子ろばのエッセイ

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霊・スピリチュアル

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久しぶりに本屋に寄ったらこんな↑本が山積みに

「ロングセラー」とあるけど、お読みになりました?

さっそくamazonの古本で注文してしまいました

そんなわけでパラパラっとページをめくる以上にまだ読んではいないんだけど

五木寛之、私嫌いじゃないんですよ

というか、かなり好きだ

『生きる哀しみ』とか『サイレント・ラヴ』とかかなり共感するものがありました

で、その五木寛之が昨今のスピリチュアル・ブームを「迷信だ」と片付けないで

そのブームの背景にあるものを探ってみようとする着眼点はまた共感するわけです

本を読んだらまた感想をupしてみようと思うけど

今日はとりあえずスピリチュアル・ブームについて私の思うこと


私には「霊感」なんてものはありません

「金縛り」をしばしば経験した「霊感」の強い友だちの話によると

「金縛り」に遭うと、部屋の四隅からぞろぞろ化け物が出てくるそうですが

そんな面白い体験はしたことがありません

彼女と達と旅館に泊まったとき、赤い絨毯を敷きつめた急勾配の階段をみて

「この階段には怨霊を感じる」と真顔で言われたときはさすがにちょっとビビったけどね

そうそう、子供のころはそんな話がやたら怖かったっけ

怖いものみたさでそんな本を読みあさった

『猿の手』とか『ローズマリーの赤ちゃん』とか

『ノストラダムスの大予言』もホンキで心配したなあ

でもいつからかそんなものは怖くなくなったんだ

猿の手をもらったら即座に捨てるだろうし

自分の生んだ子が悪魔のわけはないと思うし

なんでかな

やっぱり神さまを信じているからかもしれない



でもね、「霊感」皆無の私なんだけど

「この場所なんかイヤだな」とか「この人、なんかイヤだな」って感じることはあるんですよ

昔住んでいた家の隣に一人暮らしのおばあさんがいたの

とても自分勝手な女の人で

下に家がある急斜面に家を建てようとしたの

地震でも起きたら下の家に雪崩が起きるわね

定期的に病院に通院するのにタクシー代を使いたくないから

元気なのに急病人を装って救急車を呼ぶの

隣に住んでいる私にも「手が不自由な自分に代わって手紙を代筆してくれ」とか

「缶詰の缶を開けてくれ」とか頼ってくるんだけど、感謝がないの

彼女に感じたのは「霊的になんだかイヤだ」ってこと

聞き手の気持ちや都合を考えず話が異様に長い人や

職員室の机を異様に片付けられない人にも

「霊的にイヤ」なものを感じた

異動が決まってようやく机を片付け出したその人に

「なんだ、片付けられるんじゃない、なんでその前に片付けなかったのかな」と

ふしぎに思った

サラ金とパチンコ屋にも「霊的にイヤ」なものを感じる

「怖いものみたさ」に『ローズマリーの赤ちゃん』を観ることはなくなったけど

「怖いものみたさ」で最近、『闇金ウシジマくん』を読んだ

「霊的なもの」がやっぱりあるんだなと感じるのは

「教育活動」を通じてね

「空気」ってやっぱりあるのよ

そして「空気」がベースなの、「教育活動」の

「空気読め!」っていう言葉が嫌いだったけど

それは「空気に従え」というのがかつてファシズムを引き起こしたものに無反省だからね

でもね、空気はやっぱり読まなくちゃいけないんだと思った

それは空気に従うってこととはべつなの

空気を読まなくちゃ空気を変えることもできないからなの

生徒の沈黙が冷たい沈黙なのか重い沈黙なのか、

内部で活発にイマジネーションや思考が動いているアクティヴな沈黙なのか

教師はそれを読まなくちゃいけないの

いいかげん長くなったから今日はここでやめるけど

「霊」としか呼べないものがやっぱりあるんじゃないかなあ

「なんだか発言しにくい雰囲気」とかってやっぱりあるのよ

それは空気であり、「霊」なの

「なんだか安らぐ」っていうのも「霊」なの

でもね、細木数子にはイヤなものを感じるんだなあ

ねえ、「霊」って信じる?

