叉焼飯飯店

大好きな香港をはじめ日本や澳門・台湾の街歩記、食べ歩記です。

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2019年06月

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イメージ 1

ついに関東は入梅となりました。
そんな時期なのねぇ〜
2019年ももうすぐで半分終わっちゃうんですもんね。
そしてあと1年ちょっとでオリンピック!
いやぁ〜ん
オリンピックですよ、オリンピック。
オリンピックのチケットの抽選エントリーはしましたがどうなることやら
しかもやたらめったら申しこんで当たっちゃったら破産ですから
お支払いできる範囲でのお申し込み。
パラリンピックのチケットはこれからですが
こちらも楽しみ。


まぁ当たればラッキー!
聖火は全県回るらしいですから、わが街近辺にお越しとなるのであれば
これぐらいは見にいきたいなぁ〜
ただですしね



イメージ 2
こちらは2008年の北京オリンピック
香港に聖火がやってきた日の
ニュース映像
多くの芸能人も走りました。

GWの期間
ちょうど香港滞在ではあったのですが
この日は澳門に行っていたため
聖火は見ることができなかったのですが
それでも来る前と行っちゃった後の
興奮の香港の街に
触れることができました。




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こちらは北京オリンピックの
聖火の際のトーチ
これから使われる本物だったのかなぁ。

レプリカは持たせてもらいました。
けっこう重かった。

2020東京オリンピックの
トーチは
真上から見ると桜の形なんですよね

日本のあちらこちらで
こういうイベントも増えていくんでしょうね。


 

東京オリンピック、パラリンピックの開会式や閉会式のプロジェクトにも関っている
椎名林檎
これも楽しみです。


最初のお写真は2010年の香港国際空港(赤鱲角國際機場)
香港のナショナルフラッグ キャセイ航空の飛行機が並んでいます。
もうこの飛行場も開港して20年
1998年は年に2回香港に行くことができたのですが
5月は啓徳 8月は赤鱲角と新旧を楽しむことができました。

イメージ 4


こちらは
1996年の香港
ということはまだ
空港は啓徳空港

こんな風に街の顔を
見せてくれると
ほんと
「これからよろしく
お邪魔させていただきますので、よろしく」な気分になります。




イメージ 11

着陸の際の風景は
こんな風景

いやぁもうたまらないよね
こんな風景がだんだん
目の高さに。

イメージ 5










そして到着
これが啓徳空港

直接ターミナルではなく
ターミナルの建物から
離れたところに到着
そして
なんとタラップを使っての
香港でした。

だからホントにここで
はじめの一歩
香港の土、というか
アスファルトを踏みます。



イメージ 6
 
って
啓徳空港の建物内の
写真とか
写ってないのですが
これ空港からホテルへ
向かう車の中からの
啓徳空港
ってこれだけじゃ
どこの空港かわからないけれどね

啓徳空港は街中にある空港
だからすぐに
エネルギッシュな香港の街の洗礼を浴びることができます。



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啓徳空港のころは
日常の風景

空港近くで食事をしていると
轟音とともに振動も
伝わってきて
コップ内の液体がぷるぷると震えちゃうほど。

まぁ、これはその建物の問題があるのかもしれないけどね。




イメージ 9



















イメージ 10

深水埗の街も
こんな風に空港に向かう
飛行機を眺めることが
できます。














イメージ 12

左下の前方後円墳みたいな
建物が
深水埗にある西九龍中心

写真左上方向が
上の写真の飛行機進行方向と思われ。。。










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こちらな
悲しい、悲しい
香港とお別れする日

帰りもタラップにて搭乗
これがまたまたさびしさを
増してしまうのですよね。









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そしてこんな風に
香港の街とお別れ。。。

また来年

そしてこの翌年1997年は
返還の年

啓徳空港を6回
1度の香港訪問の出入りで
2回利用計算
年に3回も香港を訪問するという機会に恵まれました。
って全部自腹での旅だけど




と、今回も
まだイギリス植民地時代の
香港のお話

このあと昔話がしばらく続きます。
(だってまとめて写真をスキャンしたもんでね)





