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※ 学校では、自分の考えを訳をいれて話すことをもとめます。 「訳」 それは特に低学年の児童には大事な思考の網なのです。 様々な経験を表現したり理解したりするために、学校の国語教育では経験をすくいとる網(語彙や規律)をたくさん用意しています。 「いつ、どこで、だれが、どうした」 「どうしてかというと」 「□□とくらべると分かることは」云々。 こうして網(語彙や規律)を習得することで人は形作られ、成長していくのです。 網の数こそ、学識であり、知恵であり、行動力そのもの。 たくさんの網をもち自分の力で生き抜いていってほしいと願うばかりです。 でも、網を使えば使うほどに気づかされるのは、一つの言葉のすくいとれる意味の曖昧さ。 「やさしい」 この言葉の網がすくいとる意味は、どれだけ多いことか。 「やさしい」を使う人の数はたくさんおり、その人それぞれに経験想起される内容は多岐にわたり、付随される意味も含めると無数に意味は広がります。 一つの言葉ですら非常に曖昧さを伴うのです。 この物語で描かれる、作家『友幸友幸』も数多の網を習得。20もの言語を使うことができる人物であるならなおさら、使い分けるのは困難をともなう。 我々教員が、子どもに伝えていること。 一つの言葉で人を生かしもし、 一つの言葉で人を殺すこともできるよ。 ああ、大博打を打って、人は言葉を使っているのだなぁ。 ああそんなことに気を遣うんだったらば、 唯一の意味しかない言葉があったら、どれだけ便利だろう。 でも、 唯一の意味しかない言葉があったら、どれだけつまらないだろう。 やっぱり言葉は曖昧で、意味を「捕まえられない」 だからこそ、その曖昧な言葉と意味の間で人は蝶のように舞い、はかなくも愉しむのかなあ。 やっぱり言葉を使うって、すごくいい。 |
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はじめまして。先ほどは拙ブログにコメントいただきありがとうございました。
なるほど、網は言葉の暗喩ですか。蝶は着想の暗喩ですよね。着想をからめとる(あるいは固定する)存在が言葉というのはしっくりくる解釈に思えます。
2012/2/1(水) 午前 3:08 [ 柴多知彦 ]
言葉による表現の大切さと併せて、言葉が完全なるものではないことを教えてあげなければなりませんね。
言葉によって大事なことが伝わる。嬉しく思ったり、傷ついたりすることもあるかもしれないけど、うまく表現できているかどうかも分らないし、受け取り方に間違いがあるかもしれない。占いと同様、良いように受け止めようとするくらいのいい加減さが必要なのかもしれない。
それを踏まえて、できるだけ正しく伝えるために国語の力を身に付けようって頑張れたら、子どもたちにとっても国語の勉強が楽しくなるかもしれませんね。
2012/2/1(水) 午前 9:09
>cinema365さん
様々な解釈があるでしょうが言葉を使う主観から友幸友幸を解釈しました。cinema365さんの分析にも感銘しました。参考になりました。ありがとうございます。
2012/2/1(水) 午後 6:53
>なおわんさん
ある意味があったとして、それは言葉そのものよりも言葉を使う人間に託された部分が大きいような気がします。コメから国語教育の重みを感じました。それと同時に改めて心の教育が大事だなぁと感じました。
2012/2/1(水) 午後 7:04
はじめまして!コメントから飛んできました^^
言葉と言う美しい旋律が流れるような作品でしたね。
私もSelf-reference Engineから読み始めましたが、言葉への想いや深みがいっそう色濃く感じられましたね。
2012/2/16(木) 午前 7:41
>minaさん


かなり込み入った旋律でしたね
新しい和音かもしれませんね
こちらこそコメントありがとうございます
言葉の旋律ですかぁ音楽的な感じですね
2012/2/16(木) 午後 11:54