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8月になったその日 仕事中にカミさんからのメール 武蔵屋さんが7月で閉店してた! ◇“3杯屋”歴史に幕 「コップ酒3杯まで」で知られる横浜・野毛の老舗居酒屋・武蔵屋が、今月いっぱいで閉店する。店主の木村喜久代さん(93)=横浜市中区=が「体力の限界」と決断した。のれんも品書きもなく、お酒はビールと日本酒だけ。流行には見向きもせず、先代から受け継いだ店の流儀を頑固に守り続けた“3杯屋”が69年の歴史を閉じる。 武蔵屋は喜久代さんの父・木村銀蔵さんが1919年、中区太田町に立ち飲み屋として開店。終戦翌年、現在地に移った。土瓶で燗をつけたお酒を、銀蔵さんがコップになみなみとつぐ。「お客さんと長い付き合いがしたいから、体を壊さないように」3杯までと決めた。 料理の中心はシラスとタラが入った湯豆腐。それらが69年間、全く変わらない。客には文化人や学者も多く、歌手の沢田研二夫妻がカウンターに座ったことも。最近は開店を待つ客が長い列をつくる。 銀蔵さんが83年に他界してからは、喜久代さんと妹の富久子さんが店を仕切った。数年前に富久子さんが体調を崩して引退。現在は学生アルバイト数人が喜久代さんを手伝っている。 90歳になったころから、喜久代さんは「仕込みや店の切り盛りが、きつくなった」という。入院もあり、営業日が徐々に減って今は木曜と金曜だけ。「これまでも、何度かやめようと思いました。でも、お店をかわいがってくださるお客さまのことを考えると、なかなか踏ん切りがつかなくて」と喜久代さん。「父が始めた店を何とか守ってきた自分へのごほうびで、今は休息を取りたい。 今月31日が“武蔵屋最後の日”になる。 (yahooニュース 神奈川新聞 7月22日) 「三杯屋」として知られた横浜・野毛の老舗居酒屋・武蔵屋が31日、常連客らに惜しまれながら69年の歴史に幕を閉じた。「コップ酒3杯まで」と頑固に守り続けたが、別れを告げる長い列ができたことで最後限りの「一杯屋」に。店主の木村喜久代さん(93)は「本当に皆さんのおかげ。お客さまがいいからここまで来られた」と一筋の涙をぬぐった。 午後2時すぎには常連客ら約20人が列をなし、7時40分に閉店を伝える張り紙が出されるまでほぼ満席が続いた。この日は日本酒1杯とタマネギの酢漬け、おから、赤飯の特別メニュー。昭和の雰囲気が残る店内で、変わらぬ味をかみしめていた。 客の肩書がどうであろうと、誰もが3杯までと決まっていた。飲み過ぎを気遣う先代のこだわりだった。閉店まで店内に残った常連客の男性(70)は「先代から3杯で帰れえと何回も言われた。その後を受け継いでくれたおばちゃん、長い間どうもありがとう」と拍手で惜しんだ。 看板を掲げないのも流儀だった。1杯しか提供できなかった最後の日、引き戸には喜久代さんの文字で感謝の言葉とともに「一杯屋店主」と書かれていた。 (yahooニュース 8月1日 神奈川新聞) まじ! 確かにこのお店 8月の一ヶ月はお休み その7月のお休みの日の前 や それに近い日に訪れた あるいは お店を再開頃に訪れた だから、だいたい年に1回ぐらい・・・ 7月31日 それは例年であれば 「また涼しくなったら再会ですね」 でも、 今年は この日が最後の日になったらしい。 去年の7月に行ったのが最後だっけなぁ 営業日がその日よりも1日少なくなったこともあり なかなかいけなくなったまま でも、そのうちに なんて思ったまま、行けずじまい。 とはいうものの 野毛にある武蔵屋さん 行き始めたのは実はそんなに昔ではない。 武蔵屋さんに行ったときの記事 → こちら 昭和という空気感が存在するならば そのまんまのお店 デジタルな今だからこそ デジタルが日常ではなかった 昭和を楽しむために きっと 人々が集まっていたのかもしれない いや、時代は関係ないか。 お店を切り盛りするお母さんの人柄 そしてそのお母さんを支える若いアルバイトの学生くんたち お店に集う人 酒と人を楽しみに行っていたのかな 座ったら 注文しなくても でてくるメニュー 飲み物は日本酒 櫻正宗 つい最近 お友達ブロガーさんから 正宗 を名乗る本家本元が 櫻正宗だってことを聴きました。 こちらも正宗 こちら櫻ではなく菊正宗 でも、 こちらのほうが有名ね こちらも菊正宗 こちらが 櫻正宗 これは家のみのものだけどね。 さぁお酒が進みます。 注文していないのでに たら豆腐も自然にでてきます。 コース外ではこのようなものや ビールを注文することはできました。 さようなら武蔵屋さん そしてお疲れ様でした。 |
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