偶像崇拝

主なる神が怒るのは

主なる神以外のものを神と拝む偶像礼拝だ

偶像ってなんだろう

十字架のキリストに礼拝するんだって偶像になるのかな

イスラム教徒はモーセの十戒を固く守って像を刻まない

ロシア正教も



偶像崇拝って像を刻んで拝むというだけのことじゃない

きっと

お金や権力や地位や美貌や健康がわたしの幸せを保証してくれると考えることが

偶像崇拝なんじゃないかな

お金という偶像

名声という偶像

若さと美貌という偶像

それらがそれ自体で幸せをもたらすと信じるから

人々は「幸運をもたらす神様」を礼拝する

どっちの選択をしたら幸せになれるか占い師にたずねる

あるいは投資アナリストにたずね

美容整形をしたりコラーゲンを摂取したりする

目に見える像を拝んでいてもいなくても

これらは偶像崇拝だと思う

科学技術が発展すれば人間は幸せになれると考えるのだって偶像崇拝だ



「しあわせってなんだろうね なんだろうね」♪

っていうコマーシャルがあった

(正解は「ミツカン味ポン」で食べるお鍋!でした…笑)

マリリン・モンローはしあわせだったのかな

ダイアナ妃はしあわせだったのかな

マイケル・ジャクソンはしあわせなのかな

ハワード・ヒューズっていう大富豪をご存知ですか

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美男子で大金持ちで飛行機を飛行機会社ごと持ってて 

ハリウッド映画を作ってヒットをとばして

キャサリン・ヘップバーンと浮名を流して

晩年強迫神経症になり麻薬中毒になって

誰も信じることができなくなってミイラのような姿で死んでいった人

ずっと前にテレビで見てその生涯にショックを受け、名前は忘れてたけど

「億万長者」「飛行機」「麻薬」のキーワードで検索したら

「その人はハワード・ヒューズ」ってどこかの牧師さんが教えてくれたよ
http://www.nibanmati.jp/sermon/ser_john028.html