  
香港で9日、刑事事件の容疑者を中国本土に引き渡せるようにする「逃亡犯条例」改正に反対する大規模なデモがある。「冤罪(えんざい)で拘束され、中国本土で公平ではない裁判にかけられる」との懸念が強まり、反対運動は日増しに熱を帯びている。民主的な選挙制度の実現を求めた「雨傘運動」(2014年)の失敗で一度はしぼんだ「雨傘世代」の若者たちも、再び街へ出て声をあげる。【香港・福岡静哉】

雨傘世代の一人、張越滇(ちょう・えつてん)さん(31)は14年の大学卒業直後、当時の運動に加わった。それまであまり政治に関心がなかった張さんも、若者らが中心部の幹線道路を占拠する抗議行動に触れ、「香港の民主主義を守りたい」と考えた。約1カ月にわたって運動に参加し、警官隊による催涙弾を浴びて目や顔面がしびれたこともあった。だがデモは強制排除され、要求は実現しなかった。

雨傘運動では1000人以上が拘束され、一部は起訴された。その後、反中派や独立派は選挙への出馬を事実上、禁止された。香港の自由は揺らぐ。「運動をしても政治は逆に悪くなった。深く失望した」。張さんは拘束は免れ、卓上ゲームの販売店を始めた。今では15人の従業員を雇う。結婚もした。もう政治には関わらないと思っていた。

だが、逃亡犯条例改正案が張さんを変えた。「中国政府は、香港人がおとなしく圧力に耐えると思っているのだろう。でもこの条例改正は越えてはならない一線を越えている。ここで香港人の意地を見せなければ、香港は中国に完全にのみ込まれる」

9日は店を臨時休業し、全従業員とともにデモに加わるという。

同じ雨傘世代の大学院生、陳沛雯(ちん・はいぶん)さん(28)も「今回も政府の方針を覆すことは難しいかもしれない。でも逃亡犯条例改正は香港人全員の安全に関わること。何もしないではいられない」と語る。

張さんのようにデモ参加のために休業を表明する商店主が相次ぐ。香港東部・小西湾地区で玩具店を経営する李俊竜(り・しゅんりゅう)さん(35)は「香港の将来を大きく左右する大事なデモなのでお客様も臨時休業を理解してくれるだろう」と語った。

街頭では民主派団体などが宣伝活動を展開しており、9日は30万人規模のデモを目指す。

1997年に香港が中国に返還された後も、中国本土での事件に関与した疑いがある容疑者を香港当局から中国当局に引き渡す制度がなかった。条例改正によりこれが可能となるため、中国政府は強く支持し、香港政府も6月中に立法会(議会)での可決を目指している。ただ収賄罪や文書偽造罪なども対象となるため、若者に限らず経済界でも懸念が強まる。

一方で、今回の大規模デモを批判する声も一部で上がっており、香港メディア「大公報」によると、教師らで作る団体は7日開いた集会で「犯罪者を捕まえるために必要な法律だ」「デモで学生たちを危険な目に遭わせてはならない」などと訴えている。  (毎日新聞)





     逃犯条例三部曲『漸暗漸行』



(ブルームバーグ): 香港で9日、中国本土への容疑者引き渡し要件を緩和する条例改正に抗議するデモが行われた。主催者発表によると参加者は100万人を超え、1997年の中国返還以降で最大規模となる可能性がある。

ビクトリアパークから金鐘(アドミラルティ)地区までの約3キロにわたる道を数十万人の参加者が埋めており、政府庁舎を取り囲んだ。主催者は現地時間午後9時半過ぎの時点で参加者が103万人に上ったと発表した一方、警察はピーク時で24万人だったと推計している。

正義の象徴として白い服をまとった参加者は、「中国への引き渡し反対!」、香港行政長官の「林鄭月娥(キャリー・ラム)は辞任しろ」とシュプレヒコールを上げた。

デモ参加者が100万人を超えるということは、香港の住民、推定750万人のうち約7人に1人が参加した計算になる。


香港政府は5月末に引き渡し法案の改正案を提示。中国本土、マカオと台湾への容疑者引き渡しを認めるが、7年以上の刑期を伴う最も重い犯罪容疑に対してのみ適用される内容となった。デモの前に政府が発表した文書によると、政治犯に対しては適用できず、異議の封殺や言論の自由を制限する目的には使えないとしている。香港政府は7月の立法期間が終了するまでに改正案を成立させようとしており、審問は6月12日に再開予定。







