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沖縄戦の死者の呪い?

沖縄に修学旅行に行く。

沖縄といえば平和学習と思うだろうが、

「暗く重たい平和学習」はオプションだ。

初日のクラス別行動のコースは、いくつかの選択肢から生徒たちが選ぶ。

コースの説明で教室の前に立った修学旅行委員が言った。

「平和祈念公園のコースは霊感の強い人にはお薦めしません。
この公園では自殺者が何人も出たそうです。」

ガマが全員で行くコースから外されたのも、

「霊感の強い生徒が具合が悪くなるから」だ。

真顔で言う。

教員が、だ。

「前回の引率では、沖縄にいるあいだ、肩に何かがのしかかっているようだった。成田に着いたとたんに(霊が)離れた。」と言う。

彼の手首をみると数珠がしてある。

「毎日洗う」のだそうだ。

「悪い霊気を吸い取ってくれているから、ジャアジャア洗って毎日悪霊を落とす」のだそうだ。

私はぶったまげた。

発想すらしなかったからだ。

しかし「スピリチュアル・スポット」や「パワーストーン」が流行っていることを考えると、

なるほどと思わざるをえない。

けれど、これを「迷信」という以上に、何か大切なものを冒涜していると感じた。

何か大切なもの…

それは「祈り」なのではないだろうか。

沖縄戦で亡くなった人の苦しみに思いを馳せること、

暗く不衛生なガマの中で食糧も水もなく爆撃におびえながら何を感じていたのかを想像すること、

戦争とは何か、

「国を守る」とはどういうことか、

ひとが命を賭けても守らなくてはならないものは存在するのか、

存在するとしたらそれは何なのか、

この苦しみを作り出したものは何なのか…

そうした問いのすべてが「死者の恨み」「呪い」に置き換えられてしまう



数日間、このことを考えている

「何か大切なものを冒涜している」と直感するのはなぜなのか、を考えている

その直感をうまく言葉で説明できない

皆さんはどう思われますか
子供のときはともかく

高校に入ってからは私は勉強が好きだった

勉強すればしただけ確実に報われた

自然とやる気になったし、楽しかった

だから「勉強が嫌いだ」「勉強が苦手だ」という子の気持ちが

本当にはわからない

高校時代の私にとって、

先生の教え方なんてあんまり問題じゃなかった

学校や予備校や塾で教わらなくても

千円程度お金を出せば

数学の原理や英語の文法をわかりやすく説明した参考書が手に入る

独学で十分だけど、「高校には通うものだ」という世間常識から、

独学より能率の悪い集団授業をする高校に通っていただけだ

だから今、教師になって、

「おまえの教え方が悪いから生徒が勉強ができるようにならないのだ」

といわれても(さすがにそう露骨に言われたことはないけど)

ピンと来ないのだ

「生徒のやる気を引き出す授業術」というのもピンと来ない

教師にやる気があろうとなかろうと

生徒の私には、いつもやる気があったし

教え方がめちゃくちゃ下手な教師の授業であればあるほど

理解の穴を埋めるために疑問点を明らかにし、参考書で調べ直す必要に迫られ、

つまりは思考力を鍛えられた

大学に行ってからも同じことで、

「キリスト教概論」の授業はめちゃくちゃ退屈だったが、

講義の要点をノートに取りながら、疑問点と反論もノートに書いていったので

その場で自分が考えたことは、いまだに覚えている

そういうわけで「教え方の上手い面白い授業」より

「教え方の下手な退屈な授業」のほうが好きでさえあった

「教え方の上手い面白い授業」をする教師は、自分のペースに生徒を引っ張りこもうとするので、

小学校で「前へナラエ!」をされている子供になったみたいな閉塞感を味わわされたが

「教え方の下手な退屈な授業」は突っ込みどころ満載で、

「突っ込み」を頭の中でまとめるのは、アクティヴでスリリングな作業だった

突っ込みといっても「先生のこと、キライです」なんていう突っ込み(?)はしたことがない

勉強とはそもそも個人的な好き嫌いは超越して(あるいは脇へ措いて)

