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今週届いた「致知」という雑誌中に、つぎのような記事が載っていました。
「最近カンボジアで、九歳の時に水牛の世話をしていて行方不明になった少女が、
十八年ぶりに発見され保護されたというニュースがあった。
二十七歳になっている彼女はジャングルで暮らしていたらしく、
言葉を理解せず、服は破り捨てて、四つん這いで歩き、すっかり野生化しているという。
人は人に生まれるのではない、人になるのだ、ということを思い起させる話である。
では、人は何によって人になるのだろうか。(後略)」
テレビを見ていたら、ゴリラが動物園で何年ぶりかで出産したという番組をやっていました。
子供を育てる仲間を見たことがない母ゴリラが、
育児放棄をするのではないかと心配されたけれど、無事子育てに励むという番組でした。
野生の動物を人が育てると、再び野生に戻すのは難しいらしいですね。
人間も動物も仲間のすることをみて真似ること、学びは真似る事から始まるようです。
そうすることで、それぞれの命の種が、その種らしい生き方ができるようです。
人もある種の動物も、群れでないと個体単独では、それぞれがそれぞれらしく生きられないようです。
ところで、過って心理学の交流分析を習ったとき、
人は食物だけではなく、心の食べ物がないと生きてゆけないと習いました。
心の食べ物とは、自己及び他者の存在を認める働きかけと定義されていたと記憶しています。
その具体的な行為は、話を聴く、挨拶をされる、抱きしめられる、誉められるなどの行為でしょう。
私はこのエリック・バーンの交流分析を肯定していますし、
愛の反対は憎悪ではなく、無視という意見にも共感できます。
つまり無視は、心の食べ物を与えない行為だといえるでしょう。
愛とは、自己及び他者の存在を認める働きかけをする行為、
人もある種の動物も愛なしには、人らしく動物らしく生きられないのだと確信しています。
では、人は何によって人らしくなるのか?
人と動物の違いは何なのか?
それは、愛がないと生きてゆけないと自覚していること。
さらには愛を与えると与えられると知っていて、
その与えることの不十分さや未熟さ、つまり自己の不完全性を自覚していること。
そのように自己の不完全性の自覚ゆえに、
もっと愛し合えるように自己を進歩向上させる努力をしているということでしょう。
青く生意気な結論ですね、お許し下さい。
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