流し」をさせるということは、言葉なんかどうでもいいと思っているということだ。
 
こういう形式的な計画書や報告書や「振り返り」にいったい何枚くらいの紙を消費しているのだろう。
 
それでいて教科書にはマータイさんの「もったいない」が毎度取り上げられ、
 
資源を大切にすることが推奨される。
 
たいへん非教育的だと思う。
 
子供たちはすでに言葉なんて信用していない。
 
メッセージよりも、言語化されないメタメッセージの方を見抜こうとする。
 
こうした一連の「教育活動」が伝えるメタメッセージは何なのだろう。
 
 
捕捉…風邪で寝込んだクラス担任に代わってホームルームをやった日の出来事。
 
前任校ではこんなもの書かせなかったし、その前の私立でも書かせなかった。「やたらふりかえりとか計画とか
 
書かせるなあ」と思ったのは公立中学校だ。その学校、その学校の文化というものもあるんだろう。集まっている
 
教員の思想傾向も文化を左右するだろうし、その逆もありだろうし。忘年会の時にここに書いたとおんなじことを
 
同じテーブルの同僚に言ってみたけど、「スケジューリングの大切さは教えたいんだよね」と言われておしまい。
 
「まじめで意欲的な教師」の多い職場だから、下手すると、「じゃあ計画書は全部目を通して、コメントをつけて返
 
しましょう」とか「計画を立てられない生徒を指導しましょう」とかいうことになりかねない。そーゆーことが言いた
 
いわけではないのだ、私は。
 
計画は誰かに見せるものじゃないし、指導してもらうものでもない。
 
たいへん無計画で、夏休みの宿題を毎度8月30日にやっていた私、長じて洗い物を山のように放置していた私
 
が、「いやなことはサッサと先に済ます」人間に変身したのは、たぶんどっかで痛い目にあったり、「お皿はすぐに
 
洗ったほうがこびりつかなくて、結局労力の節約になる」と学んだからだ。この「学び」はどう考えても教師に教わ
 
るものではない。

天の御国

民主主義は「弱く小さく貧しき者」の権利までをも保障しようとする
 
神さまは「弱く小さく貧しき者」にのみ関わってくださる
 
ひとりの人の中に「強く大きく富める部分」と「弱く小さく貧しい部分」があるのなら
 
後者にのみ神さまは関わられる
 
民主主義と神の御国は似ているようでいてまるでちがう
 
成り立ちがちがい、まなざしがちがう
 
そのことを身をもって知っているのは、
 
「弱く小さく貧しき者」だ
 
教会にNちゃんという姉妹がいる
 
先天性の病を持ち、教会でも長いことしゃべらなかったNちゃん
 
今では元気によくおしゃべりするNちゃん
 
教会でもはじめのころそうだったように
 
学校でもほとんどしゃべらず友だちもいなかったというNちゃん
 
良心的な教師が「Nちゃんも仲間に入れてあげてね」と言うのが
 
有難迷惑だったと語るNちゃん
 
この良心的な教師がNちゃんを救わなかったのはよくわかる気がする
 
イエスさまは「Nちゃんをさえ」仲間に入れてクラスづくりをされるのではない
 
Nちゃんの痛みを「隅の親石として」御国を作られるのだ
 
そこに民主主義と天の御国の
 
似ているようでいて
 
まるでちがう成り立ちがある
 
イエスさまだけが
 
わたしたちの涙をぬぐってくださり
 
わたしたちを慰めてくださる
 
 
 
 

Hさんのこと

教会に「兄さん」が持ってきてくれた朝日新聞の悩み相談の切り抜き。相談の趣旨は、皮膚病で心はボロボロ、引きこもりとアルバイトを繰り返す生活、死にたい、占い師や霊能力者にすがったら、祖先のたたりだということ、自殺未遂も何度か繰り返した、というもの。芸能人の美輪明宏さんがこの悩みに次のように答えています。
 
