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反省

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夫婦ゲンカ


妻が自己中心的だと無性に腹が立ちます。
自分が自己中心的だと、
そんなもんでしょうで済ませられのですが…。

腹立ちまぎれで言葉が刺々しくなります。
夫婦ゲンカの勃発です。
険悪な空気がしばらく漂います。

しばらくたって、もう少し声のトーンを下げて話せばよかったとは言いました。
けれど、お互いにゴメンナサイはありません。
それでもいつもどおりに戻れ、なんとなく仲直りできてホットしています。


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妻のダウン


朝、散歩から帰宅する。
そして、食卓の前に座ると味噌汁とごはんが出てきます。
それが毎日、毎日、我が家では繰り返されます。

しかし、24日は朝食を用意してくれる人、妻がダウンしました。
ダウンしている日、いつもは妻がしてくれる家事を致しました。
手間がかかってめんどくさいことばかりです。

朝食が食べられる。
そのことが、普通に毎日繰り返されていると、食べられるのが当たり前になります。
感謝も次第に浅いものになっていたようです。

感謝を思い出すために、深くするために、妻のダウンがあったのかもしれない。
そのように今日は感じております。
ちなみに妻のダウンは一日限り、おかげさまで翌日から日常が戻ってまいりました。


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大人ってなに?


今日は成人の日です。
新成人のみなさま、ご家族のみなさま、おめでとうございます。

朝、散歩に出かけようと一歩そとに踏み出したとき、
今日は成人式だけど、大人ってなに?そんな疑問がふっと湧きました。
人の役に立てる人、人の世話ができる人そんなふうにその時は思えました。

散歩から帰宅してもそのことが気になっていたので、
妻にそのことを尋ねると、責任を問われるようになること、そういう返事でした。
そしてさきほど、ブログを書くためにパソコンに向うと、
ヤフーのトップペイジにも、「大人への一歩は自由と責任への一歩」とありました。
なるほどと恥かしながら54歳になって思います。

成人の日のおかげで、大人について考えなおすことができました。
あなたにとって大人とは?
ちょっと色々な方にたずねてみたい気が致します。
よろしかったらご教授ください。


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上手に老いること


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毎日、ハガキの投函のために郵便局に参ります。
地球温暖化防止のために、今すぐできることからやりましょう!
そういうお葉書を数ヶ月前に頂いてから、
自動車を止めて自転車で郵便局に行くようになりました。
ささやかな私の貢献ですが、この時期ちょっと骨身にこたえます。

今朝はシワにしたくない物を持っていたので、
ちょっと危ないのですが、両手放しで自転車に乗ろうと致しました。
すると、数メートル行くとフラフラしてそういう乗り方ができなくなっていました。

若い頃は、運動オンチの私でもラクラクできていたのに。
東京から山口のこの家まで自転車で帰ったことも大学時代にはあるというのに。
歳をとるということは、今までできていたことができなくなるということ。
これから、どんどんできていたことが、次第にできなくなるのでしょう。

私も歳をとるんだなぁとシミジミ…。
そして、いつまでもなんでもできると円熟できないと負け惜しみ…。
どうあっても、自然の摂理には逆らえません。
上手に老いることを、そろそろ学ばないといけないのかもしれません。

想念について


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想念について書かれた小冊子を頂きました。
怒りと憎しみと悲しみとねたみの想念。
喜びと愛と感謝の想念。

想念は電波のように空間を漂っているらしい。
よく空気が読めない人といわれるが、その空気のようなものが想念か?
電波のように漂っている想念にチューニング合うと空気が読めるのかもしれない。

どのような想念をもって日常を暮らすか?
その問いに多くの道徳や宗教は、喜びと愛と感謝の想念の大切さを説かれます。
大切さを説くだけならまだしも、怒りと憎しみと悲しみ、ねたみの想念を抹殺するように導く場合もあります。

そのように生き抜けたら素晴らしいし、そうなるように努めるべきだと私も思います。
けれど、怒りと憎しみと悲しみ、ねたみ、そういう否定的な想念にまったく囚われない生き方は、どうも私にはできそうにありません。
同時に、喜びや愛や感謝の想念がまったくない生き方もできそうにありません。

そして、否定的な想念があるからこそ生き抜くことができたし頑張れた。
喜びと愛と感謝があるからこそ生き抜けたという両方があるように思えるのです。
あらゆる想念は、私にとってその時、その場合において、意味があり必要だったのだと思えてなりません。


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