学問の土俵で、そのルールで渡り合うものだ

先生もそこらへんはわかっていたのか

私がどんなにぶっきらぼうに無愛想に質問しても

質問の内容がよければ敬意を表してくれた



「教え方が上手な面白い授業」ってどういう授業なんだろう

それは果たして理想の授業なんだろうか

今、教壇に立つ私は、

勉強があまり好きでも得意でもなく

そこそこ真面目だけど自信のない生徒たちを相手に

わからないことを責めて苦痛を味わわせないよう

小さな達成感と成功体験を積み重ねてやる気を出させるよう

あれこれ工夫をしている

工夫の甲斐あって

「わかりやすい」と言ってくれる生徒もいる

だけどホントにわかったんだろうか

わかったような気がするだけなんじゃないかなと内心思う

私は中学二年まで、be動詞が動詞だということがわからなかった

He is play baseball.なんていう英文を平気で作っていた

be動詞という言葉は頭の上をかすめて通り過ぎていっても

そのことと上の英文のまちがいが結びつかなかったのだ

be動詞が動詞だということが「わかった」ときは、

ヘレン=ケラーがコップの水と井戸のポンプから出る水と、サリバン先生の指文字が

同じものを指し示しているのだということが「わかった」ときのような

「地平が拓けた」驚きとよろこびがあった

勉強ができるできないは頭の良し悪しではないのではないかと思っている

生徒たちは不定詞のtoの後は原形動詞が来ると「知って」いるのに、

どうして平気で

They found it to possible contribute to their society.なんて英文を作るんだろう

そしてどうして間違ったとわかったときに

あっと驚いたり悔しがったりしないで

無表情に「まじめ」に赤ペンで修正するんだろう

どうして勉強ができるようにならないのか

それは間違いを指摘されたときにハッとしたり驚いたりしないということに

関係があるような気がする

リンダリンダ

今日は遠足だった♪

遠足のあいだだけ雨が降らないでいてくれて

紅葉の中、「人間関係づくり」の楽しいアクティヴィティができた

ほんとに楽しかった

運動の苦手な子の多い私たちの学校でも

「めんどくさい」気持ちをちょっとだけ奮い立たせ

身体をほんのちょっと動かすことで

相手の名前を呼ぶとか「ありがとう」とか

ほんのちょっとだけ言葉を掛け合うことで

「楽しくなろう」とちょっとだけ協力することで

ほんとに楽しくなる

行きのバスの中はカラオケで盛り上がったし

帰りのバスは「山手線ゲーム」なんてたあいのないゲームで笑顔になった

「目立とう」ではなくて

「みんなと楽しいときを持ちたい」という善意から盛り上げてくれた子たち

ありがとう!

気分が乗らなくてもその善意に協力してさいごは笑ってくれた子たち

ありがとう!!



