コトコトつづり

涙が玉となってあふれる寸前に そこにのみ映る かけがえのない景色がある

全体表示

[ リスト ]

村上春樹の新刊「女のいない男たち」という短編集については
少し前に“概観としての感想のようなもの”を記事にしました。

そこで、今日はその中で描かれている性愛について
ちょっと冒険的に書いてみようと思います。

(今回は、ちょっとネタバレもあります。ご了承ください)

村上春樹作品の好みが分かれる要素の一つに
不必要と思える箇所での(あるいは不必要と思える量の)性的描写が挙げられるのではないでしょうか。

その部分をどう評価すればいいのか。
それはなかなか難しいアプローチであり
春樹作品の愛読者の中でも、率直に語り合うのが難しいテーマなのではないか、とも思います。

つい数日前にも、職場の後輩くんとこんな会話をしました。

私「海辺のカフカは、あまりに残虐な描写が多いから苦手なんだよね」
後輩「うん。分かります」
私「とはいえ、1Q84だって、まだ少女というような年齢の子に対する性的暴力があるから
  あれはどうかと思うよね」
後輩「ああ、あれは僕もダメでした」

私も後輩くんも1Q84は好きな小説なのですが、一部分においてはちょっと目を背けたくなるし
そこまで描かなくてはならないのか、という思いにとらわれる…という話です。

まあ、1Q84はさておき、今回の新刊においても性的描写がでてきますが
基本的に「語り」の形を取っていて、「存在」と「関係」をテーマにしているので
他の作品よりも色濃い性描写があるわけではありません。
その意味においても、その部分が苦手な読者にとってもライトな感じで読めるのではないかと推察します。

彼独特の性描写が出てくるのは、一番最後の「女のいない男たち」という短編くらいかもしれません
(まだ再読していないので、確信はありませんが)。
あるブロガーさんとのやり取りの中で、「ああ、そうか。そんな箇所もあったか」と気が付いたので
たぶん私はその部分を軽くスルーして(あるいは、もはや彼の小説の常備品として)
読み流していたのだろうと思います(笑)。

私の場合、多くの暴力描写、セックス描写は読み流し対象のような気がします。
しかしながら、そこを読み流しているようでは彼の作品の骨格をとらえるのに支障があるようにも思えます。
そこが彼の作品の魅力というか、吸引力だと感じている読者もいるだろうし
読み流しているとはいっても、私自身、そこに吸引力を(無意識にも)感じている一人なのかもしれないのです。

そこで、もう一度、この短編集および作品の中に出てくる“性”について考えてみました。
あくまでも女子的目線で。
まあ、私が一般女子なのかどうかは自信がないのですけど。

この小説に出てくる女性たちは、複数の男性と肉体関係を持っています。

彼氏や夫、子どもなどがいながら、他の男性と積極的な肉体関係を持っています。
そうして、登場人物である男性は、ある時、その女性を失う…という共通の設定があります。

そういう女性は、おそらく実際にも多くいるのだろうと思います。
本当であれば(倫理的にも)
精神的&肉体的に一人の異性と深く信頼できる満たされた関係を持つのが望ましいし
ひとつの理想なのでしょう。

しかしながら、そのような関係というのは(そのような関係の維持というのは)
時に困難を伴います。

たとえば「イエスタデイ」で描かれているような幼馴染との恋愛というのは
そこに性愛の要素を入れるのに、しばしば困難さを伴います。
夫婦の関係に、いきいきした性愛の要素をいつまでも維持するのが困難なように。

踏み込んで書いてみると
女性の中には、愛する男性とのセックスに積極的になれない部分というのがあります。
恋とセックスを分けておかざるを得ない部分があるのです。

それは男性が淑女をパートナーに選びたいと感じる傾向と対をなすものであるようにも思えます。

もしも村上作品の性的描写に何らかの吸引力があるとして
それを女子的目線で見てみると、
作品に出てくる彼女たちのようにデリケートな場面で
“自由に”振る舞い、思うことを遠慮なく言葉にする姿への憧れ?というか
そこに進歩的で(性的役割のとらわれから)解放されている女性の姿を見るような思いがあるのかもしれません。

けれど、村上作品ではそのような女子的羨望に対する落とし穴が用意されています。
そこが彼の作品がポルノ小説ではない所以です。

登場してくる女性は、他に大切なパートナーがいながら
ベッドの上で自由に振る舞える恋人(愛人)を持つことで
自身の“乖離”を埋めようとしていますが、その行為そのものが“乖離”を深めていくからだろう…
と、私は考えています。

彼女たちの精神と肉体には、明らかな乖離があり
その乖離には暗渠が横たわっています。

言うなれば、光の国と影の国の間に大きな暗渠があるのです。
二つの国をうまく行き来しているつもりでも
光の国と影の国のそれぞれが発展し、細部まで描きこまれてしまうと
その間を取り持つ暗渠もまた深く大きな口を開けることになります。

つまり、倫理的な意味合いとは別に
彼女たちは大きな闇を抱えて生きているのですが
その闇に大いなる実体を与えてしまうというか。
うまく言えませんが。

村上作品に出てくる女性たちの
ある人は忽然と姿を消し、ある人は病み、ある人は自死を選び
ある人は廃人のようになってしまうのは、その自らの内なる暗渠に飲み込まれるゆえではないか。
それが村上作品に用意された落とし穴なのではないかと、そんなことを考えています。

