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子供のころは死ぬのが怖かった。
子供の気持ちなんてまったく考えない父親が、ある時水素爆弾の話をした。
父「原爆よりも破壊性のある水素爆弾っていうのがあって、ボタンひとつ押し間違えると
発射されてしまうんだ」
私「じゃあ外国へ逃げたらいいの?」
父「どこへ逃げたって同じさ。放射能は空気や海流にのって運ばれるんだから」
幼い私は心配で心配で数日間勉強も遊びも何も手につかなかった。
北極か南極へ逃げようかとも真剣に考えたが、「それもむだだ」と父親は言う。
そう言う父親はなぜ平気なんだろう、と不思議だった。
また子供にこんな話を聞かせて不安がらせる意図は何なのだろうと悩んだ。
わが子を愛してはいなかったのだろう、つまり。
別のある日、遊んでいて指を切った日の夜中、猛烈なだるさに襲われたことがある。
「体がだるいよ、痛いよ」と母に訴えると、
「破傷風かもしれない」と母はあわて、なんと救急車を呼んだ。
結局、破傷風でもなんでもなかったが、
あわてふためいた母の様子とともに病気や死の恐怖は幼い私の心に刻印され、
小学生の私は初めて「宗教」にめざめた。
毎晩寝る前に、知っているかぎりの「おそろしい死病」の病名をとなえた。
「マラリア、コレラ、チフス、水俣病、イタイイタイ病etc...」
となえることで寝ている間に死病に感染することが防げるかのように。
また「破傷風騒ぎ」の時に抱いていたサルのぬいぐるみを忌み嫌うようになった。
「宗教」はおそらくこうして生まれる。
地震と原発事故が起こり、
同僚の奥さんは「神社にお祓いに行った」そうだ。
大人になり、
いつのまにか「死」は一番怖いものではなくなった。
なぜなのだろう。
たぶん「死」よりももっと怖いもの、悲惨なものがあることを知ったからだ。
たとえば戦争が悲惨なのは単に「死」をもたらすからではない。
ヒロシマよりもオキナワよりも特攻隊よりも戦慄する事実は、
補給を断たれた日本兵が、南京で中国人を殺し、レイプし、略奪したということだ。
中国人を「マルタ」と呼び、ペスト菌を注射して、
生物兵器の人体実験をしたことだ。
食べ物もなくマラリアでフラフラになりながら亡霊のようにさまよったジャングルで、
くじ引きに負けた仲間の日本兵を殺してその肉を食べたことだ。
同時にこんな事実も知った。
アウシュビッツのガス室で、殺されようとする友の代わりに名乗りをあげて
死んでいったコルベという名前の神父がいたことを。
第二次世界大戦で日本軍の捕虜になり泰緬鉄道の建設に酷使されたイギリス人が、
その地獄のような「クワイ河収容所」で、
友をいたわり、助け、
「天国とはここのことなのだ」と確信するに至った奇跡のことを。
これまでだってつらいこと苦しいこと、目の前が真っ暗になることはあったけれど、
その暗闇を照らしてくれたのは、
コルベ神父や「クワイ河収容所」の囚人たちだった。
絶望的な状況とみえるものの中にも希望があるのだということを
教えてくれたのは彼らだった。
「一粒の麦もし死なずば」
子供のころのたあいない質問あそびで、
「いちばん大切なものはなに?」と聞かれるたびに、
私は迷うことなく「命」と答えていた。
「命」より大切なものがあるはずがない、と思った。
大人になって、死よりも怖いものがあると同時に、
命よりも大切なものがあるということを知ったのだ、たぶん。
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