空の空、空の空、いっさいは空である。
日の下で人が労するすべての労苦は、
その身になんの益があるか。
世は去り、世はきたる。
しかし地は永遠に変らない。 (伝道の書第一章)
私の父は暴君であった。
かんしゃく持ちで、気に入らないことがあるとすぐ暴力をふるった。
小さな商店を営んでおり、母をあごで使った。
勤勉ではあったし節約の習慣もあったから、
家長としての責任は果たしたと言わなければならない。
私を大学まで出してくれたことには恩義を感じている。
しかし父と心を通わせたことは一度たりともなかった。
「一度たりとも」という表現に、われながら愕然とする。
無口でおっかない父親があるときふと情をみせたとか
何気ないひとことが忘れられないとか
大人になってから父の気持ちに気づいたとかいうこともない。
かんしゃく持ちで時折殴りつけてきたことを除けば、
とくに虐待されたという覚えもないが、
愛されたという実感もない。
リカちゃん人形が登場する前の「タミーちゃん」「ペパーちゃん」という
アメリカの人形を私と妹に、海外旅行の土産として買ってきてくれた。
当時としては高価な人形だったのだと思う。
しかしどこか唐突感が否めず、
子供好きな伯父が正月に甥姪全員におもちゃを買ってくれた自然さとはほど遠いものがあった。
近所の寿司屋で夕飯後一杯ひっかけた後、寿司を土産に買ってくることもあった。
「しゅしだあ!」と妹はおどけて、私も喜ぶふりをしたが、
食べるかと聞かれれば、夕ご飯を食べたあとだから明日、と答えたのは、
礼儀正しく正直な子供の返事であった。
しかしそう返事をするや否や父の機嫌が悪くなるのを見て、
おなかがいっぱいなのに美味しそうにお寿司を食べたものである。
母が風邪で寝込むと、初日は張り切って夕飯を作り、デザートまで奮発するが、
一日二日と経つうちに機嫌が悪くなり、三日目には爆発するのを
私も妹も経験から予測するので、
初日の上機嫌で差し出されたデザートを恐怖とともに味わったのを覚えている。
万事がこの調子で、
私と父は今日に至るまで概ね平和裡に父子関係を続けているが、
心が通ったことは一度もない。
母は甘える女ではなかった。
「母である」ということが母のアイデンティティであり、
「度量の小さい男とはちがって女はどこまでも度量を大きくしていくことができるのだから」
というのが母の口癖であった。
父と母も今日に至るまで概ね平和裡に夫婦関係を続けている。
父は悪人というのではなかったが、
大人の男として妻子を愛するほどに成熟してはいなかった。
父は今、もうろくしている。
母の姿が少しでも見えなくなると不安に駆られて探し回る。
幼児のように。
このまま赤ん坊のように看取られていくのだろうか。
父の人生にもいろいろあり、金儲けの他に趣味らしきものさえあったことも知っている。
まだ貧しい日本の零細商店の息子の分際でスキーやヨットもやり、
コーヒー豆を手に入れてサイフォンで淹れて、蘊蓄を垂れていたことも覚えている。
人は人生にたくさんのことを為し、たくさんの言葉を発する。
しかし父が人生において為すべき唯一つのこと、唯一つの言葉が何であるかを
父の人生の数年間をともにすごした私は気づいているように思う。
母に対する(父にとって妻に対する)「ありがとう」だ。
もしその言葉を発さずに逝くのならば、
父がこれまで何を為し、いくつの言葉を発したにせよ、
私はソロモン王と同じく、
「空の空、空の空、いっさいは空である。
日の下で人が労するすべての労苦は、
その身になんの益があるか」
とつぶやかざるを得ない。
父にかぎらず、人は人生で多くのことを為し、多くの言葉を発するけれど、
本当に必要なただ一つの言葉を語って死ぬだろうか。
職場の同僚にも、配偶者にも、子供にも言えない言葉があるのを知っている。
心を重ねなければ言えない言葉があることを知っている。
元夫の父(私の舅)は、戦争中ビルマに赴き、そこで経験したことを
妻にも息子にも語らずに息を引き取った。
自分の人生で一番重要だったことをなぜ人は語らずに死んでしまうしかないのだろうか。
インターネットの世になろうと変わらない。