子ろばのエッセイ

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いのち

わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、
わたしを信じる者は決して渇くことがない。     (ヨハネによる福音書6:35)

両親は健在なのに養護施設に入れられた子供がいる。

中学校を卒業して働いて2年間で200万円を貯めたら、

その200万円を母親に盗まれて、母親はグッチのバッグを買った。

かつて担任をしていた子供の母親は、生活保護を受け

子供には昼食に百円の菓子パンしか与えないのに、

自分は1400円のランチバイキングを楽しみ、

子供を何日も置いて芸能人の追っかけで地方まで出かけた。

主を賛美しようと一生懸命ギターを練習して神学校の授業で弾いたら、

「そんな下手なギターで神さまの前に出るつもりか?!」と叱られた神学生がいる。



「ばからしい」

「アホくさ」

子供たちは、神学生は、きっとそんなふうに思う。

「すさんでいく」とはたぶんそんな気持ちからだ。

私も経験がある。

いっしょうけんめい用意した学級通信や教材プリントがむざんに床に捨てられ

上履きで踏んづけた痕までついているのをみたときなど。

「ばからしい」「アホくさ」

「すさんでいく」というのは自分の内側でいのちが枯渇していく感覚だ。

心から笑えなくなって、人を愛せなくなって、

何かをしようとすれば膨大な努力を要する。

「かったるい」



すさんでいく心に「善」とか「悪」とかを持ち出したって無意味だ。

「極悪非道」…学ランの裏地に縫い付けた言葉と牡丹の刺繍は

そんなの無意味だと世の中に叩きつけたいからだろう。

そう、そんなの無意味だ。



いのちが枯渇していったとき

それでも生きつづけねばならないとき

人はどこからエネルギーを補給したらいいのだろう。

気に入らない奴らを叩きのめすこと。

相手の怯える顔、ペコペコへつらう姿を見るだけでたぶん

自分の中に力がみなぎっているのを確かめることができる。

「バーカ!」「ナメんじゃねえ」「イキがるんじゃねえよ、クソガキ!」

アドレナリンはとりあえず即効作用のあるエネルギー源。



少年Kの問題も、

戦争責任の問題も、

たぶん善悪の問題ではなくていのちの問題なのだ。

だから私はコリアンとシナが大嫌いなウヨク(?)少年に対して何も言わなかった。

少年に対してスターが「日本の戦争責任」を語ったところで無意味だ。

「他人」が遠い少年にたいして「他人の痛み」について語ったところで無意味だ。

ただ少年が親に養護施設に入れられた痛みを覚えていること、

その痛みを覚えているがゆえにお姉ちゃんの赤ちゃんが施設に入れられずにすむように

貧乏なお姉ちゃんにお金を貸してあげたこと

そのことをもしお姉ちゃんが忘れるようなことがあれば

私が代わりに覚えていよう。

いのちの泉はあなたのこの痛みからわき出るのだと信じているから。

今、ここで、この場で

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母の心は沈んでいた。…(中略)…革命が達成されても、自分たちに安穏な暮らしがやって来ない。というより、おだやかな人生は、むしろ遠のいたような気さえする。人間のすることである以上、革命は人間の弱さから逃れられないのかもしれない…母の頭に、はじめてぼんやりとそんな考えが浮かんだ。しかしこのときの母は、革命が人間の弱さを補う努力を何もしていないこと、それどころか、弱さを最大限に利用することによって成果を達成しようとしていることまでは、思いつかなかった。