バスの中で唄ったカラオケ、ちょっと古かったから

私も知ってる歌が多かった

ブルーハーツの「リンダリンダ」は知ってたから

私も一緒に歌った

この歌の「どぶねずみ」を「十字架のイエスさま」に置き換えてみて

完ぺきに歌の意味が通じるのに気がついたよ

バスの中にもつなぎあう手と手のあいだにも今日

イエスさまがおられたんだね

感謝です

ドブネズミみたいに美しくなりたい
写真には写らない美しさがあるから

リンダリンダ リンダリンダ
リンダリンダ リンダリンダ

もしも僕がいつか君と出会い話し合うなら
そんな時はどうか愛の意味を知ってください
リンダリンダ リンダリンダ
リンダリンダ リンダリンダ

ドブネズミみたいに誰よりも優しく
ドブネズミみたいに誰よりもあたたかく

リンダリンダ リンダリンダ
リンダリンダ リンダリンダ

もしも僕がいつか君と出会い話し合うなら
そんな時はどうか愛の意味を知ってください

愛じゃなくても恋じゃなくても君を離しはしない
決して負けない強い力を僕は一つだけ持つ
リンダリンダ リンダリンダ
リンダリンダ リンダリンダ


「ドブネズミ」は十字架のイエスさまです

ダメ教師のわたしがただ一つだけ持っている

「決して負けない強い力」は

十字架のイエスさまと一つの聖霊さまのことです

どうかあなたの平安とよろこびがクラスにありますように

言葉

なんて言おうかしばらく考えた

女生徒のグループのなかでトラブルがあったようで

3時間目までいたA美がいなくなってしまった

帰ってきて私が声をかけるなり泣き出してしまったA美に



教師がこういう友だち関係のトラブルに無神経に入っていくとロクなことにはならない

どっちに同情的に振舞っても結局双方を追い詰める

だから「理由は話したくなかったら話さなくていいよ」と言った

教師に話して解決することなんかあんまりないから

理由がなんであれ、グループのトラブルが誰のせいであれ

とにかく傷ついた子が笑顔になってほしい

こんなときどう言えばいいのだろう

何があったか言ってみろと問い詰めるのは問題外だし

「元気出して」は酷だ

何にも言わないのも思いを伝えられない

そしてこんなふうにしか言えないと気づいた



「明るい気持ちになれるように祈っているね」

「祈っているね」…公立高校なんだけど、やっぱり泣いている子に唯一言える言葉はそれだけだ

イメージ 1

うれしかったこと

彼女は授業の最初から不機嫌だった

仕方なく「なんだか学校だとやたら不機嫌な奴いるなあ。バイトだと愛想よく笑うのに」と言ってみた

彼女がバイトしているかどうかは知らない

教科書に問題の答えを書き込まないほうがいいと言っているのに書き込む

「答えはノートに書いたほうがいいよ。教科書に書き込んだら、あとから解き直しができないでしょ。

強制はしないけどそのほうがいいと思うよ」

と言っているのに。

「どうして書き込む?」と訊くと

「自由でしょ!強制じゃないんでしょ?」と言う

で、私も少々不機嫌だったので

「自由だよ。自由だからこそ、自分で選んでいかなくちゃいけないからこそ、他人の意見を吟味して、アドバイスはきいたほうがいいんじゃないかい」と言った。

「私はこれでいいんです」と彼女。

「解き直しをする必要がないくらい完ぺきに理解してるんだったらいいよ。じゃあ、あんたの理解が完全かどうかテストの結果に注目しよう」



あとから反省した

ちょっと感情的だった

ふだんはあんまりしないタイプのリアクションをしてしまった。。。



ところがその次の授業では彼女は教科書への書き込みをやめて、素直にノートに答えを書いていた



そして今日さっき

残業が長引いて帰りが遅くなったので

学校の近くのファストフードで注文を言おうとしたら

スタッフが「先生!」と声をかけるので驚いて顔を上げると彼女だった

ここでバイトしていたのだ

「おまけ」にプリンをつけてくれた

バイトしている彼女の機嫌はとびきりよかった。。。




考えてしまった。。。

私もちょっぴり不機嫌だった

授業中生徒に向かって「あんた」と言った

「テストの点に注目しよう」と言った

言い返した

いやみを言った

教師は感情的になってはいけなくて、いやみを言ってはいけないと思っていた

だからあとで反省した




で、予想外の生徒の反応にまた考えた

生徒はわけもなく不機嫌になることがある

注意されても意固地になることがある

ヘソを曲げることもある

不機嫌にも意固地にもへそ曲がりにもたいした理由はないことが多い

だからガツっと怒ってやってもいい

ただし不機嫌と意固地とヘソ曲がりにたいした理由はないのだから

生徒の人格とは関係ないと思って、そのことだけを叱ったほうがいい

今まで私は「不機嫌」と「人格」を結びつけて捉えていた

だから概して「やさしい」先生だけど、実は心の中で生徒を裁きがちだった

教師も時に不機嫌でもいい

いつも「やさしく」なくてもいい

ときには嫌味を言ってもいい

だけどサバサバ叱ろう

思いっきり嫌味を言ってあとは気分を切り替えよう



プリンのおまけ、ありがとう♪

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