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静脈麻酔を投与し、眠っていた妹・・・
少しタンが詰まっているので、母がタンを取ってもらえないかと看護師に伝える。 妹は10倍の酸素をしているので、ひと時も酸素マスクが外せない状況だった・・・ そのため、タンを取るのでも苦しがるだろうと思っていた私は見るのがつからったので、 病室の外で待っている事にした・・・
タンを取る時にヤッパリ苦しみだしたらしく、そのまま危篤状態になる・・・ 血中酸素濃度60台・・・ 50台・・・
そして、脈がすごく弱くなり、看護師は心臓マッサージをはじめる・・・
それを見た私は・・・
泣きながら、
もういいです!
妹は十分頑張りました・・・
もう楽にしてあげてください・・・
もういいです・・・
もういいです・・・
もうやめてください・・・
と繰り返し繰り返し言っていた・・・ 本当に妹の苦しませたくなかったし、妹もこれ以上ないくらい頑張ったと思うから・・・
ただ、今になってこの選択でよかったのだろうか?
あの時諦めなければ、妹はまだ助かったのでないか?
妹はもっと生きたかったのではないかと考える時がある・・・
自分の思いで妹の死を早めてしまったのではないだろうか・・・
と思うときがある。 でも、あの時はこうする事しか私には出来なかった・・・
その後、血中酸素濃度は30台になり・・・
心臓も殆ど脈を打たなくなり・・・ 静かに息を引き取った・・・
私のただ一人の妹が亡くなった・・・
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日記
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妹は入院する前日に親友であるユ○ちゃんの誕生日プレゼントを
買いに母と車で買い物に行っていた。
プレゼントを購入した数日後が親友の誕生日で、妹も焦っていたらしい。
しかし、その日はショッピングモールについた時にはかなり苦しかったらしく、 母が「車椅子乗る」と妹に勧めると「うん」と言って車椅子を使ったらしい。
私の知る限り、意地っ張りな妹はギリギリまで我慢し、弱音と言うか車椅子に 素直に乗るような妹ではなかった。
本当に苦しかったのだろう・・・ そして母親と一緒に親友の誕生日プレゼントを購入し、彼女の誕生日に そのプレゼントを渡すのを楽しみにしていた。
しかし入院・・・
妹の病状が悪くなり、母からユ○ちゃんに電話するも、仕事中らしく連絡が
つかない・・・
その後連絡があり、仕事が終わり次第駆けつけてくれる事になった。 しかし、ユ○ちゃんが駆けつけてくれた時には、もう妹の意識はなかった・・・ ユ○ちゃんも妹の病状がここまで悪いとは思ってなかったらしく、ずっと妹の
隣で泣いていた・・・
母がユ○ちゃんに、妹がすごく気にかけていた親友への誕生日プレゼントを渡す・・・
最後に話は出来なかったが、亡くなる前に彼女に誕生日のプレゼントを渡せたのは
きっと妹も喜んでいると思う。。。
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医者と話し合って、母と私が決めた【静脈麻酔薬】投与・・・
母は苦しんでいた妹に「昨日眠れなかったみたいだから、お医者さんに頼んで
精神安定剤を投与してもらった。だから少し寝なさい」と説明した。
しかし、妹は全てを知っていた。。。
妹に静脈麻酔薬を投与して暫くして、元会社の同僚夫婦の西○さん夫婦が
お見舞いに来てくれた。
その際に妹はこんな事を言っていたらしい。
「麻酔薬をうっているから眠っちゃったらごめんね・・・」と。。。
たぶん精神安定剤は、シリンジポンプで投与しない事を知っていたのだろう。
シリンジポンプで投与するものは、モルヒネや静脈麻酔系と言うのは
知っていたのだろう・・・
後で母親に聞いたのだが、隠してはいたが、自分の病気に関しては、
ネットとかでよく調べていたと・・・
若年性間接リュウマチ・・・
心臓疾患・・・
肺の疾患・・・
そして
呼吸不全・・・
どれも治療が不可能で、徐々に悪くなってくる事は妹は調べて、知っていたのだ・・・
徐々に悪くなっている身体の状況と迫り来る恐怖と妹は常に戦っていた・・・
でも、その事は家族に一言も言わず、いつも明るく振舞っていた・・・
そして最後の最後まで母や周りの心配をしていた・・・
どんな気持ちで麻酔薬を投与されるのを見ていたのだろう・・・
お前はすごいな・・・
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妹とよく一緒に遊んでいたユ○ちゃん。
高校時代からの友人で、高校を卒業してからもよく
ファミレスで深夜まで一緒にいた。
私は妹が亡くなる半年くらい前から、仕事の連絡と言う名目で、
妹に会社帰り電話する事が日課になっていた。
その際、よく「ユ○とファミレスにいる」と言っていたのを思い出す。
二人でいると非常に長い時間ファミレスにいる事を知っていた私は、
「今日は何時からいるの?」とよく聞いていた。
妹は「昼から」とよく言っていたが、私がTELをするのは大体夜の10時を
まわってからだ・・・
なんだかんだで、友達と12時間とかをファミレスで過ごすらしい。
そのため、食事も2〜3回ぐらいは食べるとの事。 どんだけ仲がいい?
と言うかおかしくないか? とよく言っていた。
彼女には本当に頭が下がる。
妹の友達や知り合いへの連絡…
葬儀のときは一睡もせずに通夜→告別式とずっと妹のそばにいてくれた…
その後の五十日祭にも出席して頂き、本当に感謝している。
妹は本当にいい友達を持っていたと思う。
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6月26日
妹の容態が悪くなり、妹と交友の深く、かつ母親とも面識のある人に母親が連絡を入れていた。
西○さんとオヤジである。
(妹の元の会社の同僚夫婦) この日は土曜日だった事もあり、昼頃に来てくれたらしい。
私が一旦家に戻り、病院に来た時はもうきてくれていた。
西○さんは妹が始めて会社勤めをした旅行代理店で、
妹に一から仕事を教えてくれたり、一緒に遊びに連れて
行ってもらったり本当に公私共に良くして頂いた方。
西○さんと言うのは旧姓で今はオヤジの姓になっているが、
そのままの呼び名で呼ばせてもらっていた。
その西○さんの旦那さんであるオヤジ
この人も西○さんと妹と同じ会社で、 本当の名前は○田さんと言う。
見かけも性格も決してオヤジではないのだが、妹が会社にいる時に
○田さんのことを「オヤジ」と呼び始めて、それが定着してしまったらしい。
私の母は初対面から自分の方が全然年上なのにも関わらず
「オヤジ」「オヤジ」と呼んでいる。
このご夫婦は妹の事を○子とは言わず、あだ名で呼んでいる。
「まるこ」or「まるちゃん」
妹も結構気に入っていた様で、ハンドルネームや何かで使っていたようだ。
この二人が結婚式を挙げる時、もう会社を辞めていた妹を結婚式によんでくれた。
妹はとても喜んでおり、その時車で行ったのだが、その時に結婚式場のあるホテルの
駐車場のチケットを今でも大事にとってある。
ちなみにこの時、私は妹の運転手としてこのホテルに送り迎えをしていた。
なぜか母とチビも一緒に??? この夫婦にはまだ小さい愛娘がおり、よく妹から話を聞かされていた。 妹が亡くなる前の週にもお宅にお伺いし、深夜までお邪魔していたと言うのは 後から母に聞いた。
妹は本当にこのご夫婦のお宅に遊びに行く事をいつも楽しみにしていた。
小さい娘さんがいるにも関わらず、五十日祭にも泊まりできて頂き、
本当に本当に感謝しております。
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