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哲学

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物理理論も所詮、人間が作り出したモデルに過ぎない
モデルを実験で検証できるが、すべて、不完全帰納法
完全には証明できない
たとえ、証明できたとしても、他のモデルの可能性が排除されたわけではない
時間が実在しない物理モデルをつくることもできる
それが、実験結果と一致する可能性が皆無とはいえない

物理モデルも人間の素直な直感から始まっている
人間にとっては、時間というものが実在するように感じる
そこから、物理モデルを作ったに過ぎない
時間が実在するかどうかは、数学でいえば公理のようなもの
証明することはできない
時間が実在すると仮定して、物理モデルを構築することしかできない
つまり、時間が実在するかどうかという問題は、もう、形而上学の問題
あれやこれやと思考をめぐらすことはできるが、結論は出ない
それが、人間の限界
不可知であることを知るべき

哲学や神学のような形而上学では、真理を知ることができないという不可知論があるが、形而下の学問、すなわち、物理学でも真理を知ることができないのではないか

理論物理学者のホーキング博士は、物理理論は単なるモデルにすぎないと考えているようだ
人間が考え出したアイデアにすぎない
ホーキング博士は、虚時間という概念を提唱しているが、これもモデルのひとつ
ホーキング博士によると、人間ができることは、物理モデルを構築して、実験によって、検証するだけ
よって、虚時間が存在しようが、実時間が存在しようが実験結果と一致すればよいと考えている
しかも、実験による検証は不完全帰納法なので、完全に真理だと証明できない
また、実験には常に誤差が生じる
したがって、人間は物理モデルを完全に検証することはできない
つまり、物理モデルは真理であると証明できない
仮に物理モデルが偶然に真理と合致していたとしても、それを確かめることができない

以上より、人間は、形而上学でも形而下学でも不可知であるといえる

同一律 「甲は甲である」
矛盾律 「甲は非甲でない」
排中律 「甲は乙であるか、非乙であるかである」


これらの3つの法則が成立しないと記号論理学は成立しない
記号論理学は、壮大な学問体系になっているけど、いってみれば3つの法則が出発点
これの法則は自明でもなんでもないので、別の論理学を構築することもできる
たとえば、排中律を認めない体系も存在する
いわゆる、直感主義である

ヨーロッパ以外では、壮大な論理学の体系は生まれなかったようだが、これらの法則を否定しては論理学を構築するのは至難の業だろう
だからといって、他の地域が遅れているわけではない
記号論理学もひとつの体系にすぎない
別の体系が遅れているわけではない

たとえば、数学では、ユークリッド幾何学、非ユークリッド幾何学、リーマン幾何学などがあるが、それぞれが独自の体系である
どれが優れているかというものではない

たまたま、論理学では、同一律、矛盾律、排中律を肯定しなければ、壮大な体系にならなかっただけ

ところで、記号論理学がコンピューターに応用されるとは驚きである
きっと、記号論理学の創始者たちも驚いているだろう

「論理」 とは思考の形式、あるいはもう少し踏み込んで推論の規則を指します。

思考の形式というとき、思考の 「内容」 は問題にされていません。論理は、経験的なできごとを離れた純粋で知的な世界に遊ぶのです。では 「純粋で知的な世界」 の身分をどう考えるかというのは論理そのものとは別の問題です。 (もちろん、それをどう考えるかの違いは論理に接する姿勢に反映され、導かれる結論が変わってくることもあります。)

一般に、論理学を含む言語の研究は、構文論 (syntax)、意味論 (semantics)、語用論 (pragmatics) に分けられます。文 (語句のまとまり) の形式的な構造を扱うのが構文論、命題 (真偽を考えることのできる文) とその内容の関係を扱うのが意味論、そして言明 (実際にある意図をもって表現された文) とその発話者とのかかわりを問うのが語用論です。

これらは本来相互に密接に関連しており、他から完全に切り離して扱うことはできません。しかし狭義に論理学というときには、意味論を中心にしているのがふつうです。

有名な三段論法は、「二つの前提命題から一つの結論命題を得る推論」 とまとめることができます。命題のタイプに4種類あり、一つの推論には命題が3つあって、さらに二つの前提命題のつながり方が4つの格に分けられるので、可能な三段論法は全部で (4×4×4)×4 の 256 通りあるのですが、その中で妥当な推論となるものは 24 個しかありません。256 通りの 「形」 の一つ一つを 「真」 あるいは 「偽」 へ対応づけるのが意味論の具体的な例です。

ここで 「妥当な推論」 とは、前提が真であるならば、必ず結論も真となるような推論 (命題間のつながり) を指します。これを、それ以上簡単な命題に分けることのできない 「原始命題」 を組み合わせて 「分子命題」 を作ることと考えて翻訳すると、たとえば対偶法と呼ばれる妥当な推論規則

前提 P⊃Q、 結論 〜Q⊃〜P (「PならばQである」 から 「QでなければPでない」 を推論することができる)



(P⊃Q)⊃(〜Q⊃〜P) (「PならばQである」 ならば 「QでなければPでない」)

という一つの命題にすることができ、これは命題P、Qの真偽にかかわらず常に真となる命題になります。このような命題をトートロジー(恒真命題)といい、逆に、「ならば」 という論理語を中心として組み立てられているトートロジーには必ず妥当な推論規則が対応することになります。

ところで、妥当な推論においては、前提にすで含まれていた以上の情報が結論として出てくることはあり得ません。これでは、新しい知識をもたらす推論としては論理(学)はまったく役にたたないことになってしまいます。

サイエンスは、特定の仮定から推論をして、理論を構築します。たとえば、ニュートン力学であるならば、運動の三法則という仮定から理論を構築しています。
仮定は、真理ではないので、サイエンスも仮説(モデル)にすぎません。

サイエンスは、帰納法によって実証されるが、その帰納法は、不完全帰納法であります。
不完全帰納法とは、全称命題を証明するものではなく、部分命題を証明するものにすぎません。すなわち、実際に検証した限りで、正しいといえるにすぎません。検証していない部分については、真偽がはっきりしません。

そして、完全帰納法(数学的帰納法)は、原理的に不可能です。世界のすべてを検証したとしても、未来の世界を検証できないので、全称命題の証明はできません。

また、実証をするのが、人間であるので、完璧な実証はできません。実験には、常に誤差がつきものです。一方、人間が認識したものと客観的な実在が一致している保障もありません。人間は五感を通して世界を認識しているので、客観的な実在を知ることができません。

したがって、サイエンスは、”真理”ではありません。サイエンスは、人間がつくったモデル(模型)にすぎません。

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