しあわせって

きっと

美しいものをみて心置きなく「美しい」と思えること

なんでもないことで心から笑い合えること

誰かを憎んだりうらんだり妬んだりしないでいられること

「ぶっ殺すぞ」って言葉を聞かないですんでいること

辛いとき悲しいときに涙を流せること

そのあいだ黙って手を握ってくれる人がいること

そう考えていくと

しあわせって辛いことや悲しいことがないことじゃない

不運を免れていることでもない





イエスさま

不思議なことだけど

辛さや悲しみを知ってなおかつ私は

前にもましてしあわせです

「十字架の悲しみと苦しみを通った私は、あなたの悲しみと苦しみがわかるよ」

ってイエスさまがおっしゃるから

人間にとっていちばん不幸なことは

不運や辛さ、悲しみそれ自体じゃない

その辛さや悲しみを誰もわかってくれないこと

友なるイエスさまが一緒におられれば

偶像なんていらない

そしてイエスさまを信じる私たちもまた

悲しみの中で友だちになれるね

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来し方を振り返り

私のブログは面白くなくなったと思う

どうしたらアクセスの多い面白い記事になるか知らないわけじゃないんだ

だけどそういう記事が書けなくなっちゃった

私はサヨクだった

ヒューマニストだった

色んなものを批判していた

だけどいつからかスルドイ批判ができなくなっちゃったんだ

生徒が文集に載せるアンケートをよこしたんだ

「これだけは譲れないというものは?」

答えにこう書いた

「なんのかんの全て譲っているような気がします。譲らないってがんばったところで奪われることだってあるんだし。」

ホントだよ

神さまに砕かれるってことは

自分の義を捨てさせられることなんだ

昔のブログで書いていた全てのことを

私は主張できなくなっちゃったんだ

おじいちゃんが好き

私の勤める高校の職員室に

「高齢者住宅」とよばれる一画がある

窓際のその一画には定年退職を控えたおじいちゃん先生が

積み上げられた本に隠れて居眠りをしていたり

窓の外を見て「カラスは飛び方が上手いなあ」なんてのんきなことを言ってる

おじいちゃんが二人とおばあちゃんが一人

こっちで聞いてるとまるきり老人が縁側で茶飲み話をしているようなので

「高齢者住宅」とはよく名づけたものだと感心する



おじいちゃんは学校のマスターキーを印刷室に置き忘れたり

さっき話したことを忘れたりするので

馬鹿にされたりもする

だけど私はおじいちゃんが好きなのだ

おじいちゃんは決して他人の悪口を言わない

自慢もしない

若い教師も自分では悪口を言ってるつもりはないのだろう

だけどバリバリ仕事をする原動力には「自負」というものが必要だし

自負を持てば他人への眼も厳しくなるので

必然的に悪口を言う

おじいちゃんの眼には誰がどんなに上手い授業をしたところで

カラスの飛び方のほうが上手いのである

ズラッと居並ぶ先生たちの前で研究授業をした私

批評を求めたら

「まあいいじゃないですか、もう皆に十分批評されたでしょう、それよりまた一杯飲みにいきましょう」

「先生も一生懸命やってるんだし」



二人のおじいちゃん、ありがとう

お二人ともこの三月で退職されてしまうのですね

おじいちゃんたちがいてくれたから

私はこの一年、明るく穏やかな気持ちで毎日を過ごすことができました

寿命の上からはおじいちゃんたちもこれから何十年も生きていくのかもしれないけれど

歳をとるっていうのも悪いことじゃなさそうだ

ずっと先、棺おけに片足を突っ込むっていうのも悪いことじゃなさそうだ

それは半分「あの世」の眼で「この世」を見ること

仕事ができたり評価されたり人気を得たりするのも

すべて相対的なこと

カラスの飛び方のほうが上手い



嫌な年寄りも沢山いるけれどね

歳をとったらこうでなくっちゃ

カラスの飛び方に感心しなくっちゃ

そうして仙人のように枯れていくんだ

ほんとうは年なんか関係がない

御国の眼でこの世をみていたい

棺おけに片足を突っ込んで

ただ人々を慈しんで

私の中のマッチ箱

「赤い薔薇ソースの伝説」というメキシコ映画がある(マイナーだ。。。)

大変官能的な映画なのだけれど、その中に忘れられない台詞がある

人の体内には生まれた時からマッチ箱がある。そして、だれでも生きていくために点火するものを発見しなければならない。もし点火するものをうまく発見できないと、体内の燃焼の核はいつのまにか湿ってしまい、ひとつの燐のかけらにさえ火をつけることができなくなる。そうなると、魂は深い闇の中をさ迷うことになる。

私たちの身体の中にはマッチ箱があるのだけれど、

マッチは自分ではけっして擦ることはできず、マッチ箱の存在にすら気づかない

「愛してくれる人の息吹が酸素の役目を果たしたり、食物、音楽、愛情、言葉、音などが、
 蝋燭のように燃焼を誘発したり、点火したりする・・・」

わたしたちの体内のマッチは自分では擦ることができない

本当だ

ほんとうだ



マッチは恋愛という官能にとどまらない

わたしの知らないわたしを引き出してくれるのは他者だ

わたし自身はわたしをどうすることもできない

どうしたって緊張してしまったり

殻を破れなかったり

わたしは他人との関わりのなかで解き放たれ、変えられていくのだ

よくも悪くも



キリストとのかかわり

そのなかで初めて解き放たれていくものがある

イエスさまとの出会いによってはじめて

点火するマッチがある

悟りなんかじゃない

修行なんかじゃない

出会いと関わりによってのみ変っていく

人間っていうのはそういう存在なんだ

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