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教会で「ブラザー・サン シスター・ムーン」を観た

アシジの聖フランチェスコを描いた映画だ

フランチェスコの軽やかさ

モーツァルトの音楽にもある天上の軽やかさ



この歌が好き!

1.Brother Sun and Sister Moon
Brother Sun and Sister Moon,
I seldom see you, seldom hear your tune
Preoccupied with selfish misery.
Brother Wind and Sister Air,
Open my eyes to visions pure and fair.
That I may see the glory around me.
I am God's creature, of him I am a part
I feel his love awaking in my heart
Brother Sun and Sister Moon
I now do see you, I can hear your tune
So much in love with all that I survey

ブラザーサン シスタームーン
その声はめったに私には届かない
自分の悩みだけに心を奪われて
兄である風よ
姉である空の精よ
私の目を開いておくれ
清く正しい心の目を
私を包む栄光が
目にうつるように
神に与えられた命
私にも神は宿る
その愛がいま
この胸によみがえる
ブラザーサン シスタームーン
今こそ
その姿に触れ
その声を耳に
そして胸を打つ
あふれるこの愛

2.San Damiano Song
If you want your dream to be
Build it slow and surely.
Small beginnings, greater ends.
Heartfelt work grows purely.
If you want to live life free,
Take your time, go slowly.
Do few things, but do them well.
Simple joys are holy.
Day by day, stone by stone,
Build your secret slowly.
Day by day, you'll grow, too,
You'll know heaven's glory.
夢をまことにと思うならば
あせらずに築きなさい
その静かな歩みが遠い道を行く
心をこめればすべては清い
この世に自由を求めるならば
あせらずに進みなさい
小さいことにも
すべてを尽くし
飾りない喜びに
気高さが住む
日ごとに
石を積み続け
あせらずに築きなさい
日ごとにそれであなたも育つ
やがて天国の光があなたを包む
Lyrics and music by Donovan

闇の子供たち…神さまはおそろしく非情な方だと私は思いました

神はあの無辜の幼児たちが

欲望に駆られた獣たちの性器をくわえさせられ

お尻から血を流し

エイズに罹り

ゴミ袋に詰め込まれ

生きながら臓器を抜かれるのを

黙って見ているほどに非情なのです

死にいたる最後まで介入しないほどに非情なのです



キリストの十字架がなかったのならば

私はきっとこの神の非情さにつまづいたことでしょう

神自身がこの非情さによって血と涙を流しながら死んでいったという事実がなかったならば



神はなにゆえに黙っておられるのでしょうか

私はその理由をこの映画「闇の子供たち」でかいま見たように思ったのです

それは私たちが有り余る財産の中から献金をするようにではなく

やもめが有り金のすべてである2レプタの献金をささげるように

隣人を愛することを求めておられるのからではないのでしょうか



貧しいタイの子供から臓器を抜き取っての臓器移植に

私たちがヒューマニズムから反対することは容易なことです

けれど愛するわが子が臓器移植で生きながらえるとわかっているときに

あえて臓器移植をあきらめるには

ヒューマニズムとはちがった「愛」と「希望」が必要です

人身売買のブローカーや売春宿の管理人も底辺に生きるタイの人々です

彼らは私たちが豊かなヒューマニズムで「闇の子供たち」に同情するようには

ささげるべき「愛」を持ち合わせていません

それは人間性の問題ではなく

パリサイ人が有り余る財産を持っているのにたいして

やもめが2レプタの所持金しか持っていなかったのと同じことです

アランヤーの所在を教えろとNPOに迫られた少女は

余計なことをしゃべれば自分が殺されると知っていました

口を割らなかった少女はギリギリの2レプタを守ろうとしたにすぎません

悪はこの貧困の中で増殖します



それでは悪を断ち切るには私たちが豊かになればよいのでしょうか

私たちが有り余る財産を所有すれば

たくさんの献金ができ

たくさんの愛が世に満ち溢れるのでしょうか



愛をささげるもう一つの道は

私たちが別の「貧しさ」にあることかもしれないと思いました

私たちが豊かな先進国で暮らしていたとしても

この命を生きながらえさせるだけのパンに飽き足らないと感じて

「飢えた」者になったとき

豊かに所有して「与える」側ではなく

飢え渇く者、乞い求める者となったとき

私たちは別の「貧しさ」にあるといえます



貧しくなることによってしか与えられないという

逆説的な贈り物があるのではないでしょうか

映画の中で宮崎あおい演じるNPOの恵子は

エイズの少女の唇にキスをしました

「私は汚れているでしょう?」というエイズの少女アランヤーに

「汚れてなんかいないわよ」といって恵子はキスをしたのでした

アランヤーの微笑み

地獄の中でたったひとりの隣人からでもこんな微笑を引き出すことができたのなら

私たちのはかない人生もけっしてむなしいものではないと

胸を張って言うことができるでしょう



どうしたらエイズの少女の唇にキスすることができるのでしょうか

溢れる正義感をもってしてもヒューマニズムをもってしても

エイズの少女にキスすることはできないにちがいありません

もしそのことが可能にさせるものがあるとしたら

私たち自身が飢え渇く者であることを措いて他にないでしょう



私はエイズの少女の唇にキスをしたことはないし

そんなことがこれから先できるかどうかもわからないけれど

アランヤーが微笑んだとき

乞い求めていたパンが与えられ

アランヤーも恵子も

他の何をもってしても不可能な満ち足りた体験をしたということは

感じられるのです



タイの貧困と人身売買を先進国は見過ごしていていいということではありません

タイの人々が解決すべき問題だと言っているのでもありません

ただタイが地獄で日本や欧米が天国だと思っている私たちは

実は一番天国から遠いところにいるのかもしれないと気づかされたのでした

闇の子供たち

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ブログをよく訪問させていただいているナイス害さんのお勧めで

