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劣等感がプライドの裏返しだというのはちょっとちがうと思う
私の勤めている高校の生徒たちは総じて自信がない
公立中学校でごくふつうの、平均点の生徒たちが集まっている
勉強もスポーツも「ふつう」だし
家庭の経済状況も「ふつう」だ
自分なりにちょっとはがんばってみるけどやっぱり「ふつう」だから
いまいち「もっともっとがんばろう」というやる気は湧いてこない
「ふつう」だから自暴自棄になって荒れることはない
だけど「これだったら他人に負けない」という何かがないから
ちょっとしたことで自信を失って落ち込む
彼らがつけまつげをしたり髪を金髪に染めたりするのは
もしかしたらちょっとでも気持ちを上向けようとする努力の現われなのかもしれない
まつげをバサバサさせて、とりあえず宿題だけはやる
授業で当てられると、つけまつげの眼を伏目がちに、
自信なさげに小さい声で答える
彼らがプライドから解放されれば劣等感からも解放されるのだとはやっぱり思えない
全国でも名がとどろく私立の進学校に勤めていたこともある
彼らには自信があった
親の社会的地位や経済的地位も高かった
いい子もいたけど「嫌な奴ら」も多かった
全てに長けているわけではなかったけれど
「これだったら他人に負けない」という何か…勉強とか帰国生として当然の英語力とか、どちらもなければ親の社会的地位や財力とか…を持っていたから
その一点に寄りかかって強くなれた
わからないことや興味のないことを「そんなことは意味ない」とはねつける自信があった
「教室掃除なんて意味ない」「哲学なんて意味ない」「キリスト教なんて意味ない」
将来の夢はと問われると「国連に入りたい」と答える子が数人いたけど
国連はやっぱりカッコイイからだ
「平和のため」だったら他にもやることはある
英語力と能力を活かしてカッコよくて高給をもらえるからだ
そういうことをどれだけ自覚していたのかな
低所得者層が住む市営住宅や県営住宅に囲まれた公立中学校で教えたこともある
生活保護家庭や母子家庭、父子家庭はゴロゴロしてたし、親がヤクザという子もいた
アルファベットも書けない子はクラスに数人いた
教科書も開かず授業を妨害した
小学校時代から0点だったし
「どうせやってもできない」と思っていたのかもしれない
それでも他人にはバカにされたくない、負けたくないという負けん気からだろうか
勉強とはちがう土俵で優位に立とうとするのか、授業を妨害し
クラスのほかの子を巻き込み
「自分のペース」に持ち込んだ
教室が勉強の場でなくなれば「勝負」にきっと勝てるから
キライで苦手な勉強をバカにされながら頑張って0点を30点にしてなおかつバカにされるより
ちがう土俵に持ち込んで一等賞を取ったほうがキモチイイんだ
劣等感も自信も持たずに暮らしている高校生たちと付き合ったことがある
雪国の僻地
入試選抜は学力度外視だった
オール5に近い生徒もオール2に近い生徒もごたまぜで入ってきた
無教会キリスト教の小さな高校
聖書を読むこと、労働すること、自然に親しむこと、に重きが置かれた
放課後は部活の代わりに畑を耕したり牛の世話をしたり食事を作ったりした
休日は山登りに出かけた
勉強はできてもできなくてもあんまり気にしなかった
「早慶」「MARCH」「日東駒専」なんて大学ランキングはそもそも知らなかった
「慶応大学」も「四国学院」も彼らのなかで知名度は同じくらいだった
「すごいね」なんて誉め言葉はお互いの間で交わさなかった
「頭いいよね」とは言うこともあったけど、それと同じくらい
「畑、がんばってるよね」とか「パン作り上手だよね」とか「キャンプでの火のおこし方上手いよね」
とか「やさしいよね」と評価しあっていた
「ご苦労さまです」が挨拶だった
牛の乳搾りをしてくれた人にたいして
畑を耕してくれた人にたいして
汲み取り式トイレの肥溜めを汲んでくれた人にたいして
食事を作ってくれた人にたいして
「ご苦労さまです」と挨拶されて
生徒たちはみな誇りを持っていた
誇りを持って生きることは人間に欠かせない
「プライド」とはちがう「誇り」を呼び起こす言葉は
「すごいね」じゃなくて
「ご苦労さまです」「ありがとう」なのかもしれない
それが「仕事をする」ということの本来
できない勉強を頑張らせて点数を上げてあげることより
ひとつでもランクが上の大学に入れてあげることより
「ご苦労さまです」「ありがとう」と心をこめて言うこと
そういう言葉が機能する社会にしていくこと
それが人々のあいだに「プライド」とはちがう「誇り」を回復させる道なんじゃないかしら
そういう「誇り」は傲慢ではなく謙虚であり
いいかえれば感謝されることの喜び
「テストでいい点を取ってくれてありがとう」とは誰も言わない
でも「教室のお掃除をていねいにしてくれてありがとう」
「おはようってステキな笑顔で挨拶してくれてありがとう」
「祈ってくれてありがとう」
「愛してくれてありがとう」
そういう「ありがとう」の言葉がいのちを持てば
劣等感に悩む自信のない生徒たちが回復していくのじゃないかしら
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