天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。 また天の国は次のようにたとえられる。商人が良い真珠を探している。高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。 キリスト教にも仏教にも、「禁欲」のイメージは付いてまわります 「持ち物をすっかり売り払って」修道院に入り、おしゃれをやめ、お酒もたばこもやらず、 質素な食事に耐え、ぜいたくなんか一切しない 私はかつて修道院みたいな無教会の学校で寮監をしていたので、 普通の人よりは禁欲生活に耐性があると思うけど 真夏のあるの夕飯で、お風呂上りに食卓に出た取れたての「だだ茶豆」でビールを飲んではいけない というのには泣きたくなった だだ茶豆でビールを飲んだら最後、天国へは行けなくなるというんだったら この世で「だだ茶豆でビール」を楽しみ、後のことは後のことで考えようと思う それからベジタリアンを友だちに持つのもうっとおしい ベジタリアンの友だちを食事に招くとレシピに苦労する ベジタリアンの友だちの前でお肉を食べてるとなんだか暗黙に非難されているようで居心地が悪い もともと冷え性なのでエアコンをガンガンつけるのは苦手だけど 「エアコンなんて地球温暖化を加速しているのよ!ウチは自然風よ!」なんて自慢されると やっぱりどこか居心地が悪い そんなわけでものすごく欲望に憑かれているわけでもないけど「禁欲」はやっぱり好きではない 禁欲はどこか「裁き」と背中合わせのような気もするのだ 仏教では煩悩を絶つために修行するけど 上のみ言葉は「修行」や「禁欲」とは逆方向のような気がする 修行して禁欲に成功したら畑の宝を見つけられるのではなく 畑に宝を見つけたら、喜び躍り上がって、全財産を売って畑を買うのだ まず神の国と神の義を求めなさい (マタイ6:33) 飢え渇きと求めとがまず最初にあります そうであるがゆえに「隠された宝」をみつけます 「これこそ長い年月の間、飢え渇きながら求めていたそのものだ!」という確信から 喜び躍り上がって即座に全財産を売り払います
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