数年前のベストセラー[『ワイルドスワン』]を今頃になって読んでいる。

日中戦争から国共内戦を経て、共産党の独裁支配にいたるまでの中国現代史を生きた女性三代の物語である。

私は共産主義がサタンだなどとは思っていない。私の学生時代の友人には「サヨク」が多かった。

自分の損得より他人のことを考えるやさしい若者が多かった。

世の中には不正義があるのだということを私は大学生になってはじめて知った。

そしてその不正義には声をあげていかなくてはいけないと単純に思った。

そのころ劇画『ベルサイユのばら』が流行っていた。

貴族だったオスカルが民衆の側についてバスチーユ牢獄を襲撃して砲弾に倒れるシーンは感動だった。

バスチーユ牢獄襲撃のなかで生まれたフランス国歌『ラ・マルセイエーズ』を口ずさんだ。

『インターナショナル』の歌も好きだった。

それらの歌を私は今、かつてのように思いをこめては歌えない。

たぶんかつての多くの「政治的」な若者が私のように内面の挫折を経験して「非政治的」になっていったのだろう。

生活保護を受けている友人がいた。

彼とともにワーキングプアを作り出す経済のグローバル化に反対し、政治の右傾化に反対する集会やデモにも出かけた。

友人は「第三のビール」を浴びるほど飲み、タバコをスパスパ吸った。

朝早くから夜遅くまで駆けずり回って働いてクタクタになっている私に、「手持ちのお金をなくして帰られないからお金を届けてほしい」と電話をかけてきた。

何度も貸したお金は返ってこない。

そんな彼から「あなたは強者だ」と強い口調でなじられたとき、

私の中で何かが壊れた。

世の中を「富者=権力者=強者」対「貧者=持たざる者=弱者」で図式化する思想と距離を置くようになった。




『ワイルドスワン』では、著者の父は非情なまでの志で共産主義革命にまい進する。

「平等」な社会を実現するために、身重の妻が休むことも許さないし、難産のあと母親に滋養に富んだ食事を作ってもらうことすら「特権乱用」だと非難する。

共産党の幹部やその家族が「特権」を行使すれば、理想が崩れる。

「特権」をこっそり使う人間を告発し、処罰する。

告発を奨励するなかで、人間の嫉妬と私怨が野放しにふくれあがる。

多くは著者の父のように理想のためではなく、嫉妬と私怨のために隣人を告発するようになる。

自分が本当はラクをしたいし美味しいものを食べたいと思っているのに、ラクをして美味しいものを食べている他人をねたんで「共産主義に対する熱意が足りない」と告発するのは偽善ではないだろうか。

けれどこの偽善が中国を席巻したし、戦時中の日本をも席巻していた。

共産主義の理想への熱情はいつか中国人の心から消えていたし、

「大東亜共栄圏」の理想を信じていた日本人もほとんどいなかっただろう。

「金正日」を心から崇拝する朝鮮人も。

自分が心から信じていないものを高々と掲げて他人を非難し、告発する。

嫉妬から、私怨から、自己保身と権力への恐怖から。

人間存在の抱えるこの偽善と弱さは、中国だろうと北朝鮮だろうと日本だろうとあったし、

共産主義だろうとファシズムだろうと「民主主義」だろうと、その中心に存在した。

おそらく古代のユダヤ社会にも。

イエスが蛇蝎のように嫌ったのはこの偽善だったのだと思う。

『ワイルドスワン』は私が私自身の心の中を調べるようにうながす。

サタンはそこにひそんでいる。

共産主義とかファシズムとかグローバリズムとか、「他者」のなかにサタンをみつけようとする私たちに

サタンはほくそえんでいる。

共産主義をサタンだとした統一教会はサタンとなり、統一教会を批判する「正統派プロテスタント教会」もカルト化してサタンとなり、「カルト教会」を非難する「健全な教会」もサタンとなりうる。

「今、ここに、この場」にサタンはひそんでいるし、

「今、ここに、この場」に主もおられる。

だからこそ古代ユダヤの聖書はいつも「今、ここ、この場」の出来事を描いているのだ、

と思う。

生まれたから死ぬ?

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このブログに何度か登場しているおじいちゃん先生と親しくなったそもそものきっかけは

