●聖書 マタイによる福音書23章25〜36節
律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。杯や皿の外側はきれいにするが、内側は強欲と放縦で満ちているからだ。
ものの見えないファリサイ派の人々、まず、杯の内側をきれいにせよ。そうすれば、外側もきれいになる。
律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。白く塗った墓に似ているからだ。外側は美しく見えるが、内側は死者の骨やあらゆる汚れで満ちている。
このようにあなたたちも、外側は人に正しいように見えながら、内側は偽善と不法で満ちている。
律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。預言者の墓を建てたり、正しい人の記念碑を飾ったりしているからだ。
そして、『もし先祖の時代に生きていても、預言者の血を流す側にはつかなかったであろう』などと言う。
こうして、自分が預言者を殺した者たちの子孫であることを、自ら証明している。
先祖が始めた悪事の仕上げをしたらどうだ。
蛇よ、蝮の子らよ、どうしてあなたたちは地獄の罰を免れることができようか。
だから、わたしは預言者、知者、学者をあなたたちに遣わすが、あなたたちはその中のある者を殺し、十字架につけ、ある者を会堂で鞭打ち、町から町へと追い回して迫害する。
こうして、正しい人アベルの血から、あなたたちが聖所と祭壇の間で殺したバラキアの子ゼカルヤの血に至るまで、地上に流された正しい人の血はすべて、あなたたちにふりかかってくる。
はっきり言っておく。これらのことの結果はすべて、今の時代の者たちにふりかかってくる。
律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。人々の前で天の国を閉ざすからだ。自分が入らないばかりか、入ろうとする人をも入らせない。
イエスさまが「偽善者」にどうしてこうまでかみつくのかがずっとわからなかった。
私の考えつく「偽善者」は「酒もタバコも女もやりません」と言って
スモーカーに眉をひそめるお堅いクリスチャンくらいなものだった
いまどきそういうクリスチャンはあんまりいない
一昔前の欧米の映画や小説に出てきたような、メガネをキラリと光らす冷酷な女教師も
今どきの学校では(少なくとも公立学校では)ほとんどお目にかからない
お堅いミッションスクールではいないこともないけど
生徒たちは学校では適当に校則を守り
最寄の駅まで着くとローリングしてスカート丈を短くしていた
それに「偽善」がそんなに悪いことだとも思えなかった
赤い羽根共同募金に硬貨を入れるのは「いい人だ」と思われたいからだとしても
現実にそのお金が困っている人を助けるのならば動機はどうでもいいじゃないか
「やさしい人だ」と思われたくて募金箱に百円玉を入れただけで
「白く塗りたる墓」「マムシの子」とまで呼ばれるんだろうか
そう思っていた、
中国現代史を描いた小説『ワイルド・スワン』を読むまでは。
この小説を読んで、
イエスさまが「偽善者」をなぜこれほどまでに憎み、罵倒(?)したのかがわかった気がした
金持ちの青年をいつくしみ、ご自分を十字架につけた群衆をさえもあわれんだイエスさまが
「偽善者」に対してはあらんかぎりの憎悪を向けているようなのはなぜかが
イエスさまがいう「偽善者」とは、今でいったら毛沢東であり金正日であり、旧日本軍の上級将校だ
(と思う。。。)
毛沢東も金正日も昭和天皇も自分を「神」として人々をひれ伏させようとした
自分を神として崇拝しない者を迫害し拷問し殺した
その権力に怯えた者は毛沢東や金正日や天皇を敬愛していなくとも
またその残虐な本性を内心はっきりと悟っていても
敬愛しているフリをして
正直な人々を迫害し拷問し殺した
めちゃくちゃな戦争、めちゃくちゃな経済政策の中で餓死に直面した人々が
たった一個のサツマイモを盗んだだけで非難罵倒し、拷問し、殺した
そのような人々が極悪非道なな独裁政権を賛美して支え
無数の血が流された
文化大革命はそのようにして数年間続き
北朝鮮の民衆は今なお恐怖と飢餓の中に生きている
かつての日本軍の兵士はジャングルの中を亡霊のようにさまよい
満州の開拓農民は負け戦の中で放置されたまま
関東軍と満鉄の幹部はさっさと帰国して
将校はバターとチーズさえ食べていた
「白米をおなかいっぱい食べたい」という気持ちを神さまは罰したりはしない
「死にたくない」「痛い目に遭いたくない」と思う弱さを神さまはあわれんでくださる
しかし同じ欲求と弱さを持った他人を裁き、非難罵倒し、権力に売り渡し
他人の苦しみを平然と見下ろし
いい気味だとさえ思い
自分だけがそのような欲求や弱さと無縁の人間であるかのような顔をして
ニセの神を賛美することを
イエスさまは憎み、「地獄」に行くとさえ語られた
ユン・チアン『ワイルド・スワン』上・下(講談社)
森島 恒雄『魔女狩り』(岩波新書)
戦慄する書物である
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