子ろばのエッセイ

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私の中の邪鬼

「まあいいや」と思うこと

「めんどくさいからやめておこう」と思うこと

「テキトーにごまかしておこう」と思うこと

嫌味や小言や罵声を聞き流すこと

他人の期待と求めに応じないこと


これらはそれ自体善でも悪でもない

サタンの誘惑でもないし

神のみこころでもない

けれど

これらを使いこなすことは人生を生きやすくする



私は小顔じゃないし足も短い

最近目の下が窪んで老けてきたように思う

「まあいいや」

でもハイヒールを履けば足が長く見えるよ、エステやプチ整形だってあるし

「めんどくさいからやめておこう」

研修計画と研修報告は毎回書いて管理職に提出しなくちゃいけません

「テキトーにごまかしておこう」

どーでもいい会議が延々と続いたときは日ごろの睡眠不足を補おう

聞き流す、無視する

嫌味や言葉のトゲばかりか他人の期待と求めにも気づかない

私は鈍感なオンナ

時に冷淡



それでもアタマに来たときは「アタマに来た」と言うほうが健全かもしれない

電車に駆け込み乗車しようとして

もうちょっとのところでドアが閉まってしまったときは

私は周りの乗客を気にせず声に出して悔しがることにしている

「むかつく!」「最悪!」

「声に出して読みたい日本語」じゃないけど

声に出して怒るとなぜかスッキリするのである

「なによ!そんなこと言うことないじゃない!あたしだって一生懸命やってるのに!」

これも独り大声を出して言ってみるといい、スッキリするから



私の中の邪鬼

邪鬼は可愛いんだよ

邪鬼を追い出さず征伐せず

邪鬼をみつめてしっかりその上に立てば

天に飛翔する法輪だって支えることができるんだよ

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法隆寺五重塔の軒を支える邪鬼

教会

教会はこの世の問題を免れているところではない

この世の抱えている問題とそっくり同じ問題が教会にもある

ただこの世の解決が平安をもたらさないことを

この身でつくづく知りつくしている傷ついた人たちが

集まるところであるだけだ

この世の問題の資本主義的解決、「民主主義的」解決、共産主義的解決…

どれもが別の痛みと悩みを作り出し、人をしあわせにしなかった

教会がこの世の問題を

この世と同じやり方で解決していこうとするのなら

教会はこの世と同じところになってしまう

この世の問題の「教会的解決」さえも

この世の影を引きずっている

どうしたらいいのかわからない私は

佇んでいる

「じゃあこうしよう!」と威勢良く言えない私は

この世の「解決」に苦い思いをして痛い思いをして

平安を奪われてきたからだ

そして「ああ、これが神さまの訓練であったのだな」と思う

教会が守られますように

大切な人々が守られますように

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雨のように

「雨」 八木重吉 詩 / 多田武彦 作曲

雨のおとがきこえる
雨がふっていたのだ(くりかえし)

あのおとのように そっと世のために
はたらいていよう(くりかえし)

雨があがるように しづかに死んでゆこう(くりかえし)