池田晶子という哲学者が私の大学時代の友人だったと話したことだった

おじいちゃん先生は池田晶子をえらく気に入っていて

とりわけ彼女の「人は病気で死ぬのではない。生まれたから死ぬのだ」

という言葉を何度も感心して引用していた

私は池田晶子とわりと親しくて卒業式のときも隣り合わせに座っていたけれど

当時からあまり話が合ったという記憶はない

どっちかというと話はブツッブツっと途切れがちであった

そして彼女がガンで数年前に早逝して、今は亡き彼女の言葉をおじいちゃん先生の口から聞いたときも

感動して語る先生を

「そうですね」とやり過ごすしかなかった、当時と同じように

「人は生まれたから死ぬ」という「事実」を老いの入り口に立った先生が

なぜ新鮮な驚きをもって受け入れたのかということのほうに

関心をそそられる

勉強することの意味とか働くことの意味とか出世することの意味とか生きることの意味とか。。。

とりあえず「将来のため」というのが定番の答えなんだろうけれど

それでは「将来」を断ち切られた「生」である「老い」と「死」には何の意味があるのか

「生まれたから死ぬ」というのがおじいちゃんへのピンポンの答えとなったということのほうが

私には不思議なのだ

大ヒットしたアニメ『千と千尋の神隠し』の主題歌「いつも何度でも」のなかで

生きている不思議 死んでいく不思議

花も風も街もみんな同じ

とあったけれど

「わたしが死んでもこの景色は何一つ変らず続いていくんだなあ」という感慨は

死をちょっとでも考えた中高生の心に必ず浮かぶことなんじゃないだろうか




それではなぜ私は今むなしさを感じずに生きているのだろう

「わたしが死んでも花も風も街もみんな同じ」だとは思わないからだろう

「あなたが死んでも花も風も街もみんな同じ」だとは信じないからだろう

あなたが死んだらこの景色はたぶん違ったようにみえる

あるいはこの景色を見るたびに

あなたがこの景色のなかにいた日々のことを思い出す

この景色を眺めていたあなたを思い出す



『千の風になって』が大ヒットした背景には

亡くなった愛する人が風となり光となって私と共におり

私を生かしているのだという歌詞への共感があったのだと思う




この歌は日本的なアニミズムの感性に訴えているけれど

単なるアニミズムでもないと思う

愛は永遠なのです

愛は風となり光となって

いのちをささえるのです

十字架にかかって死んだキリストの愛が

聖霊の風となり光となって

わたしのいのちをささえます

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聖金曜日

今日は聖金曜日

キリストが十字架に掛かられた日です

もしもキリストが十字架に掛かられなかったら

わたしは苦しみや悲しみをくぐってこそ

人生が豊かになるということを知らなかっただろう

いのちの日々があるということを

イエスさまが十字架に掛かられて三日の後によみがえられたから

今わたしは生きている

生かされている

あさっては復活祭

よろこびの日

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神はだまってはいません。つねに人の良心に語りかけています。人間のどんな罪悪も黙って悲しい目をして見ているだけで、そして人類がほろびるのもだまってみている神は神ではありません。

神は人間の良心へつねに語りかけているのです。

私は人間の不正義・不誠実は絶対許さないことにしました。

20年以上むかしに当時の親友から受け取った手紙です

部屋の片付けをしていたら荷物の奥から出てきました

「ひとの良心にむかって語り続けていく」が彼女の口癖でした

女性問題や環境問題に強い関心を持ち

ポルノもゆるさないし、合成洗剤もゆるさなかった

「ゆるさない」と言っても

ヘルメットをかぶったり角材を持って糾弾するのではなく

「ポルノや合成洗剤がなぜいけないか」を穏やかな口調で根気強く語るのでした

彼女自身は合成洗剤の代わりに石鹸をつかって洗濯をし

有機野菜を食べ

大量の穀物をエサとして生産される肉類は一切口にしなかった

それは穀物を第三世界の人々から奪うことにつながるから

お砂糖さえ「土地の産物ではないから」と言って、ケーキもお饅頭も食べなかった

環境を破壊するエアコンは一切使わず、寝苦しい夏もアパートの窓を開けて寝ていました

大学を卒業して、めざしていた司法試験にどうしても合格できず専業主婦になったあとは

ヨガや気功、太極拳、生協の運動に全精力を費やしていました

私はいつしか彼女と疎遠になっていきました

「良心に訴えつづける」彼女と一緒にいるとどこかやましさを感じ

彼女が次第にうっとおしくなっていったのです

彼女が正しいことは認めるし、えらいと思うけれど

私はやっぱりお肉もお魚も食べたいし

石鹸で洗うとダマができるのでやっぱり合成洗剤の方が好きなのです

私はそれでも長らく

彼女が自分と近いところにいると思い込んでいました

だから自分が洗礼を受けたとき

修道院のような雰囲気を持つ長野のカトリック教会に彼女を誘いました

ヨガに傾倒していた彼女は言いました

「最初はどうしてあなたがこの教会に私を誘ったのかわからなかったけれど、

神父さんに『宗教は一つだ』と言われて

わたしの『ヨガを通じて悟りを開こう』っていうのも十分宗教であり

わたしだって教会にいる人たちに負けないくらい宗教心があると思えてきました」



あれから長い年月が経ち、手紙を読み返して思うのです

私と彼女とは「近いところにいた」のではなかった、と

むしろ一番遠いところにいる人なのではないか、と

彼女は「人類」とか「人間」という言葉をよく使いました

それは聖書のいう「隣人」という言葉と似ているように思えます

けれど「人類」と「隣人」はちがう

決定的にちがいます

イエス様は「あなたの隣人を自分のように愛しなさい」と言いましたが

「人類を愛しなさい」とは言いませんでした

それでは隣人とは誰か

私は実は自分のアパートの隣に住んでいる人の顔も知りません

「隣人」であるか否かを決めるのは物理的な距離ではありません

隣人とは「よきサマリア人のたとえ」が示すように

「関わりをもった人」のことです

「出会った人」と言ってもよい

出会いがすべてです

出会いによってのみ私たちは変えられていきます

私がもし大好きなケーキもお肉も食べなくなる日が来るとすれば

それは「人類のため」や「良心のため」などではない

もしそれが私の大切な人に関わることになるとすれば食べなくなるかもしれない

キリストとの出会いによって

わたしは変えられました

あなたとの出会いによって

わたしは変えられました

明日から新学期です

一年生の担任として「出会い」に心躍らせています

「良心に訴えよう」として生徒たちに向かい合うのではありません

この出会いによって何が起こるのか

それは私にも彼らにも未知のことです

だから生きるってすばらしい

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