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「わたし」はひとりの人間である。 日本国憲法にも基本的人権が保証されているのだし、名前があるのだし、そもそも疑う余地がないだろう。 医学の世界であっても唯一無二のわたしであるに違いない。 しかし、 テロが続く。 紛争が続く。 いじめが起こり続ける。 果たして、わたしたちは、 社会生活のなかで、 一人ひとりが明確な意識でもって、 オリジナルの考えでもって行動しているだろうか。 強者に迎合していなかったか。 自分で真実を確かめもせず、メディアが作った風潮を卯のみにしていなかったか。 何より自分の損得勘定で動かなかったか。 次は自分に被害が及ぶのを恐れ、いじめを傍観しなかったか。 人間である以上、人との関わりは避けては通れない。 しかしそれが、わたしたちを一人ひとりの「わたし」ではなく、 国民としての、わたし。 民族としての、わたし。 ○○グループとしての、わたし。 ○○と仲良しの、わたし。 様々な場面に応じて自分の立場を使い分ける「わたし」にしていることにも気づく。 決してわたしはひとりの「わたし」ではないのだ。 表題作主人公は、人体のロボット化による均一化が、人種差別、民族紛争の解決の道だと信じた。 ーわたし考えなければならないー わたしが、様々な「わたし」であることを拒否したら、民族紛争はなくなるだろう。しかし、民族と言う概念が無くなれば、今、世界に広がる民族の文化の多様性はなくなるということを。 立場が、かえって利害関係を表面化させもし、多様で豊かな生活を与えもするということを。 人間であることを放棄するのは早すぎる。 まず、一歩目は、 「わたしたち皆」は「名づけられた葉」。 という理解からであろうなあ。 |
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