「六四」三十周年

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令和元年
018+1=019
最初に数字の2をつけると2019年
うわっすげぇ〜と思ったのは令和になりたてのひと月前。
こちらにも記事にも書いたのですが
よくよく考えると01=れいはいいのですが
わ=が8??
にはちょいと無理のあるような。。。
でも、先日西暦を平成に直す場面に出くわしたのですが何の基準もなく困った!
そばにいた平成生まれの若者君に聞くとさらさらっと教えてくれました。
自分の生まれた西暦と元号を基準として覚えているとのこと
うぬぬ、確かに昭和生まれのわたくしもそんな換算で計算していたよなぁ〜。
ただ、基準が昭和のままなので
平成君のようにさらっとは出てこない。

あの夢のような10連休で迎えた令和元年5月
もうあれからひと月がたってしまったのですねぇ

どうです?
令和は身につきましたかぁ。
仕事の書類に「平成」のあったらそこに二重線を引いて「令和」と書き換える瞬間に
「おぉ元号変わったのよねぇ」と心の中でつぶやくものの
まだまだ身体に染み付いてないなぁ〜
ただ、染み付く頃にはこちらはもっとじいさんになっているわけで
それはそれでいやだぁ〜!!!!!!!




先日から新聞で天安門事件30年についての特集をやっています。
天安門事件から30年なんです。
1989年
そっかもう平成だったんだ。

中国
中華人民共和国
どんなふうに国ができたのか
国ができてからどんなできごとがあったのか
子供の頃はそんなことをほとんど知らず
ただ家ではニュースがよく流れていたこともあって
毛沢東、周恩来という名前だけ頭に刻み込まれていたなぁ。
それは日中共同声明が出された頃だったのだろうか?
田中角栄、パンダも印象が残っているからそうなのかもしれない。

おそらくそれと前後した頃
父親から聞いた台湾と中国の話
国民党と共産党は仲が悪く国内で戦っていたんだけど
日本と戦争をすることになって手を結び
日本が戦争に負けた後、再び戦い
蒋介石の率いる国民党は台湾に逃げて
毛沢東が共産党の国 中華人民共和国ができた と
きっと国連の中国が中華民国から中華人民共和国に変わったからなんだろう
そんな話をしたのは。

当時、ニュース以外で流れる中国の映像
自転車
壁新聞
万里の長城
故宮博物館や旧紫禁城そして天安門
人民服を着ている人々
撮影をしていると興味深そうに笑顔で周りに集まってくる老若男女

なんとなく中国が身近に感じてきた頃
周恩来の死
そして毛沢東の死
もう二度と目を開けることなく横たわる毛沢東
その死を悲しむ人たち
そうだよなぁ、
これだけの国を作った人なんだから
と、それまでの歴史をきちんと知らず 
偉大なる国王が亡くなって悲しむ国民レベルの感想で映像を見ていた。

天安門に毛沢東の写真が掲げてあるのはいつごろからなんだろう
毛沢東の死の前からなのか
そるいは毛沢東の死によるものなか

毛沢東の死後
四人組の裁判
その中心人物は毛沢東の奥さん
それを通して文化大革命のことを知った
それ以前もきっと話としては聞いていたのかもしれないけれど。。。
でも、それでも実際のところはよくわからなかった。


隣にある広大な国土を持つ中国
歴史の授業、日清戦争や満州事変から太平洋戦争の終結まで
日本が中国を長い期間苦しめたと習った

テレビに映る中国は
自分の住む国と比べるとだいぶ経済的に遅れていて
それが政治的なものなのか
あるいは歴史的なものなのか
そこにはほぼほぼ興味もなく 

ただ、おもしろい国だなぁ〜 なんていう感覚だった

80年代の前半は
中国に対してどんな感想を持っていたんだろう?
記憶が全くない
でもこれからは中国語だ

第二外国語は中国語を選んだ。
クラスは20人もいなかった。
2年間で学んだこと
自分の名前の言い方
日本、中国の発音ぐらい
もっと真面目に勉強すべきだった。

東西冷戦
西側にいることもあるんだろうけれど
東側の国民には自由がない
社会主義、共産主義
一党独裁

そんな中 80年代後半
ソ連に誕生したゴルバチョフ大統領とペレストロイカ
がちがちの氷に固められた(ように見えた?)国が少しずつ溶けていく
そして冷戦もすこしずつ終結に向かうような予感がした。
(って結局ソ連はロシアになってより独裁者が現れたけどね)
そして中国 胡耀邦の登場
中国でも同じようなことが起きるような期待

