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いい先生

定年退職して嘱託として勤めているおじいさん先生がいる

その先生の佇まいが好き

気功をやっているのだそう

試験監督をしている間ずっと立って気功をしているんだそう

「ずっと立って見ているとね、座って試験監督をしていると気づかないカンニングがわかるんだ

カンニングはいけないことだよ。

だけどカンニングをしている生徒の周りには、いい気がすごいエネルギーで渦巻いているんだ」

と先生。

「へええ!カンニングって『良い気』なんですか?」と私。

「そりゃそうさ、少しでもいい点取りたいって思ってるんだから、『良い気』だよ。いけないことだけどね、『良い気』なんだよ」

この先生が好き

遠いまなざし

この先生のようにどこかで遠いまなざしをもって

生徒たちを眺めていたい

学校裏サイト

「ネット上に死ね」と書かれ苦に高一自殺(毎日新聞5月31日

「いじめを受けたら一人で抱え込まず親や教師など周りの大人に相談してね」

一人で悩んで自殺していった子供たちのことを思うと親や教師としては当然言いたくなるセリフだけれど

当の子供としてはそう事は簡単ではないのだ、きっと。

私は中学校のとき、ちょっとしたいじめを受けていた

今思い起こすと「いじめ」の中ではたいしたことない部類だったと思う

おとなしくて(じつは単に調子が出ないだけだった)本好きだった私は休み時間に本を読んでいると

「お嬢さん」と言って、「不良」の男の子がからかうのだ

周りの子は時々便乗したりしたが、主にその子だけがからかうのであって、

椅子の上に画鋲が置かれていたことも、教科書に落書きされたことも

靴が隠されたこともない

リーゼントで赤いTシャツを学ランの下に着た「ビーバップハイスクール」そのままの不良少年

だったが、からかうだけで、体育館裏に呼びつけることも、私をド突くこともしなかった



それでも私は胸に鉛のようなものの存在を感じながら、毎日学校へ重い足取りで通った

毎日毎日が針のむしろに座っているようだった

しかし私はけっして両親にも先生にも相談しなかった

だから重松清が短編集『ナイフ』所収の「ワニとハブとひょうたん池で」で

主人公ミキにつぶやかせているセリフと気持ちがよくわかるのだ

家にだけはこないで、家だけはやめて!お父さんやお母さんの前では、いつもの元気で明るいあたしでいたい。両親への気遣いとか、そんなのじゃない。うまく言えない。でも、あたしがこんなに苦しんで落ち込んでいるのを、お父さんとお母さんにだけは知られなくない。好きな男のコの名前を内緒にしたり、たとえお母さんとでもいっしょにはお風呂に入りたくないのと、たぶん同じ理由で。

イメージ 1

表題にもなっている「ナイフ」ではいじめに遭っている息子の父親は

その息子の気持ちを「プライド」と表現している

そして少女の頃の私は友人関係の中でもがくと同時に

子供のプライドを平気でふみにじる親の無神経さにも怒っていたのである



「学校裏サイト」が世間を騒がせている

ケータイにネット、いじめは陰湿になって

子供世界の(大人世界も)人間関係は脆く不安定になっているように思える

解決策はどこにあるのか

これは直感なのだけれど

学校以外の居場所を子供たちが確かに持つことではないのかと考える

昔の子供たちにはこのような場所があった

学校が終わると家の手伝いをしたり店番をしたり、

遊ぶ場合でも弟妹を背中におぶって子守をしながらだったりした

家庭や地域社会という受け皿での「もうひとつの居場所」はたしかにあったのだ
イメージ 3
アメリカの話だけど『大草原の小さな家』のローラなんて幸せな環境に生きている

もちろんそんな時代は私も知らない

私には読書と勉強が「学校以外の居場所」だった

(勉強は学校で教えられるものだけど、学問や知識は学校という狭い社会を相対化して眺めることに役立った。)