街中を行き交う群衆、普通にさりげなく見える人々が実は悩んでいて、苦しみ痛みを
大なり小なり持っていない人は誰一人としていないのです。その差は表からは見えません。
私も七十七年間のこれまでの人生で、長崎での被爆体験をはじめ、さまざまな怪我、大病を
患い、耐え、克服してきました。1950年代に芸能人としてデビューした当時は、日本中から
化け物、変態、国賊と罵詈雑言を浴びせられました。
そのころ、ボランティア重度身体障害者の施設に行ったのです。目も耳も口も手足も不自由な
子どもたち、その子たちが一斉に心の声で私を叱りました。
「あなたの悩み?そんなものは悩みのうちには入らない。私たちは自力でトイレにさえ
行けない。家族をはじめ、愛する人たちに自分の声で愛を伝えることさえ一生できない。
その顔を見ることも、その声を聞くこともできない。このつらさがわかりますか?
それに比べ、それらが全部できる貴方たちはなんて幸せなの!!」
私は背筋が伸びました。
「世間の人々は皆幸せそうに見え、何故自分だけがこんなに不幸なつらい目にばかり
 遭うのか...」と錯覚していたのです。
彼らこそ、どん底に耐え、なお立派な精神を保つための修行をするために、また私たちを
戒めるために送られた菩薩たちだったのです。
世を人を恨み、嘆き、悲しむばかりのマイナスの波動を出し続けている人はマイナスの
事物事象を呼び込むのです。逆に無理をしてでもプラスの想念を保ち、発し続けると
プラスの現象が集まってくるのです。これが「天は自ら助くる者を助く」という意味です。
決して諦めなければ、必ずいつか朗報がもたらされるものなのです。
心が好転しにくい場合には、例えば聖歌を唱ったり、お経などを唱えたり、
優しく美しい昔の叙情歌や唱歌を唱ったり聴いたりすると安らかになることがよくあります。
救いはあなたの考える文化の力にこそあると思います。
ただし、占いや霊能者、宗教に振りまわされてはいけません。用心しましょう。
 
 
私たちが集う小さな教会は、Hさんが1億円の献金をして下さったおかげで建てられました。Hさんの1億円は、
 
若いころ勤務していた化学工場の事故で負った火傷の見舞金でした。衣服を着ていたところが全身ケロイド状態
 
で、一見するところわからないけれど、長袖の衣服を脱ぐと全身無残なケロイド状態で、会社の見舞金で経済的
 
には困らなかったけれど、結婚もせずに人生を終えたそうです。あるとき牧師のN先生の礼拝メッセージを聞い
 
た翌週、HさんがN先生のところに来て言ったそうです。
 
「N君、わかったよ。僕は自分がなぜ火傷を負ったのかとずっと問いつづけてきたけど、それは主が焼いて下さっ
 
たんだね。僕の罪を焼いて下さったんだ。」
 
本当に、晴れ晴れとした顔でそう言ったそうです。
 
私は折りに触れ、このHさんの精神の気高さを思います。
 
自分が苦しいときに、Hさんのこのエピソードを思い起こします。Hさんはそのようにして得た1億円を献金として
 
捧げて下さいました。だから私たちはここに集っています。それだけでなく、Hさんは私たちのそれぞれの人生に
 
希望の実を遺して下さいました。Hさんのケロイドの身体は滅びましたが、Hさんは朽ちないものを遺して下さい
 
ました。「一粒の麦」が死んで、「希望」と「喜び」の実を。
 
福音書の次の箇所は、苦しみにぶつかった時、なぜ私たちが霊能者や占いにすがらないかということの答えでもあります。
 
「さて、イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけた。 弟子たちがイエスに尋ねた。「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。」
 イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもありません。神の業がこの人に現れるためです。」
(ヨハネ 9章1〜3節)

ジェラシー

英語の勉強をしていたら面白いエッセイをみつけました。
 
「嫉妬(ジェラシー)について」
 
歳をとってできなくなることはたくさんあります。歳だけ重ねて依然としてできないこともたくさんあります。
 
けれど歳をとって、せめてジェラシーやプライドから解放されて、謙遜に、イエスさまの軽やかさをもって生きることができたら、どんなに素敵だろうと思います
 
以下、心に触れたこの英文エッセイを翻訳してみました。
 
 
 
          ジェラシーとは何か
 
ジェラシーは、他人が何かを成し遂げたり、周囲から認められていたり、魅力的だったり、何かを持っていたりす
 
ることに対する憤り、あるいは優位に立って意気揚々としているようにみえる誰かさんに向けられた敵意という特
 
徴をもつ精神的な態度、ないしは感情的な罪である。
 
ジェラシーはプライド=傲慢、という罪にかならず伴う結果である。ジェラシーは、プライドから始まる一連の罪、
 
あるいは罪の複合体の一部であると考えられうる。
 
プライドが高いということは、感謝するということとは反対の態度である。プライドの高い人は、神の恩寵に対して
 
盲目である。プライドを持つと、人は実際とはかけ離れた大層な自尊心、他人より自分の方が優れているという
 
事実ないし思い込みに根差した自尊心で、自分を眺めるようになる。
 
箴言14:30 「健全な心は身体を生かすが、ジェラシーは骨を腐らす」(註)
 
