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ディボーション雑誌『リビング・ライフ』の今月号にこんな一節がある。 私たちの後ろでいつも見守ってくださる主よ。 心の奥にある隠れた劣等感のせいで 他の人を攻撃する人たちをあわれんでください。 劣等感がこの世に対する憎悪となり、その憎悪は悪の花を咲かせ いばらのように鋭いことばで他の人を傷つけます。 人生の中で人から受けた侮辱や軽蔑が、いばらの畑となってしまいました。 恵み深い主よ。私たちの心の中にある傷に、御手でやさしく触れてください。 私は他人を「攻撃」したことはあまりない。 けれど世界の多くの国々のように、「防御」のための武器を所有している。 私は武装している。 他人が私を攻撃しそうになると、私は所有している武器をチラと見せる。 武器を持っていないと他国につけ込まれて 「力の空洞」からかえって戦争が起こるのだということを信じる国家のように 私の武装が「バランス・オブ・パワー」の平和を生むのだといわんばかりに。 防御用の「武器」はそこそこの能力だったり、社会的地位だったり、容姿だったり、 社会的「有用さ」だったり、「友だち」だったり、「空気を読む力」だったりする。 私はそれらを攻撃用に使ったことはあまりないけれど、 防御用には意識的無意識的に使用している。 だから私は「リビング・ライフ」の祈りを 無垢な者であるかのように祈ることなんてできない。 なぜなら防衛のためであれ武装は世界の暴力を後押ししていると思うからだ。 小学校でのいじめを描いた山田詠美の『風葬の教室』は 「どうしたらいじめを撃退できるか」を教えるリアルな小説である。 集団でのいじめに自殺まで考えた主人公は 最後にたった一人でクラス全員に勝利する 「ブス!」といわれた主人公は言い返すのである 「どっちが?」 大人びた美少女は 自分が都会からの転校生であること、精神的に大人であること、 美人であること武器に 「集団で一人をいじめることしかできないくだらない連中」を見下し 優位に立つのである。 主人公は他人をいじめてはいない。 そんな卑劣な「くだらない」ことはしない。 けれど、いじめがそもそも嫉妬や怯えや自信のなさから 集団で固まり誰かをスケープゴートにして自分の存在確認をしようとするものなら 主人公は自分が「強者」であることを誇示して クラスメートを黙らせるのである。 「神だけを頼りに生きていくってシンドイワ」 事故に巻き込まれて職をクビになるかという状況で 教会の兄弟は言った。 なんて正直な人なんだろう。 そう、私も神さまだけを頼りになんて生きていない。 たくさんの怖いものから「武器」で身を守りながら生きている。
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