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あべこべの世界

今日は聖金曜日です

キリストが十字架にかかられた日

キリスト教(この言い方、好きじゃないんですけど。。。)は他の宗教とどこがちがうか

それはここ

神自身が献物となり生贄になったということ

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人はふつう自分の願いごとを神にかなえてもらうために

献物をささげる

お賽銭だったり

収穫した野菜や米だったり

生贄だったり

ユダヤ人も生贄の羊や鳩をささげて

神に祈った

今年も豊作でありますように

子孫が繁栄しますように

受験に合格しますように

家内安全でありますように

病気が治りますように

就職口が決まりますように

仕事がうまくいきますように

いい人と結婚できますように

自分の欲望を叶えてもらうために

欲望の一部を犠牲にする



でも神ご自身が犠牲の生贄になっちゃったら

どうしたらいいんでしょうねえ。。。



あべこべの世界

神自身が犠牲の生贄になったら

叶うのは神の願い

人の思いではなく神の思い

わたしの思いは、あなたたちの思いと異なり

わたしの道はあなたたちの道と異なると

  主は言われる

天が地を高く超えているように

わたしの道は、あなたたちの道を

わたしの思いは

  あなたたちの思いを、高く超えている      (イザヤ書55:8−9)


おっと〜!あぶないあぶない!

理性で思い描くこともできない「神の計画」や

常識を超えた「神の世界」のために

世俗のフツーの欲望を犠牲にするって

オウム真理教っぽくありませんか?



経験を超えた世界を仮定するならば

カルトに足を踏み入れることになりかねない

けれど私たちは「神の国」をまさにこの現実の真っ只中で

かいま見ることができるから

「ああ、これが天の御国の平和であり安らぎなのだ」と感じることができるから

そしてその体験の瞬間に

「なるほどこれは私の想像を超えた平和と安らぎ、私の想像しえない美しさであった」

「私の思い描く以上の幸福だ」と驚くので

わたしの思いより神の思いの方が

はるかに豊かであり

いのちの泉であることを信じるのです


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天の御国はあらゆる意味で 

あべこべの世界

十字架は人の思いを超えている

もう一つの悔い改め

私が4年間を過ごした山形の小さなキリスト教主義学校は、私にとって「理想の学校」でした

出会った瞬間から私はこの学校に惚れ込みました

給料が今までの4分の1になってもかまわない、と思えるほど惚れ込みました

自給自足、とまではとても行かないけれど

自分たちの食べる物を種や苗から育て

牛や豚の世話をして

(いまどき)汲み取りトイレの汲み取りまでして天秤でかついで

生徒たちは勉強のかたわらよく働き

「ご苦労さまです」と挨拶をかわし

初めてこの学校を訪れた私にも

「こんにちは」と目をみて挨拶をしてくれました


学校にはいつも誰かしらが弾いている讃美歌のオルガンが響き

生徒たちが歌う賛美歌や祈りの歌が聞え

朝夕の祈り

生徒も職員も全員が交代で

朝夕の祈りに自分の選んだ聖書箇所を読み

所感を述べ

その所感を皆が静かに聴き、受け止めていました

自分の思いを語り、他人に受け止めてもらうという経験が何かに妨げられている今日

他人の心の声に耳を傾け

受けとめるということを

今の若者はどれだけ経験しているでしょう

その恵みにあずかっているでしょう

日本史教師として、十五年戦争について半年間もかけて教え

生徒たちは真剣に聞いてくれて

戦争の悲惨さと愚かさを目を見開いて受け止めてくれました

春、かたくりの群生が野山を埋めつくす頃

風邪を引いて植物観察に行けなかった私の枕元に

ひとりの生徒がコップに挿して持ってきてくれた野の花は

今も私の心に残る命の泉



私はその後都会に戻り

カトリックの女子校で数年間教えた後

公立中学校に職を得ました

この1年間、私は心の中で、あるいは言動にあらわして

常に子供たちを非難していました

お掃除をしない

ゴミを床に捨てる

「おはよう」と言っても黙っている

黒板を消すように日直に言うと

「テメエが自分で消せよ!」とさけぶ

「授業を聞いてやってるんだろ?!ありがたく思え!」とさけぶ

授業中立ち歩く子や大声で私語をする子を叱ると

「キレた」とあざ笑う

授業妨害する子に迷惑している子供たちも黙っている

「あの子たちを静かにさせるのは教師であるアナタの仕事でしょう?