箴言 27:3,4,「石は重く、砂も重い。しかし愚か者の怒りは石よりも砂よりも重い。怒りはすさまじく腹立ちはとうて
 
い収まらないが、ジェラシーの前に立つことのできる者がいるだろうか。」
 
プライドは虚栄の同義語である。虚栄とは自分の人物、業績、所有についてのむなしいプライドであり、注目され
 
たい、認められたい、他人の是認や称賛を得たいという過度の願望と一体である。
 
他人の受けている恵みや成功、所有物、魅力、注目に不満だからジェラシーを感じるのである。
 
ジェラシーはまた、友情や愛を失うのではないかという怖れから生まれる。もとはといえば自己中心的な気分、
 
相手の愛情がライバルに移ってしまったのではないかという疑う気分である。
 
そうしてジェラシーは、愛やビジネス、職業生活、社交、運動競技、さらにはまた信仰生活においてさえ、熾烈な
 
競争をもたらす。(続きはまた更新時に)
 
(註)新共同訳では「穏やかな心は肉体を生かし、激情は骨を腐らせる」とあります。New International Versionの英語聖書では、A heart at peace gives life to the body, but envy rots the bones. この英文エッセイの引用聖書はA sound heart is life to the body; but jealousy is rottenness to the bones. ですから、「激情」ではなく「嫉妬」と訳す方が正しいように思います)
 
Definition
Jealousy is a mental attitude or emotional sin which is characterized by resentment of another person’s accomplishments, recognition, attractiveness, or possessions, or by hostility towards someone else who is believed to be enjoying some advantage.
Jealousy is a common result of the sin of pride, or arrogance. Jealousy can be thought of a part of a collection or complex of sins which begin with pride.
A prideful attitude is the opposite of a grace attitude. A person who is filled with pride is blind to the grace of God. Pride makes a person think of himself with a lofty self-esteem that is far apart from reality, and has a source in some imagined or real superiority to others.
Prov. 14:30, “A sound heart is life to the body; but jealousy is rottenness to the bones.”
Jealousy is one of the strongest mental attitude sins.
Prov. 27:3,4, “ A stone is heavy, and the sand weighty, but a fool’s wrath is heavier than them both. Wrath is cruel (fierce), and anger is outrageous, but who can stand before jealousy?”
Pride is synonymous with vanity, which is empty pride in regard to one’s person, attainments, or possessions, coupled with an excessive desire to be noticed, to be recognized, to receive approval or praise from others.
Jealousy, then, is the result of discontent with the blessings, successes, or possessions of other people, or of their attractiveness, or of the attention that they receive.
Jealousy also comes from the fear of losing another person’s friendship or love, a mood that is based on self-centeredness, that suspects that the other person’s love has been diverted to a rival.
Jealousy, then, brings about a frantic competition in love, business or professional life, social life, athletics, as well as in the religious life.

尖閣諸島

イメージ 1
 
 
尖閣諸島は日本のものだ、と日本人が日の丸を立てた
 
イメージ 2
          尖閣諸島は中国のものだ、と中国人が中国国旗を立てた
 
         すべては父なる神のものであり、「私のもの」と言えるものなんか何もないというのに
 
         尖閣諸島に十字架の旗を立てようか…
 
         こんなふうに?
 
イメージ 3
 
イスラム教徒と戦って、エルサレム王国の領有権を主張して十字架の旗を立てた十字軍
 
キリスト教がいかに十字架を歪めてきたかということがひしひしと感じられる
 
 
 
 
「わたしのもの」なんて言えるものは何もない
 
すべては父のものである
 
尖閣諸島は誰のものでもない
 
それが私のものであり、私の所有権を他人が侵すのは不正だというのならば
 
私たちは他人を襲った不正に果たしてこれまで関心を持って憤ってきたかどうか
 
を思い起こしたらよい
 
私たちがダイエットに励んでいるとき
 
飢えていた人たちのこと
 
その人たちと私たちの持ち分の多寡がそれぞれ「正当に」与えられたものだなどとは
 
言えないだろう
 
だとすれば尖閣諸島の「正当な領有権」も存在しない
 
 

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