この性的描写の吸引力と落とし穴が、女性読者に与える“面白み”というか“深み”になっている気がします。
(というか、いつものごとく書きながら、だんだんとそういう気がしてきました・笑)。

けれど、作者はそこにことさら(私が書いたような)意味を込めるわけでなく
「ただ、そういうことが起こり得るのだ」と淡々と描いている。
だから説明が不足していて、「なんでこんなこと書くんだろう?」という謎を読者に抱かせるのかなぁと。
そんな気がします。

じゃあ、男性のほうはどうなのか?という切り口が残っていますが
どうですか?男性諸君。ww

私が思うに、男性はそのあたりをはっきり分けないが故に
女性のような“乖離”は生じにくいのではないのでしょうか。

けれど、小説の中に出てくる女性たちと触れ合ううちに
(あるいは彼女の存在を深く求めようとするこころの動きの中に)
“乖離”とまではいかなくとも、それまでは意識すらしなかった自身の“空白”のようなものを感知し
彼女たちが消えたその後に
途方に暮れたり、何がしかの欠落を抱えて生きていかざるを得なくなったりするのじゃなかろうか。
…などと思うわけです(あくまで女子的目線ですが)。

異性と触れ合うことの良さ、苦しさは、そこにありますよね。きっと。

というわけで、長々書きましたけれど
何でしたっけ?

あ、そうそう。
女子的目線で村上作品の性描写を見ると、どうなるのだろうか…ってことでしたね。
まあ、忌憚なく語ると、そういうことです。たぶん(笑)。

閉じる コメント(6)

今回の書評、非常にわかりやすかったです。

>女性の中には、愛する男性とのセックスに積極的になれない部分というのがあります。
恋とセックスを分けておかざるを得ない部分があるのです。
それは男性が淑女をパートナーに選びたいと感じる傾向と対をなすものであるようにも思えます

そうなんですよ。
愛情を持ってハグして貰う事と、SEX自体の快楽を追求することは一緒になりません。

>つまり、倫理的な意味合いとは別に
彼女たちは大きな闇を抱えて生きているのですが
その闇に大いなる実体を与えてしまうというか。

ええ。
本当に。
それを、ものすごく俗な言葉で言うと、ニンフォマニアと言うような現象にもなるんでしょうね。

さて。
男性の場合、どうなんだろう?と考えると、女性よりは確かに耐性がありそうですけど(歴史的にも、)やっぱり、行き過ぎると夫婦関係は破綻しますね。
(いくつか、そういう例を知り合いで見てきました。)

性って、要するにお酒のようなものだと思うんです。
呑まれたらお終い。

2014/4/26(土) 午後 0:52 [ - ] 返信する

ちょっと付け足し。

たぶん、聖域として取っておくべき女性を性の対象としてしまうと、
後で、ものすごく苦しくなるんじゃないかしら?
(これはあくまで私的解釈ですが。)

呑みこまれちゃうんだと思うんですよ、彼女の存在自体に。
ミスチルの歌詞で、「心でも体でもなく愛している」というフレーズがありましたが、
男って、その辺馬鹿で弱いのかも知れません。

2014/4/26(土) 午後 0:56 [ - ] 返信する

アバター

ラプンツェルさん、男性諸氏からのコメントを待っているうちに
すっかりリコメが遅くなってしまいました(汗)。すみません。

内容的に、なかなか男性からはコメントがつけにくいのかもしれませんね。

性はお酒のようなもの…そんな風に考えたことはなかったですけど
たしかにそうかもしれませんね。
言い得て妙です。

2014/5/4(日) 午後 1:18 [ リリカ ] 返信する

>私「とはいえ、1Q84だって、まだ少女というような年齢の子に対する性的暴力があるから
あれはどうかと思うよね」
後輩「ああ、あれは僕もダメでした」

これ完全に間違っていますよ。
読書に正解も不正解もないとしても。
ふかえりが、天吾を求めて行ったんじゃありませんか!
無理矢理犯したら相手の年齢から言って犯罪すれすれだけど、ふかえりが求めてやったことだから、暴力とは言えませんよ。大体がふかえり自ら望んで天吾のうちに居たがったのでしょう?あまりよく覚えてないけど。

ふかえりが大嫌いなので手篭めにでもなんでもされりゃいいと私としては思うのですが。自分から進んで行ってるんでそれじゃふかえりを喜ばすだけでしょう。

2016/8/18(木) 午後 7:46 [ milafill ] 返信する

アバター

> milafillさん

えっと、ここでいう少女はふかえりではなくて、さきがけのリーダーの儀式対象となった少女たちのことなんです。

2016/8/18(木) 午後 8:15 [ リリカ ] 返信する

えっ全く意味分かりません。すっかり忘れ去ってしまってます。
じゃ私の勘違いなのね、ごめんなさい。

2016/8/18(木) 午後 9:27 [ milafill ] 返信する

コメント投稿

顔アイコン

顔アイコン・表示画像の選択

名前パスワードブログ
絵文字
×
  • オリジナル
  • SoftBank1
  • SoftBank2
  • SoftBank3
  • SoftBank4
  • docomo1
  • docomo2
  • au1
  • au2
  • au3
  • au4
投稿

開く トラックバック(0)


.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事