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中央大学の5年前の卒業生で教授の教え子だったということ。 殺害理由は「話したくない」ということで、まだわからない。 なのでこの事件については何もコメントできないのだけれど、 「教授を恨んでの犯行じゃないか」「メッタ刺しにするほど恨むなんて思い込みの激しい性格だったんだろう」という推測は、最近の高校生をみていると、「そうかもしれない」と思わせるものがあるのだ。 教師を何年もやってきて、恨まれたこともあれば、「殺してやる」と言われたことも、 「この学校を追い出してやる」といわれたこともある。 モチロンそうしょっちゅうあったわけじゃないけど。 「えこひいきをしている」と言われたことはけっこうしょっちゅうある。 で、公平であろうと努めているフツーの教師としての私は、 それなりに考え込むわけだ。 で、最近、つい最近、ちょうど昨日くらい、 ちょうどこの事件の報道と同時くらいに わかった(ような気がした)。 とってもとってもささいなことが不平と不信と恨みのきっかけなのである。 たとえば授業アンケートでこう書かれたことがある。 「いつも特定の人ばかり当てている気がする。えこひいきです。」 これには弱った。 公平に同じ回数づつ指名しようとはしているけど、 席の順番に当てていくのでなければ、アトランダムに指名するとどうしても 「よく当たる生徒」と「あんまり当たらない生徒」が出てくる。 そこで今年はある方法を考案した。 生徒に「授業中呼んでもらいたい自分の呼び名」をカードに書かせ、 そのカードをシャッフルしてめくったカードから順番に当てていくのだ。 すでにめくったカードは取り分けておく。 こうすると平等に指名することができる。 これは効果があった。 不満はなくなったようである。 中央大学教授刺殺の容疑者の「恨み」の話題が今日職場で出たとき、 私の同僚も「今の生徒はホントささいなことで被害者意識を持ちますよね」と言い、 「私は当てた生徒を名簿にチェックしている」と言っていた。 「えこひいき」と言われないためには、ある生徒をあだ名で呼び、別の生徒を苗字で呼ぶなどということも注意深く避けたほうがいい。 全員をあだ名で呼ぶのだったらいいかもしれないけど、それでも「なれなれしくあだ名やファーストネームで呼ばないでほしい」という生徒もいるので、 今のところ全員を苗字に「さん」「君」づけで呼ぶようにしている。 「えこひいき」と言われて恨まれたもうひとつの出来事は、 「ボクを当ててボクが答えを間違えたときはノーヒントだったのに、次の人には答える前にヒントを出していた」というものだった。 何人か指名してなかなか正解が出ないときには、ヒントを言ってしまうことがある。 けっして「その子のほうが可愛いから」ではなく、「早いとこ正解を出させたい」からである。 しかしこれが「えこひいき」と感じられるのであった。 「ちょっとした不満」ではなく「自分の全人格が否定されている」かのような不満を抱く。 思いもよらないことであったが、それから私は注意するようになった。 ヒントを言うときには、ある子にだけでなく、これまで答えられなかった全員に、ヒントを受けての解答の再チャンスを与える。 こういうことは「愛」というより「配慮」の次元の事柄である。 「教育技術」の領域である。 しかしこうした「配慮」や「技術」が 他者にたいする判断や「自分が愛されているかどうか」についての判断を決定してしまう時代なのだろう、今は。 刺殺された中央大学の教授は、もしかしたら私のようにどこかでうかつなことをして恨みを買ったのかもしれない。 「メッタ刺しにするほどのことではなかったのではないか」と思うが、 「たかがそれだけのことで全人格を否定されたかのように感じることはないじゃないか」 ということに私自身、何回も出会っているので、 この事件は「ありえること」と思えてしまう。
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