自分の仕事もちゃんとできないクセにアタシたちに要求しないで!」

中学生だから論理立てては言えないけれど

そう考えているのだということがわかってきた


長い冬 雪に閉ざされた中に響く祈りの歌声を思い起こしながら

私は目の前の中学生たちを非難していました

私が今かかわっているのはこの子たちであるのに

それでもようやく私は気づかされてきました

「子供たちが人の話をきかない」と私は非難するけれど

私自身も子供たちの声をきいてこなかったのではないだろうか、と

私が求めるものと

子供たちが求めるものとで

私が求めるものの方が価値が上なのだという思い込み

その思い込みと隠れた傲慢さを

子供たちは敏感に感づいていたのではないだろうか

授業中ある子が配られたプリントで紙ヒコーキを折っていたのならば

英語のプリントより紙ヒコーキのほうが彼にとって価値があったのです

やみくもに叱る私はその事実をどれだけ受け止めていたでしょうか

私の中にある価値尺度が

私と子供たちとを隔てる



今日、来年度の配属が決まりました

高校でした

採用された地方自治体ではどちらにも配属される可能性はあるけれど

中学校の数の方が圧倒的だから中学だと思っていました

中学校で私は全然いい先生じゃなかった

そのことをまっすぐ重く受け止めよう

ボロボロになった一年だったけれど

今まで気づかなかった大切なことを気づかされた

新しく配属される高校では

まず生徒たちを信頼の目でみつめよう

「信頼しているよ」というメッセージを伝えよう

自分を信じてくれない他人に

人はどうして心を開くだろうか

叱られることばかりして私に叱られていた一人の子供が言った言葉を忘れない

「先生はボクのことが嫌いなんだ」

こんな悲しい言葉を二度と生徒に口にさせないよう

自分自身をみつめていこう

主よ

どうか傲慢な私を打ち砕き

ひとを愛することのできる者に変えて下さい

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わたしの身近な身の回りにおいてそれを言っても始まらないからです

そして「お前は間違っている」「お前は悪い思いを抱き、悪いことをしている」と

実際にかかわっている人間にたいして判断を下すことは

しばしばかかわりそのものを断ち切る捨て台詞になりかねないからです

善悪の木の実を食べると死に至る



願うことはただひとつ

人とかかわりつづける力をわたしにお与え下さい

人を愛することのできないわたしに

愛の御霊を送って下さい


善悪の判断以上にたいせつなこと

目の前の人間とどれだけ深く真剣にかかわれるかということ


わたしに足りないこの力をお与え下さい

今日の礼拝

N先生の今日の説教

わたしたちの傷を悪魔(サタン)に差し出すと

裁きと復讐になるけれど

神さまに差し出すと

癒しがもたらされ

癒されたのちに

他人を癒すことができるようになるのです



私はサタンに出会ったことがあるのです

どんな顔をしてどんな格好をしているかですって?

知らないわ

神さまの顔だって知らないし

だけど神さまだってわかるのと同じように

サタンだってわかるの

光がサッと消えるんだもの


サタンは私に

他人の醜い顔を見せました

その冷酷な顔を

冷酷な言葉を

そして言いました


「お前が痛むのも無理はない」

「奴にはお前の痛みがわからないんだ」

「痛みのわからない冷酷なヤツなんだ」

「お前は正しい」


サタンは言うの

「お前は正しい」

「奴が間違っている」って

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エデンの園で

「善悪を知る木の実」を食べるようにそそのかしたのは

サタンだった


サタンはそうして私に

私自身が相手に与えた傷をみえなくさせました

その痛みをみえなくさせました


ルワンダで

パレスチナで

レバノンで

ニューヨークで

イラクで

起こっているのと同じようなこと


相手の言い分を認めれば

私の痛みと涙が報われない

裁きと復讐はサタンの天秤



天のお父さま

私はあなたにたいしてだけ

私の傷をみせ

思いっきり泣きます

私が正しかろうと間違っていようと

私は悲しい

私が義人であろうと罪人であろうと

私の痛みと悲しみをどうか受けとめて下さい



私は幼い女の子のようにワンワン泣き

父さまは夕焼け小焼けの空の下

手をつないで歩いてくださった

父さまは黙っていたけれど

私がしゃくりあげると

黙ってぎゅっと手を強く握ってくれました



そうして私は他人の傷がみえるようになりました

あなたも痛んでいることを

はじめて理解するようになりました

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ブログ開設おめでとうございます。で、転ばないように気を付けてちょっ★


ヨハネさんからのメッセージ

いつもながらのヨハネさんの絶好調(?)のダジャレ


でもざんねんながら

子ろばのブログは「転ばぬブログ」ではありません

私はきっと転ぶでしょう

子ろばのブログも転ぶでしょう

気をつけていてもね

だから転んでもまた立ち上がれますようにと

転んだ痛手で信仰を失いませんようにと

どうかとりなしの祈りを祈って下さい

イエスのように

ルカの福音書22章31−34節、54−62節

22:31 シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。
22:32 しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」
22:33 シモンはイエスに言った。「主よ。ごいっしょになら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」
22:34 しかし、イエスは言われた。「ペテロ。あなたに言いますが、きょう鶏が鳴くまでに、あなたは三度、わたしを知らないと言います。」


シモーヌ=ヴェーユは書いています

「ペトロ(シモン)の否み。キリストに対して、『私はあなたにいつまでも忠実を守ります』ということは、すでにキリストを否んだことになる。

なぜならそれは忠実のみなもとを恩寵のなかではなく、自己のうちにあるものとみなしたことだから。」(『重力と恩寵』より)



子ろばはきっと転ぶでしょう

だからとりなしの祈りを祈って下さい

それでもなお

ぶどうの木につながっていられますようにと

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