「闇の子供たち」という映画を観たhttp://www.yami-kodomo.jp/

舞台はタイ。ヤイルーンは8歳のときに、実の親に売られて、タイ北部の貧しい山岳地帯の村からバンコクに連れて行かれた。両親は娘を売った金で冷蔵庫とテレビを手に入れた。ヤイルーンは日本や欧米などの世界中の富裕層が集まる売春宿に連れて行かれ、大人たちの性的玩具にされていた。1年後、エイズを発症したヤイルーンは商品としての価値を無くし、食事も与えられず、ゴミ袋に入れられて、処理場に捨てられる。そして、ヤイルーンが売られたその2年後、今度は8歳になった妹のセンラーが売春宿に売られ……。  (ウィキペディアのあらすじ紹介)

…のあとには、難病の日本の子供への移植手術に、センラーの臓器が提供されるという展開が伏せられている

この映画の登場人物であるヤイルーンやセンラーは実在の人物ではなく、フィクションだけど

ノンフィクション・ドキュメントとしてこの映画を作ったら

監督や原作者の梁石日はまちがいなくマフィアによって消されているだろう

臓器移植のドナーは脳死の患者だけではなく、生きた人間であるケースも少なからずあるということは

だいぶ前に『週刊金曜日』という雑誌が伝えていた

『週刊金曜日』が暴いていたのは腎臓移植で

腎臓はかたっぽなくても生きられるが

スラムで肉体労働をしているドナーはかたっぽだけの腎臓では結局生計を立てられなくなる

貧しかった日本で「売血」をして当座の金を得ていた最底辺の労働者を思い起こさせる

「蛸(たこ)は腹が減ると自分の足を食べる」ということに由来して

最底辺の日雇い労働者の寄場を「タコ部屋」という

映画に描かれているのは心臓の移植である

この映画はドキュメンタリーではないが

ここに描かれた人身売買と臓器移植の事実そのものはおそらく確実に存在するようである




アキノが大統領だったころ

私はマニラを訪れたことがある

観光客には見えなかったらしく、ジプニーというバスに乗り合わせた乗客から

「ミッション(福音伝道)か?」とたずねられた

ミッションではなかったが(そのころは洗礼さえ受けていなかった)

