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なんとか、なるかな。
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絵画鑑賞10

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今回の倉敷への旅の目的は二つ。
 
倉敷の夜景と、大原美術館所蔵セガンティーニ「アルプスの真昼」を見ること。
 
 
 
 
宗教画しか描かれなかった中世や、
 
注文主から依頼を受けて描かれたルネッサンス期の絵画は
 
数多くの制約の中でも画家本人の苦心や工夫が随所にみられます。
 
でも大原美術館に置かれているのはほとんどが印象派。
 
サロンを持つことのなかった若い画家たちが、「新進画家展」の名のもとに集まり
 
新聞の酷評から注目を集め、罵声でもあった「印象派」という呼び名を
 
自らの主義とした人たちの絵。
 
宗教画以上にダイレクトに画家のパワーを感じます。
 
 
 
 
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大原美術館の目玉の一つ・
 
クロード・モネ「水連」
 
 
大原美術館では有料でイヤホンガイドを借りることができます。
 
その案内によると、児島虎二郎さんはジベルニーのモネの自宅まで行き
 
モネ本人と絵画購入の交渉としたとか。
 
(4年前にイヤホンを借りたときは、本人による交渉なので今では考えられないくらい
安く購入できたとありましたが、その部分は消去されていました)
 
浮世絵を集め、その手法を学んでいたモネは
 
かの国から訪れた人間が国へ持ち帰るためとして
 
自らこの絵を選んだといいます。
 
絵画はどれもそうですが、絵葉書ではその素晴らしさは伝えられません。
 
この絵は数歩離れたところから全体を眺めて、初めて真価がわかります。
 
鏡のような水面に映る雲と庭の木々・・・
 
イヤホンガイドは
 
「モネが浮世絵によって学び、実践した手法を
その国の人々に感謝の気持ちをもって送りたかったのではないか」
 
と伝えます。
 
ジベルニーのモネの家には数々の浮世絵が飾られています。
 
児島虎二郎さん本人もそれらの絵を見たはず・・・
 
私が初めてこの絵を見たのは高校の修学旅行でした。
 
他のモネの水連と比べると
 
「やけにあっさりしている」
 
と感じました。
 
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美術の教科書で見たのはこちらでしたから。
 
 
 
画家の感性を表現するのは、描き込みだけではないと感じます。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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こちらは「積みわら」
 
奥のポプラ並木とあわせて、モネが好んだモチーフでした。
 
刈取りを終えた畑と積みわら、少女におちる木漏れ日・・・
 
ほんの数日だけの光景をモネはキャンバスに残します。
 
光を追いかけた画家は、こんな何気ない風景も連作としています。
 
その一枚を日本で見ることができるのは幸運です。
 
 
 
 
 
 
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ポール・ゴーギャン「かぐわしき台地」
 
この絵はゴッホとアルルで生活し、喧嘩別れして行ったタヒチで描かれました。
 
ゴーギャンが追い求めた南国・・・
 
ゴーギャンは、フランスの植民地で
 
フランスと違う文化、風習を持つ人々の中に何をみたのでしょう。
 
私はゴーギャンの絵が苦手でした。
 
明るい色彩の中に冷徹さがあるような気がして・・・
 
年を追うごとにそれは少しずつ気にならなくなりましたが・・・
 
 
 
 
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カミーユ・ピサロ「リンゴ採り」
 
この絵が日本にあるのが奇跡といいます。
 
1874年に開かれた新進画家展は新聞記者ルロワによって酷評されました。
 
「まともに絵を描けない若い画家たちが自分たちの印象を書き連ねただけ。
ー彼らは【印象派】だー」
 
あまりにも酷い記事だったため、無名の画家たちは画壇に知られるようになります。
 
そして1877年に開かれた第3回には正式に「印象派展」となり
 
彼らは自らを「印象主義」と名乗るようになりました。
 
印象派展は1886年の第8回まで続きました。
 
この絵は第8回印象派展に出品されたものなのです。
 
 
第一回の新人画家展から12年の歳月が流れ、印象主義の画家たちは
 
それぞれの道を歩むようになります。
 
のちに続いた「新印象派」の若手画家たちと相容れないものがあったともいいます。
 
画家の個人的な葛藤はモチーフにも表されています。
 
3人一緒にいながら、それぞれ違う作業をする女性・・・
 
 
 
 
 
 
 
 
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ポール・セザンヌ「風景」
 
セザンヌは第1回・第3回の印象派展に出品しただけで
 
そのあとは独自の道を歩むようになります。
 
セザンヌの生家は南フランスのエクス・アン・プロヴァンス。
 
この地の高台にはセザンヌのアトリエが残り、
 
この絵に見るような住宅地が広がっています。
 
 
生活のために仕送りを受けていたセザンヌは、父の意に染まらぬ結婚をしました。
 
仕送りは半額に減額されます。
 
妻と子供のために父の目を盗んで戻り、母に生活費をねだったこともある故郷・・・
 
セザンヌにとってエクスの街はいい思い出だけではなかったと思います。
 
それでもここを終の棲家とし、アトリエを建てました。
 
 
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 こちらは「水浴」
 
どちらも父親と絶縁状態のときに描かれたものです。
 
 
 
エクス・アン・プロヴァンスににセザンヌの絵は一枚もありません。
 
アトリエに残されているのはデッサンのみでした。
 
ここでは2枚も見ることが出来るのに・・・
 
 
 
 
 
 
大原美術館は写真撮影禁止。
 
館内でも「静かに」の看板が目立ち、
 
人が多くても話し声はほとんど聞こえないくらい静かです。 
 
時々こっそりと同行者に耳打ちしている人がいるくらい。
 
ルーブルやウフィッツィと比べると人もずっと少ないのですが・・・・
 
どうして美術館はあんなに疲れるのでしょう。
 
画家のパワーを浴び過ぎるからでしょうか。
 
一人の画家だけの美術館(ニースの「シャガール」、パリの「モロー」など)なら
 
ここまで疲れないのに。
 
複数の画家の絵画に残った波動を
 
無意識のうちに感じ取るのでしょうか。
 
 
 
 
 
 
 
 
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 ジョバンニ・セガンティーニ「アルプスの真昼」
 
やっと辿りつきました。
 
4年前から見たかった絵。
 
セガンティーニは北イタリアで生まれました。
 
幸せな環境での生活ではなかったため、
 
一人でアルプスを越えてスイスへ渡ろうとして連れ帰された
 
子供時代の出来事もありました。
 
大人になった彼はサン・モリッツを終の棲家とし、制作活動に励みます。
 
彼が生きていた時代の北イタリアはオーストリア領でした。
 
イタリア人でもスイス人でもないセガンティーニですが
 
今では「スイスの画家」と呼ばれています。
 
 
夏のスイスを訪れたかたならおわかりになるでしょう。
 
真夏のスイスの平地は決して涼しいだけではありません。
 
この絵のように強烈な太陽光線は草地に濃い影を作り出します。
 
スイスは氷河が大陸を削り取って形成された地・・・
 
岩盤の上にうっすらと土が積もり、そこに草が生えています。
 
白樺の根は大地に潜らず、横に這っていき
 
強風によって倒れてしまってもまだ成長を続けているのがわかります。
 
セガンティーニが伝えたかったのは、
 
女性や羊のモチーフではなく、この大地にあるのではないかと考えていました。
 
 
 
 
 
 
モネの「水連」以外は私の個人的な感想です。
 
学術的な意味は一切ありませんので、ご了承ください。
 
 
 
 

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