大好きな詩と歌です

この前、雨が降っていたとき思わず口ずさんで思い出しました



あなただけが…

「これは私のものだ!」と言い張っていると疲れる

「相続権は私にある」「私の稼いだものなんだから私のものだ」

ちょっと考えればそんなことウソだってわかる

民法上の権利がどうであれ

すべては神さまのものだ

「労働の正当な報酬」なんてものもない

ぶどう園で朝から働き始めた労働者は夕方になって雇われた労働者より

たくさん報酬を受け取る権利があると思っていたけれど

そもそもぶどう園で働けたこと自体、主の恵みなのだ

毎月受け取る給料はたしかに私が苦労して働いた報酬だけれど

同じだけ労苦しても報酬を受け取れない人もいる

アフリカの、アジアの労働者たち…



「これは私の成した業績だ」とめいめいが誇っている場所は疲れる

仕事が自己実現の手段になっているところは疲れる

仕事とは隣の人に仕えることではなかったのか

仕事をしたら消え去ってしまうのがいい

名を残さず消え去ってしまうのがいい

空っぽになった「私」を通して主が働きをなし

「誰が成したのか」と問われたら

「主よ、あなたです」と答える名もなき者になろう

主よ、あなたの御名だけが讃えられますように

「わたし」の匂いのするものはすべて罪を宿しています

「わたし」の成したことはすべて

よきものにみせかけた悪しきものです

すべてよきものは

ただあなたから出ているのだと知っていますから



明日からまた新しい一週間の労働が始まります

どうか「わたし」を砕いて下さい

そうして砕かれた私の痛みの分だけ

あなたの臨在の喜びがありますように

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劣等感について

劣等感がプライドの裏返しだというのはちょっとちがうと思う

私の勤めている高校の生徒たちは総じて自信がない

公立中学校でごくふつうの、平均点の生徒たちが集まっている

勉強もスポーツも「ふつう」だし

家庭の経済状況も「ふつう」だ

自分なりにちょっとはがんばってみるけどやっぱり「ふつう」だから

いまいち「もっともっとがんばろう」というやる気は湧いてこない

「ふつう」だから自暴自棄になって荒れることはない

だけど「これだったら他人に負けない」という何かがないから

ちょっとしたことで自信を失って落ち込む

彼らがつけまつげをしたり髪を金髪に染めたりするのは

もしかしたらちょっとでも気持ちを上向けようとする努力の現われなのかもしれない

まつげをバサバサさせて、とりあえず宿題だけはやる

授業で当てられると、つけまつげの眼を伏目がちに、

自信なさげに小さい声で答える

彼らがプライドから解放されれば劣等感からも解放されるのだとはやっぱり思えない



全国でも名がとどろく私立の進学校に勤めていたこともある

彼らには自信があった

親の社会的地位や経済的地位も高かった

いい子もいたけど「嫌な奴ら」も多かった

全てに長けているわけではなかったけれど

「これだったら他人に負けない」という何か…勉強とか帰国生として当然の英語力とか、どちらもなければ親の社会的地位や財力とか…を持っていたから

その一点に寄りかかって強くなれた

わからないことや興味のないことを「そんなことは意味ない」とはねつける自信があった

「教室掃除なんて意味ない」「哲学なんて意味ない」「キリスト教なんて意味ない」

将来の夢はと問われると「国連に入りたい」と答える子が数人いたけど

国連はやっぱりカッコイイからだ

「平和のため」だったら他にもやることはある

英語力と能力を活かしてカッコよくて高給をもらえるからだ

そういうことをどれだけ自覚していたのかな




低所得者層が住む市営住宅や県営住宅に囲まれた公立中学校で教えたこともある

生活保護家庭や母子家庭、父子家庭はゴロゴロしてたし、親がヤクザという子もいた

アルファベットも書けない子はクラスに数人いた

教科書も開かず授業を妨害した

小学校時代から0点だったし

「どうせやってもできない」と思っていたのかもしれない

それでも他人にはバカにされたくない、負けたくないという負けん気からだろうか

勉強とはちがう土俵で優位に立とうとするのか、授業を妨害し

クラスのほかの子を巻き込み

「自分のペース」に持ち込んだ

教室が勉強の場でなくなれば「勝負」にきっと勝てるから

キライで苦手な勉強をバカにされながら頑張って0点を30点にしてなおかつバカにされるより

ちがう土俵に持ち込んで一等賞を取ったほうがキモチイイんだ




劣等感も自信も持たずに暮らしている高校生たちと付き合ったことがある

雪国の僻地

入試選抜は学力度外視だった

オール5に近い生徒もオール2に近い生徒もごたまぜで入ってきた

無教会キリスト教の小さな高校

聖書を読むこと、労働すること、自然に親しむこと、に重きが置かれた

放課後は部活の代わりに畑を耕したり牛の世話をしたり食事を作ったりした

休日は山登りに出かけた

勉強はできてもできなくてもあんまり気にしなかった

「早慶」「MARCH」「日東駒専」なんて大学ランキングはそもそも知らなかった

「慶応大学」も「四国学院」も彼らのなかで知名度は同じくらいだった

「すごいね」なんて誉め言葉はお互いの間で交わさなかった

「頭いいよね」とは言うこともあったけど、それと同じくらい

「畑、がんばってるよね」とか「パン作り上手だよね」とか「キャンプでの火のおこし方上手いよね」

とか「やさしいよね」と評価しあっていた

「ご苦労さまです」が挨拶だった

牛の乳搾りをしてくれた人にたいして

畑を耕してくれた人にたいして

汲み取り式トイレの肥溜めを汲んでくれた人にたいして

食事を作ってくれた人にたいして



「ご苦労さまです」と挨拶されて

生徒たちはみな誇りを持っていた

誇りを持って生きることは人間に欠かせない

「プライド」とはちがう「誇り」を呼び起こす言葉は

「すごいね」じゃなくて

「ご苦労さまです」「ありがとう」なのかもしれない

それが「仕事をする」ということの本来

できない勉強を頑張らせて点数を上げてあげることより

ひとつでもランクが上の大学に入れてあげることより

「ご苦労さまです」「ありがとう」と心をこめて言うこと

そういう言葉が機能する社会にしていくこと

それが人々のあいだに「プライド」とはちがう「誇り」を回復させる道なんじゃないかしら

そういう「誇り」は傲慢ではなく謙虚であり

いいかえれば感謝されることの喜び

「テストでいい点を取ってくれてありがとう」とは誰も言わない

でも「教室のお掃除をていねいにしてくれてありがとう」

「おはようってステキな笑顔で挨拶してくれてありがとう」

「祈ってくれてありがとう」

「愛してくれてありがとう」

そういう「ありがとう」の言葉がいのちを持てば

劣等感に悩む自信のない生徒たちが回復していくのじゃないかしら

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