マニラの高校を訪問し、労働組合や人権団体の事務所を訪ね

「イエローレボリューション」(黄色の革命)で民衆の圧倒的支持と期待を背負って大統領になった

アキノ女史が黄色のコートの下にカーキ色の軍服を着ている風刺画ポスターを見た

美容院に入って髪を切ってもらい

日本人だとわかると女性美容師は「yacooza」を連発した

「そんな英語知らない」と途方に暮れたあと

「ヤクザ」か!としばらく経って気がついた

マニラのスラム街スモーキーマウンテンにも連れて行ってもらった

イメージ 2 イメージ 3

頭に大きなたんこぶができていたり顔が非対称だったりするた奇形の(こういう言葉を追放するだけで人権が守られるのか?!)子供を多くみた

ゴミ山の中にバラックが点在し

子供たちはゴミの中からビニール袋やシャンプーの容器を拾い

リサイクルで生計を支えていた

男たちは一様に無気力で日中から酒を飲んでいる人々も多かった

わたしたちは「家に案内するよ」と言われ男性についていくと

狭い掘っ立て小屋の奥にマリア像が飾られていた

子供たちは「ここの教会でもらったんだ」と言って得意げに

胸から下げたプラスチックの十字架をカメラの前に突き出した




スモーキーマウンテンを出て

車で数キロ

夕飯をとろうと立ち寄ったレストランの入り口では

かなしそうな目をした少年が「お金をくれ」と手を出していた

「絶対あげたらダメですよ、クセになりますからね」と同行した現地人のガイドは言ったが

お金をあげないことで少年の活路が拓けるわけでもないような気がして

コインを渡した

その瞬間少年はペロっと舌を出した

かなしそうな表情は演技だったのだ

でも「だまされた」とは思わなかった

かなしそうな表情が演技で、ペロっと舌を出した顔がホンモノの彼の顔だとも思わなかった




「闇の子供たち」-----この映画を観るのは正直怖かった

自分の人生のどこにどう位置づけたらいいのかわからない「現実」をまたしても突きつけられるのが

怖かった

豊かな日本の中で調和を保っているキリスト教信仰に「否」を突きつけられそうだった

でも映画をみながら

私は少しだけ

どう向き合うべきなのかを教えられたような気がするのだ

その話は後日-----

西の魔女が死んだ

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まいのおばあちゃんはイギリス人

日本の田舎に住んで、ハーブや野菜を育てている

そして自分は魔女なのだと打ち明ける

まいは入学したばかりの中学校で不登校になるが「魔女修行」によって

現実を乗り越える力を与えられる


清里の近くで撮影したらしい風景を観ているだけでも癒される映画

そして素敵な魔女のおばあちゃん

凛としたやさしさと強さ

「死んだら『自分』もなくなってしまうんだろうか」と泣きじゃくるまいの背中をさすりながら

おばあちゃんは静かに語る

「死んだら魂は肉体から離れて自由になるのです

この世では魂は肉体の影響を受けているでしょう?

おなかがすいたらイライラしたり怒りっぽくなるし

死んで魂が肉体から離れたらそういうことはなくなるのよ」

それじゃあ身体を持っているってあんまりいいことじゃないのね、というまいに

おばあちゃんは続ける

「魂は身体をもつことによってしか物事を体験できないし

体験によってしか魂は成長できないんですよ」




「肉体は魂の牢獄」とプラトンは言った

そこまではおなじ

けれど身体があるから魂は成長できるのだ、と続けたおばあちゃんの勝ち

「愛」というみえないものを身体を重ねることで伝え合うのも

病気や老いで身体が苦しむことも

魂をめざめさせ成長させるためなのだ



素敵なおばあちゃん

「成長なんてしなくたっていいじゃない」というまいにおばあちゃんは答える

「本当にそうですね。でもそれが魂の本質なんですから仕方がないのです。

春になったら種から芽が出るように、それが光に向かって伸びていくように、

魂は成長したがっているのです。」


そして

「それに、身体があると楽しいこともいっぱいありますよ。

まいはこのラベンダーと陽の光の匂いのするシーツにくるまったとき、幸せだと思いませんか」



わたしはいつか死ぬ

けれどその日まで「魔女修行」をするんだ

と思わせられた映画でした

あらっそれで火あぶり?(笑)

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小学校高学年にはなっていたのに、洋服ダンスの中に入って

今度こそ、と手を伸ばすとやはりタンスの壁に触れてがっかりしたものだった

今度こそ、冷たい雪の積もった木の枝に触れるかと期待したのに…

ルーシーとスーザンとエドマンドとピーターが通っていったように

洋服ダンスを通ってナルニアに行けるかと期待したのに…



ナルニアは小学生の私の心を魅了した

『ライオンと魔女』でアスランの敵である白い魔女は

もっと小さいときに読んだアンデルセンの『雪の女王』に重なった

もしかしたら私とキリスト教との初めての出会いだったかもしれない

ナルニア国物語を書いたC・S・ルイスとアンデルセンが

敬虔なキリスト教徒だったとずいぶん後になって知って、なるほどと思った

大好きで子供のころ何度も読み返した『ライオンと魔女』『魔術師のおい』だが

『カスピアン王子の角笛』は映画の上映を知って初めて原作を読んだ

そして続けて映画をさっき観た

さすがディズニー映画

迫力の戦闘シーン

原作に出てこなかった白い魔女の再登場もあってスリル満点

けれど原作にはたしかに書かれていた物語の主題が

映画では埋もれてしまっているように思えた

原作ではルーシーがアスランの姿を見、兄姉にはアスランがみえない

アスランに従って行こうというルーシーの懇願を

兄姉は「そちらの道は険しそうだから」と現実的判断を優先して退ける

そして結局行き詰まってしまう

迷ってしまった道の向こうに再びアスランをみたルーシーがよろこんで駆け寄って行くと

アスランは「なぜ以前に従ってこなかったのか」と問う

「だって兄さんも姉さんも信じないから」と言うと

アスランは何もいわずじっとルーシーをみつめる

ルーシーは言う「たとえ一人になっても従って来なさいというのね」


ディズニーの映画ではナルニアの敵テルマール人とナルニア人との戦闘が

長々と大スペクタクルで描かれる

原作にはこんな戦闘シーンはない

ミラースとピーターは決闘をするが

敵に勝ったのはピーターの剣ゆえではなく

アスランの息でよみがえった森の精が動き出したからである

原作では戦闘のシーンはもっと牧歌的でのんびりしている

決闘の見張りに選ばれたクマが「やめなさい」といわれたのも忘れて前足をなめたりしている



『カスピアン王子の角笛』は正直、原作で読んでも

ナルニア国物語シリーズの中ではさして面白い部類ではない

それでも私はテーマのあるファンタジーが好きである

そして真のファンタジーはエンデが言うように、現実を照射しているのだと思う

ナルニアでは1300年の間、「ものを言う獣たち」は虐待され

踊ることのできた木々も心を閉ざして黙していた

映画館を出てマクドナルドの前を通りかかり

「チーズバーガー120円」を食べようかなと一瞬思ったが

「ものを言う牛」に肉骨粉を与えて、つまり共食いさせないかぎり

120円なんてありえないなあと思い、やめた

テルマール人は誰なのかな

あっ私?

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