元不登校児、瞳子の受験生日記

ようこそ元登校拒否、茨城瞳子の受験ブログへ。史学科中退から法学部へ転学します。少しでも皆様と時間を共用出来れば嬉しいです。

不登校関係

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全1ページ

[1]

イメージ 1

街中に歩く事しばし。
桜舞い散る美観の町。そこに私はいた。

学校が桜の近くにあるのだ。

「はふぅ…」当時私こと瞳子18歳。
美観だなんていいすぎだ、その頃の私なら間違いなく思うであろう高校時代の日々。

その頃に遡る(さかのぼる)。

毎日学校に行っていた訳でもないが高校というものは最悪に居心地の悪い所だ。
「ぎゃははは」「てめぇ、まじ?」「げらげら」雑音が聞こえる度イライラが増す。
私はこの手のタイプが嫌いな方だ。理由は一番嫌いな奴にそっくりだと言う理由でしょうか???

それを奴と呼ぶのは嫌な為O子と命名(めいめい)します。

例のO子と言う者は何か私が気に食わなかったのか、周りはそう悪い仲でもないのにもかかわらず必ず私を笑いものにしていた。その為教師にクラス替えの度「違うクラスにして下さい」と頼んだにも関わらず3年間も同じクラスにされていました。

教師も教師だ。一人の意見を聞き入れず大多数をかばうのはH県の常識ですか?ええ、そうでしょうね。お宅様は教育委員会自体がいつも問題をおこしますものね、とでもいってやらなければ気がすみません。

わざわざ何の為に「このO子とだけは”絶対に同じクラスにしないで下さい”と頼んだと思ってるのでしょう」…このうらみはらさずにおくべきか…そして今ブログに書いていると。

話は戻りO子とそっくりなタイプを見たり聞いたりすると胃痛がするようになりました。
「私の将来の死に方は胃がんですね?」と最後にかましてやりたかったですね。
付け加えれば「お前のせいでね(にやり)」なーんてね。ああ、書いてるだけでメルヘン気分。

そんな私が良く普通制高校を卒業できたよね、そうお思いでしょう???
その技(たいしたことないけれど)お教えしましょうv

まず私はこの腐れ高校に一秒たりとも居たくはなかったので5時間目の休憩時間にひょっこり現れるようになりました。先生も好きではなければ(それはO子を庇うし私を3年間苦しめるクラスにしたのが悪い)
生徒も嫌いだったので致し方ないでしょう。私の性格のも問題があったのかもしれなませんがそちらがそういう態度だからでしょう?といってやる(ぶち切れ)

第二に心療内科で自律神経失調症と言う軽い病気の診断書をもらって教師に提出する事。
最近では不登校の生徒の逃げ道になってるのですよねー。

それで何とか高校の欠席率30日以下の休みまで上限だったのが50日に増えました。そして欠席をしなくほとんど毎日遅刻でしたね。そうすると奴らも流石(さすが)に自分達が嫌われていると分かったのかそれ以来は大人しくなりました。(ざまあみろ、だね。)

しかしそれで4年制大学を準進学校レベルの学校で受かったものだから怒ってる奴もいたと後で聞き(ああストレス発散し)ました。うふふグッバイ高校。ララバイいじめ。こんな性格ひねくれさせてくれてありがとう。大体私のような性格濃い奴いじめるのが悪いっしょ???

今いじめにあってる子も勇気を出して反撃するとか徹底的に勉強するとか休んで塾行くとか対策考えた方がいいよー???いつまでたっても打破できないから。奴らも子供だからねホント無邪気だから悪い事は悪いって親しつけてんのかと思いますよ。

皆さんも今お辛いけれど頑張って下さい。どうか元気を出して未来を少しは楽観的にして下さい。

不登校の始まり

イメージ 1

舞台の始まりはは古都京都。古都と言うと少し堅苦しく思うかもしれないが下町育ちの私にはそういった感もまったくなく幼い頃育った。その町の集合住宅街に数年間住んでいたが、皆温かく未だ私の心の領域を少し占領する場である。

私が生まれ育ったのは元は大阪市だ。しかし私の父の職業の関係で各地に転勤を余儀なくされていた。その理由から物心付いてすぐに京都へと居を移したのである。その頃は私が小さすぎた為生まれ故郷が未だ”恋しい”、とか”寂しい”等は思いませんでした。

小学生になり学校へ行くようになってから4年、それまで私はいろいろな事があった…そう当時振り返れば思うだろう。悪い事から言えばいじめが多かった。加わった事もあり、また被害を受けた事もあった。本当はバカバカしい事等したくない、私が強ければ言えたかも知れないが子供社会では仲間が絶対。嫌われたりしたらグループを追放され仲間はずれは目に見えている。だから一言、怖かった。だがそのおかげで横社会での処世方を学んだ…様な気がする。

この頃まで学んだ知識、性格は後々役にたつ事となる。

舞台は再び移りー京を去り和歌山県へ。
そこに行くまでの間しばらく風邪をこじらせかなり酷い肺炎に2ヶ月近くかかり入院した。
その間のブランクのせいか県へ行ってから学力がついていけず段々と学校に行く事が億劫になってきた。それに付け加え転校生を何故か睨みをきかすグループからも目を付けられていて友達もいなく…。

当時の私の頭では計算不能の信号を出していたのでしょう…。耐え切れずに学校を行かなくなる…いわば不登校をこの頃生まれて初めてしました。通学路を行くふりをして、もらっているおこずかいで駄菓子屋に行き買い込み、秘密基地なる私だけの場所で時間を潰しまた帰宅する毎日。

しかし何時までもこれは通じません。近々学校の先生から電話があるに違いない…そう思うと苦しくなりました。けれども逃げてばかりでは解決にはなりません。そしてある時暴露しました。学校では私の事を「ヨソさん」と言ってのけものにすると。すると両親から少し怒られました。もちろん当時の私の思考からは想像しない良い方の意味で。「どうしてそれを早くに言わないの、そんなに信用が無かったの」と。

はっきりいってショックでした。子供からしてみれば物心付く前から幼稚園、保育園に通い自動的に小学校にいくものだから幼心に刑罰でもあるのかと思っていたのでそれはもう相当悩みました。それ以来家族会議で再び転勤が起こるまで私は学校に通わなくても良いようになりました。

そして念願の転勤がやってきた時私は既に大阪に引っ越していました。
私が物心付く前から出て行った大阪市にやっと帰ってこれたと言うわけです。

その後、親しい友人も出来て以来小学校へ徐々に行くようになりました。
後で知った話、小学中学校では義務教育だから欠席をしていても上に上れるのを後で知りました。
ただし、欠席日数をかかれた上内申書に響く事も覚悟の上でのお話。

-beginning class part times of non-school attendance- 
-TO BE CONTINUE-
諦めないで その悲しみを 裏切らないで その優しさを
ピュアな心は 砂金の砂漠 いつか貴方が飢えに苦しむ時 それが財となり 華となる
私達は金と言う名の植物 君が大華となり美しく咲き誇る事を 永久(とわ)に願い

全1ページ

[1]


よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事