今の子供たちはお小遣いをふんだんに貰い、ネットやケータイも与えられ
イメージ 2
人間関係が広くなったようにみえるが

実際はそうではないと思う

中学校は土日も部活である

放課後は塾で学校仲間と再び会う

ケータイやネットで友人同士、昼間のやりとりをまた蒸し返す

たぶんオトナも同じである

会社や母親同士のつきあいが、「自分」という人間を認識する人間関係の全てである

そこでつまづいたらアイデンティティそのものがグラつく



いじめをなくすのも、いじめに負けない心を育てるのも、同じだと思う

学校(あるいは会社、母親仲間)での人間関係を相対化するような人間関係と居場所を作っていくことではないのかと思う

教会は本当はそういう居場所にならなくてはならないんじゃないか

ほとんどのキリスト教会は残念ながらそういう場所になりえていないと思う

牧師や神父の説教は難しいし、医者や大学教授やその奥さんのようなハイソな信徒が仕切ってるし。

創価学会とか新興宗教のほうがよっぽど「居場所」になりえていると思う



「私は友達にいじめられているんです」

こういう告白をするには、「人間」を俯瞰する何かを背骨として持っている共同体が必要なのだ

私がかつて勤めていた僻地の小さな学校と今現在通っている小さな教会は、

そういう意味でなかなか素敵だ

僻地の小さな学校の周りには有機農業をやっている気骨のあるお百姓や山小屋のおじさんがいて

社会に向き合うたくましい背中を生徒たちに見せていた

今通っている小さなプロテスタント教会で「何の病気なのか」と問うた私に

Nちゃんは「腰痛なの」と言うのと同じような口調でその病名を教えてくれた

その病気のゆえに学校でも職場でもいじめられてきたかもしれない

「腰痛なの」と言うのと同じような口調で病名を教えてくれたことが嬉しかった

「そうなんだ、腰痛なんだ、つらいよね、腰痛って」

私もそう自然に答えられる環境にいることが嬉しかった



遠回りかもしれないけれど

私自身をしっかり根付かせることができるような共同体と出会い

共同体を育てていくことなしには

いじめをなくすこともいじめに負けない心を育てることもできないんじゃないかな

学校の外での人間関係がネットとアルバイトではムリなんじゃないかな(ないよりマシだけど)と

ヒョロヒョロした教え子の高校生を見ながら思う

いまどきの高校生

高校教師に戻れてよかった。。。

中学生はどうもよくわからん。。。

宇宙人のように思える

高校と中学ってどうしてこうまでちがうんだろう

春から勤め始めた高校は、繁華街のど真ん中にある

女子生徒には「ギャル」と呼ばれるタイプの子が数割

まつげはやたら長い

髪は栗色である

電車の中で化粧をする若い女性を「いかがなものか」と思っていたが

教室で同じクラスの男子が前に立っているのにムシして机で化粧直しをする

そんで中学校教員をしながらテレビがなくても「最近の流行語」がわかるようになったように

高校教員をしていると「近頃の旬のファッション」がよくわかる

数年前から男の子がズボンをずり下げ、パンツをファッションとしてちら見せするのが流行っているが

近頃は女子も派手なトランクスみたいなのをはいて、

ジャージをずりさげて「トランクス見せ」するのが流行っている

それから男子はカチューシャをしたり前髪をヘアピンでとめたりする

男の子がスカートを履く日もすぐそこだと思う

イメージ 1

(カチューシャをつけた韓国俳優)

この子たちが2年か3年前には「学級目標」や「遠足のスローガン」を決めさせられたり

「夏休みの振り返り」を書かせられていたのだと思うと不思議な気がする

高校はそうゆーことは一切しない

まつげをエクステンションで伸ばしてる「ギャル」は別に問題児ではないのだ

まあ、勉強はできない。。。子が多い。

でもいわゆるコミュニケーション能力は抜群にある

化粧するも勉強しないもキミの自由、って線に立つかぎり

教師にとっても話したりからかったりしてて楽しいやつらである

授業中にケータイをいじくっていたりするが教師は「許容範囲」とみなしている

そして生徒の方も「超えてはならない節度」はわきまえている

ここが中学校との大きなちがいである

子供は1,2年の間に急激に大人になるのか

それとも中学校と高校の対応のちがいが子供の異なる面を引き出すのか

よくわからない

教師集団の雰囲気や個々の教師の考え方も

中学と高校ではえらくちがう

「高校の先生はね、冷たいんだよ」と卒業生が言っていたということを

私が去年一年勤めていた中学での先輩教員は中学教育の正当性を証しするかのように誇らかに伝えたけど

高校教師の「あなたのご自由に」というスタンスを居心地よく感じている生徒は

そもそも中学校には遊びに行かないだろう

私はといえば「学級目標」や「振り返り」にはうんざりしていたので

すっぴんで当たれる高校生相手に戻れてほんとによかった

生徒の半数は放課後はバイト

学校は彼らにとって生活の一部にすぎない

いわんや授業をや

まことに健全である(バイトがのぞましかどうかは別として)

そうすっと放課後と土日まで部活漬けで、夏休みの過ごし方にまで介入したあの中学教育は何だったのか

と思うのだ

そいから高校の英語授業では意欲も学力もマチマチな生徒同士で「ペアワーク」なんていうムリはしない

基本的に「文法訳読式授業」が淡々と平和に行われている

そうすっと「コイツとペアになるのはやだ」という中学生をあちこちなだめ、

テストで100点の子とアルファベットも書けない子をペアにして英会話練習させていた苦労は

一体なんだったのだと思うのだ

保護者の目に中学から高校へのこのギャップはどう映っているんだろう、どうなんでしょう。。。
卒業写真のあの人は

やさしい眼をしてた

人ごみに流されて

変わっていく私を

あなたは遠くで優しく叱って

ご存知ユーミンの歌。

でもこの歌で共有されていた何かはもう過去のものなんだな。


今年正規教員として配属された高校では、クラス写真を撮らない。

なぜなら「個人情報保護」に違反するからです。

入学式卒業式や体育祭、修学旅行で生徒の写真を撮ることも禁止。

なんだかねえ。。。

どんなもんなんでしょう。。。


写真もアルバムも好きではないので

「ものすごく寂しい」とは思わないんですけど

この「個人情報保護」っていうの

なんだか素直になれなくて

ひっかかるんですけど。。。


生徒が教師の写真をケータイなどで撮るのはオッケーなの。

で、「悪用」はあるってウワサよ。

ケータイで撮った教師の写真をブログに貼り付けるんだそう。

そして写真の下にその教師の誹謗中傷を書き連ねるんだそうです。

生徒が友達の写真を撮るのも本人が了解しさえすればオッケーだから

同じような悪用もありうるわけね。

体育祭で父母のフリをして可愛い女子高生の写真を撮って流通させるとか。

そんなこんなの中で「体育祭でも卒業式でも父母が子供たちの写真を撮るのは禁止。」


学校に保存してある過去の卒業アルバムはすべてシュレッダーで処分することが

職員会議で決まりました。

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