若者が権力に立ち向かうことに対しての応援
民主主義、言論の自由も経済の自由もない本当の独裁権力に対してのレジスタンス。
深夜にテレビを見ることが多かったから深夜に放送していたCNNなどを見ていたのかなぁ
とにかくお隣の大国中国の若者が中心となっている民主化運動を応援していた。
毎日のニュースを見ていた。

そして6月4日の深夜から未明
6月4日は日曜日
その日は仕事だったんだけど
どのタイミングでこの悲劇を知ったのだろう
すでにどの悲劇の始まりは知って眠りについたのか
朝起きて知ったのか。
だんだんこういう日常の記憶があいまいになっていっているぅ。
ただその日、仕事には車で行っていたのは確かで
仕事が終わった後、
その後天安門がどうなったのか、車にあったテレビでニュースを見ていたこと、
そのニュースを見て車で涙したことを覚えている。

あれから30年
経済においては世界を牽引する大国であり
テクノロジーがすべてを左右する21世紀においてその技術と開発力は
アメリカが敵視するほど優れており
その経済力や技術力に基づく軍事力は脅威

わが国も自国の領海を航行しているにも関らず中国の公船に追われたり
連日日本の領海に軍艦なみに改造した公船が常駐しています。   詳しくはこちら

しかも一党独裁は変わらず、より強固となり
ネット社会においても情報や言論は統制され
その技術力によって人々は監視され
存続の危機にまで追いこんでいる民族もおり
民主主義からは程遠く
むしろ技術力によって拘束されることでかつてより後退しているかもしれない。






     1989年6月4日の香港TVB夜9時のニュースです。


香港ではこの夏に「逃亡条例」が改正される予定
反体制の思想の持ち主、ジャーナリストも含め制約なく中国が追求することができ
無条件で中国に身柄を引き渡すことができる条例

すでに香港では反体制の政治家の当選資格が剥奪されたり
反体制の本を販売した書店主が拘束されたりと
香港にあった自由が次々と奪われています。



     FNN系News

今度はこのような集会があるとその主催者は捕まり
無条件で中国に身柄を引き渡されてしまうかもしれません。

まさに映画の世界がもうすぐそこに迫ってきているのかもしれません。  映画「十年」を見てきた



     中島美雪 世情

やっぱこういう時
この曲ね。
刷り込み、「加藤ぉぉぉぅ」







我が国を振り返ると
主権回復後、正当な選挙によって
選ばれた国会議員が立法を担い
そしてもっとも国民から信頼得た政党(議席の多い)の党首が首相となる議院内閣制が行われている。
その政治がもちろんどこ向いて行っているのか、国民が幸福と感ずる政治をしてきたかは???ですが。
3.11の時の政権やそれ以前55年体制も結果国民の選挙によるもの。
また、選挙権という権利を行使せず、結果特定の人による支持を得た国会議員が多くなるのも国民次第。


その国民によって選ばれた議員をどんなに問題があろうと
即辞職勧告を出して辞めさせようとするに、選んだ国民への侮辱?

憲法改正となるか否かは最終的に国民投票の結果次第なのに
発議させない、その前の審議さえ拒否をしている国会議員は
明らかに民主主義の精神に反しているのでは?と思うですが。

独裁政権を倒せ!
9条改正されたら徴兵になる。
子供を戦争に行かせない
どう考えるか、何を信じるかは自由ですが
それを話し合う事もしない
させないのは
独裁国家と何ら変わらないと
わたくしは思います。

我が国の崇高なる民主主義の制度を否定しているのは誰でしょう。

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